=== 随筆・その他 ===

『 紫 陽 花 ( ア ジ サ イ ) 』


南区・谷山支部
(東開内科クリニック) 植松 俊昭

 例年より少し遅れの6月2日,ここ鹿児島でも梅雨(つゆ)入りが告げられた。今ごろ当方の田舎でも,この時期特有の「白南風(しらはえ)」がここちよく吹いていることだろう。

  かぜとなりたや
  はつなつのかぜとなりたや
  かのひとのまえにはだかり
  かのひとのうしろよりふく
  はつなつの はつなつの
  かぜとなりたや
               「初夏の風」川上 澄生


 梅雨といえば,グループサウンズ(GS)のかつての雄,ザ・タイガースの若き日のボーカル沢田研二のあのけだるい物憂げなうた声がよみがえる。

  雨がしとしと日曜日
  ぼくはひとりで
  君の帰りを待っていた
  壁に飾ったモナリザも
  なぜか今夜は
  すてきな笑顔忘れてる

               「モナリザの微笑」
          (作詞:橋本 淳 
           作曲:すぎやま こういち)


 そういえば
 「GSはグループサウンズ息子よ角のガソリンスタンドではない」
 というのがあったっけ(吉竹 純 歌集『過去未来』)。どうでもいいことだけど。
 日本で梅雨の花といえば紫陽花(アジサイ)。当クリニックの庭先に今年もまた紫紅色の花が咲いた。軽やかで鮮やかな花を枝先に多数つけたアジサイは,どれだけ梅雨の鬱陶しさから私たちを紛らわし解放してくれたことだろう。
 オタクサアジサイ(紫陽花):学名Hydrangea macrophylla(Thun b.)Ser.Otaksa(アジサイ科)
 命名者はかのシーボルト(本名:フィリップ・フランツ・バルタザールPhilipp Franz Balthasar von Siebold 日本名:椎 謄人)で,長崎での現地妻,遊女其扇=タキ(楠本 滝)の愛称「おタキさん」から採ったもの(らしい)。
 彼はこれを出島の植物園で「オタクサ」の名で愛でながら栽培していたそうな。学名の形容語に用いられている「otaksa」はラテン語にはなく,大輪ながら可憐なこの紫陽花に,愛妻の名を献じたものと思われる。なんと麗しいはなしではないか。
 以上のこと主に『シーボルト博物学−石と植物の物語』(大場秀章/田賀井篤平著,智書房2010年刊3,600円)で知った。これは名著です。
 ちなみに二人の間に生まれたのが,日本人最初の女医(産婦人科)お稲(オランダおイネ)。
 ついでながら長崎市出身のさだまさしのうたに

  蛍茶屋から 鳴滝までは
  中川抜けてく 川端柳
  他ひ人との心を 胡麻化す様に
  七つおたくさ あじさい花は
  おらんださんの 置き忘れ
               「紫陽花の詩」
          (作詞・作曲:さだまさし)


 というのがある。興趣あらばご一聴あれ,マイナーだけれど。
 またシーボルトの妻「お滝」,その娘のお稲,孫娘のタダ三代の女たちの生き様ようを描いた小説に吉村 昭の名作『ふぉん・しいほるとの娘(上・下)』(新潮文庫)がある。これもよろしかったらご一読を。
 今日は久しぶりの梅雨の空模様。今やジャパニーズ・スタンダードとなったあの「六八コンビ」の名曲で,水原 弘,ちあきなおみ,菅原洋一の名唱がある(さだまさしも唄っている)このうたを口ずさみたくなった。

  雨に濡れてた たそがれの街
  あなたと逢った 初めての夜
  ふたりの肩に 銀色の雨
  あなたの唇 濡れていたっけ
  傘もささずに 僕達は
  歩きつづけた 雨の中
  あのネオンが ぼやけてた
  雨がやんでた たそがれの街
  あなたの瞳 うるむ星影
               「黄昏のビギン」
          (作詞:永 六輔,作曲:中村八大)


 最後に,6月の誕生色は「緑青(ろくしょう)」。五月雨(さみだれ)が葛の葉をぬらした緑とのこと。

       
     「日本画 三村伸絵」



     
 「東京大学総合研究博物館蔵」

   「東京大学総合研究博物館蔵」

     上掲書『シーボルト博物学−
石と植物の物語』より転載
     
     


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