=== 新春随筆 ===

時空を超えて〜 天文館からのメッセージ



潟Gフエム鹿児島 代表取締役社長
                        門之園繁樹
 
 私の勤務しているエフエム鹿児島は天文館のど真ん中の商工会議所ビル(通称アイムビル)の3階にある。「天文館」の名は,江戸時代の暦学,天文学の先端を行く島津藩の25代藩主重豪が,天文観測の目的で開設した「明時館」が通称で天文館と呼ばれた事に由来するらしい。その頃はススキが茂る寂しい所であったそうだが,今や日本に名だたる歓楽街となっている。20年余り仕事の日は毎日この地区に通っているわけだが,天文館には私を引き寄せる赤い糸があった。
 子どもの頃から天文ファンだった。故郷の川辺町は一時日本の星空No.1になった事もあり,夜になると無数の星や天の川が競うように輝いていた。少年時代の漫画雑誌に掲載されていた子ども向け望遠鏡の広告を見て欲しくてたまらなかったが,最低でも800円もの価格で(当時はハガキが5円の時代)とても手が届かず,なんとか親にせがんで買ってもらったのは初歩向けの屈折望遠鏡キットだった。レンズは単ガラスで口径も4センチほど,星を見ると色収差が激しく,虹色ににじむので,観察とは言えないものだったが,子供心に胸をときめかせて夜中まで星空を眺めていた。
 中学生になるともう少し高性能の望遠鏡が欲しくなり,小遣いを貯めて口径6センチ,色消しのアクロマートレンズなるものを購入した。ボール紙の鏡筒部は長さ1mを超える大物だったがなんとか,自作した。望遠鏡を載せる架台も木製の手造りである。この新兵器で見た土星の輪や木星の縞模様,その衛星である4つのガリレオ衛星を見て感動した記憶は今だに新鮮である。
 大学時代は貧乏学生で麻雀とアルバイトに明け暮れた。就職後数年経って,やっと少年時代の宇宙への憧れを充たすべく大枚をはたいて(月賦だが)念願の高級?望遠鏡を購入した。
 満を持して手に入れたのは,高橋製作所の10センチ・カセグレン反射望遠鏡であった。コンパクトで使い勝手がよく気に入っていたが,人に貸したりして今はなぜか手元にない。
 次は星雲星団を観察するのに向いた大型双眼鏡が欲しくなった。今は倒産?したのかその会社はないが,当時の天文マニア向けの大ヒット商品で,口径10センチのセミアポ対空型の手応えはズシリと重く,その値段も月給の倍ほどでかなり重かったが,見え具合は目を見張るものがあり,月などは立体的に目の前に浮かび,手に取れそうな気がするほどであった。スバル星団なども息をのむほど素晴らしかった。
 その次には惑星観望用に高倍率望遠鏡が欲しくなり,外国製反射望遠鏡口径20センチを購入した。双眼鏡より更に高価で,薄給の自分にカミ様の反対もなくよく買えたものだと今でも思う。これは重量があり扱いが大変だったが,惑星や連星,星団などを本格的に楽しむ事ができた。ここまでの話は,仕事で東京在住の時代の事であり,星の見えにくい都会の中の夜空の寂しさが,かえって天文への思いを強めたのかも知れない。
 その後地元鹿児島市に帰って来たが,世の中の景気が良くなり,夜のお付き合いが増えた頃から星の世界とはだんだん縁が薄くなっていった。天文館のネオンが,少年の時に安物の望遠鏡で見た星のように,虹色に輝き,美しい女性からは惑星のように惑わされ,心は酒のもたらす大宇宙に漂ってしまった。そうしてなんと,それから二十数年,我が愛する望遠鏡たちはマンションの狭い倉庫に眠ったままであった。
 今年になってやっとその望遠鏡が目覚める時がやってきた。以前からお付き合いのあったうなぎの末吉の奥山会長が,志を遂げられて,天文館のゆかりの地に「宇宙情報館」を開設したのである。会長は私と同じ昔からの天文ファンであり,鹿児島天文協会の会員でもある。お仕事柄もあって新しい星座「うなぎ座」を世界的に認めてもらう働きかけを,関連組織に対して真剣になさっているらしい。ご本人によると,どうやら「うなぎ座」は天の川のそばに位置するらしい。。。。
 宇宙情報館は,JAXAをはじめ国立天文台など公的機関の全面協力があり,民間では日本で初めての施設ということだ。開館式から何回も訪れたが,ロケット打ち上げのバーチャル音響は迫力満点であり,展示物,宇宙グッズなど子どもから大人まで楽しめる内容となっている。また縁あって,館長さんは私の以前勤めていた会社(鹿児島テレビ)の先輩,愛称末(すえ)さんであった。
 この事がきっかけとなり,倉庫に永らく眠っていた望遠鏡を思い出した。取り出して埃を払って恐る恐る覗いてみるとさすがの愛機,昔と変わらぬ見え味である。手入れも全くしなかったのに大したものである。双眼鏡の鏡筒の丸みをさすりながら,また時々天文観察(星の)をやろうと思った。都城に住んでいる3つになる孫にも見せよう。今度会いに行く時は望遠鏡を持参するつもりでいる。ちなみにその孫の母親が私の長女で,名前は星子(しょうこ)である。
 話は変わるが,先日ネットで興味深い天文ニュースが目に留まった。宇宙人との交信についての記事である。2015年にも地球に向けて宇宙からの電波通信が届くかも知れないというのである。今を去ること30年ほど前(1983年)の旧暦の七夕の日に東大東京天文台の森本雅樹教授らが,七夕の彦星である一等星のアルタイルに向けて電波信号を発信した。地球との距離は16光年なので,アルタイル星系に知的生物がいたら2015年にも返事が返ってくるかも知れないという事だ。
 発信した信号の内容は,我らは太陽系第3惑星の地球に住む人間である事をはじめ,DNA,進化の歴史などが素数による暗号で画像化されたもので,最後にはお遊びでアルコールの分子式と,出会いの祝福への乾杯の文字が入っている。ここ数年,地球型の生命が誕生するのに適したいわゆるハビタブル惑星が,銀河系の中に次々と発見されている。アルタイルのそばにはまだ未発見らしいが,可能性はあると思う。今後2,3年が楽しみである。ただし,その返信が友好的なものであるとは限らないが。
 天文ファンとして好奇心から長年星を眺めてきたが,深遠なる宇宙に思いを馳せてその存在について考えるという事は,結局人間とは何か?自分とは何か?を考えている事に行き着く。そしてそれは一体であり,我々人間もまた幾千億兆の星と同じ成分による星の申し子である事に気付く。そうして限りない宇宙の中には地球の人間だけではなく同じようなことを考えている知性がきっといるのではないかと思う。宇宙自らが自分を観察し,賞賛するために人間を創ったとしたら,他にも創っていいはずだ。ただし,我々人間はその友とは100億年以上と言われる宇宙の歴史の中で,永遠に巡り合うことは無いかも知れないが。
 鹿児島県は言うまでもなく日本で宇宙に一番近い所だ。種子島ロケット基地,内之浦基地の2つを抱え,宇宙開発の最先端のプロジェクトが進行している。県内の子ども達もきっと誇りに思っている事だろう。将来に向けてその中から天文学者や宇宙飛行士が誕生するに違いない。そしてある日突然宇宙人からのメッセージを受け取る日が来るかも知れない。自分の孫たちの世代に夢を託したいものだ。
 さて,とりあえず,もうすぐやって来る2015年が楽しみである。願わくば返信は愛のメッセージを。



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