随筆・その他

リレー随筆

11ぴきのねこと馬のアオさん

鹿児島市立病院 堀之内秀治

 昨年の師走,年賀状の絵柄を考えていた。2014年の干支は午(うま)である。そんなとき,三戸町(さんのへまち)出身で漫画家の故馬場のぼるさんの「ぶどう畑のアオさん」のイラスト入り年賀はがきが,同町内の書店や文房具店,印刷所などで発売されていることを知った。4枚1セットで250円。2千セット(8千枚)の限定販売。早速,連絡を取ってみると町内の店舗でしか取り扱っていないとのこと。さすがに青森は遠い。郵便局での販売は行っていないが,三戸郵便局の局長さんが快く応じてくださった。立て替えて購入し,レターパックで送ってもらえた。12月中旬だったため,もうほとんど在庫がなく各店舗からかき集めて50セットを用意してくださったとのこと。恐縮この上ない。はがきには優しい馬のアオさんが描かれていた。馬場さんの代表作「11ぴきのねこ」をあしらった三戸郵便局の風景印が目を引いた。

「ぶどう畑のアオさん」のイラスト入り年賀はがき


 「11ぴきのねこ」シリーズは子どもの頃から大好きだった。馬場さんのほのぼのした絵が好きで,小学生の頃は日本経済新聞に連載されていた四コマ漫画「バクさん」をせっせと切り抜いていたものだった。そのうち,「11ぴきのねこ」シリーズの絵本も「バクさん」のスクラップも仕舞い込んで,すっかり遠ざかっていた。再び巡り会ったのは6年前。子ども劇場で人形劇団クラルテ「11ぴきのねこふくろのなか」の公演があった。遠足に出かけたねこたち。行く先々に,「花をとるな」「橋をわたるな」などの禁止の立て札。でも,ねこたちはお構いなしにやりたい放題。しまいには「入るな」と書いてある大きな袋に入ってしまい・・・。当時,まだ2歳に満たない娘はじっと座っていられなくて途中で退席したが,懐かしい思いがよみがえった。娘が6歳になり,今度は同劇団の「11ぴきのねことあほうどり」を観劇した。コロッケの店をはじめたねこたち。けれど,毎晩食べる売れ残りのコロッケにうんざり。「鳥の丸焼きが食べたい」と夢見ていると,そこへ一羽のあほうどりが現れて・・・。娘も身を乗り出して,楽しそうに見入っていた。
 前後して,こぐま社創業者で「11ぴきのねこ」を馬場さんと二人三脚で生み出した佐藤英和さんの講演会「11ぴきのねこと馬場のぼる先生」が自治会館で開かれた。「こぐま社を作るとき,私は日本の作家による創作絵本を作ると決めていました。でも,当時,翻訳絵本が主流で,おはなしも絵も描ける絵本作家はいませんでした。そこで,おはなしも絵も作れる漫画家さんに絵本を作ってほしいと声をかけました。その中の一人が馬場のぼるさんでした。馬場さんに,どんな絵本を出したいんですかと尋ねると,猫が大きな魚を食べるという物語のイメージを語ってくれました。先生,それはいいじゃないですかと言って,『11ぴきのねこ』が生まれたんです。ねこは11ぴきに決めました。「11ぴき」ととても響きがいい。」11ぴきのねこたちは,いつもおなかぺこぺこ。ある日じいさんねこに,山向こうの湖に大きな魚がいると教えられ出かけていく。大格闘の末,やっと捕まえることができたのだが・・・。「この絵本は,気の優しい魚がとても大きいという理由だけで猫に食べられる残酷な話です。本来子どもは残酷なものですよ。だからそれを描かなければいけない。この話は約束を破る話です。佐藤さん,お母さんやPTAの人は文句を言いますよとおっしゃった。それは恐れませんと言いました。しかし,第二作になると話は次々にできるけれどうまく絵が描けない。先生ほかの絵にしますかと言うと,ほかの絵本でもいいんですかといいながら,やっぱりねこの話をしている。第二作が描けるまでに5年かかり,六作作るのに29年かかりました。」佐藤さんのお話は,当事者でしかわかりえない苦労と楽しさがあふれるものであり,一冊一冊の絵本への深い愛情が伝わってきた。「11ぴきのねこ」の最初の本が出版されたのが1967年だから,「11ぴきのねこ」は,今年で47歳になる。自分と同じ年齢である。この47年間にどれだけたくさんの人に読まれたことか。私の絵本も,娘のお気に入りとなり今も健在である。

 アオさんは,青い馬です。森に住んでいるアオさん,ある日夢を見ました。森の小道を巡って行くと,丘の上にぶどうが沢山生っている。夢からさめたアオさん,早速夢のとおりに森をぬけて行ってみると,本当にぶどう畑があったのです。「みんなには内緒にしよう」と言うネコさんに,「みんなで食べたほうがずっとおいしいよ」というアオさん。ほかの動物たちも誘って食べにいくと,畑には鉄条網が張られ,オオカミが独り占めしていて・・・。「ぶどう畑のアオさん」は馬場さんががんと闘病する中で,最後に書き上げた作品である。講演会での佐藤さんの言葉が胸に残っている。「『ぶどう畑のアオさん』は馬場さんの亡くなった後に発売した絵本です。出版された後に,馬場さんが亡くなる3日前に完成させたという奥付のイラストを見たとき,私は涙があふれました。アオさんが見ている空は『11ぴきのねこ』の空だったんです。きっと馬場さんは万感の思いでこれを描いたと思います。」
 心に残る本との出会いは,人生に何度もない。年賀はがきを眺めていたら,改めて絵本のページをめくってみたくなった。


次号は,鹿児島市立病院の池田賢一先生のご執筆です。(編集委員会)




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