随筆・その他

リレー随筆

2020東京五輪決定で思うこと


鹿児島市立病院 中村  登
 先日,「リレー随筆」の執筆依頼を受けた際に,「あー,まあ,でも,市医師会員限定ではないですか。」との問いに「そんなのどうでもいいみたいだよ。」ということで,よくある安請け合いをして,後悔しながらぼちぼちと筆を執っています。話によりますと,このリレーは現在のところ鹿児島市立病院内で次々とバトンパスをされているようで,いつ頃院外へ出るのか,どなたがどこへ出されるのか,自分なのかなどと関係ないところが気になって仕方がないところです。
 さて,リレーと言えば,家族の声援を浴びながら行われるのが運動会。そして,国家の威信をかけて戦われるのがオリンピックでしょうか。ということで,2020年の東京オリンピック開催が正式決定したことを受けて筆を進めたいと思います。
 東京でのオリンピック開催は56年ぶりですが,同一都市による複数回開催はアジア初となります。ちなみに日本でのオリンピック開催はご存じのように夏季・冬季通じると4回目(東京,札幌,長野,東京)になりますが,夏季に限れば,2回目の東京オリンピックとなります。ただ,ご存じの方も多いと思いますが,東京オリンピックの開催決定で言えば,実は3回目となります。「幻の東京五輪」といわれた1940年開催予定だったオリンピックですが,日中戦争の長期化などでやむなく開催返上となったわけです。
 その後の第二次世界大戦と終戦,戦後の目覚ましい復興を遂げて,高度成長期の真っただ中の1964年東京オリンピックですが,残念ながら当時幼少だった私にはわずかな記憶しか残っていません。ただ,田舎の自宅には東京オリンピック記念1000円コインや記念たばこがあったのを覚えています。また,当時のアサヒグラフがオリンピックを特集しており,何となくページをめくっていたような気がします。
 当時の記憶と多少異なりますが,東京オリンピックで注目された競技のなかでも特に印象的だったと個人的に感じているのが女子バレー,柔道,男子体操,重量挙げ,マラソンでしょうか。女子バレーでは,先日,鬼の大松率いる“東洋の魔女”の河西主将の急逝が報じられたことで映像がメディアで流れていましたが,当時のソ連との決勝戦のTV視聴率が90%以上という驚異的な数字をたたきだしていますから時代背景もさることながら,注目度が半端ではなかったことがうかがえます。今はなき回転レシーブもこの時に誕生しています。東京オリンピックで初めて正式採用された“日本のお家芸”である柔道は当然のように完全制覇が期待されたにもかかわらず,無差別級で神永がオランダのヘーシンクに敗退という結末が待っていました。これはある意味で日本柔道が国際化の脅威にさらされる契機となった瞬間であったのかもしれません。体操においては“体操王国”の称号を確固たるものとしたのもこの大会でしょうか。遠藤や山下を擁しての男子団体,個人総合,種目別で金を量産したことはその後に受け継がれています。
 個人的に非常に強く印象に残っている競技の一つがなぜか重量挙げです。フェザー級の三宅が日本に初の金メダルをもたらしましたが,そのスナッチやジャークのまねをしながら遊んでいたのを覚えています。恐らくは,次のメキシコオリンピックで三宅兄弟が金(兄の連覇),銅(弟)に輝いたので深い記憶として刻まれたのだと思います。そして,あのマラソンのアベベ。彼は東京オリンピックの前大会であるローマオリンピックのマラソンを裸足で走って優勝したことで有名ですが,東京オリンピックで連覇。その影で,日本陸上界の救世主となり注目を浴びたのが円谷でした。ご存じとは思いますが,その後の結末を想像すると当時のゴール直前の表情が悲しげにも見えます。その他にも,日本にはレスリングなど“お家芸”があり,その後も海外開催にもかかわらずオリンピックの度に日本国中が熱気に包まれる,まさに国家の威信をかけた戦いのように思えます。
 東京オリンピック以降,前回のロンドンオリンピックまで12回の夏季オリンピックが開催され,時代も昭和から平成へとオリンピックの歴史と共に変遷しています。最近では“古き良き昭和”という言葉を時々耳にしますが,東海道新幹線が開通したのも東京オリンピックと同じ1964年で高度成長期の日本を象徴する「黄金の1960年代」であったと思われます。その後の新幹線や高速道路をはじめとした日本のインフラ整備は様々な問題を提供しながらも強化されました。そして,時代は平成へ,さらに21世紀へと国民の生活が大型家電からインターネットや携帯電話に代表されるIT(information technology)中心へと変わりました。2020年東京オリンピックまでの7年間でさらに変化を遂げることと思います。家族全員がテレビの前でくぎづけとなっていた昭和から,2020年はどのような観戦になるのでしょうか。
 夢を見れば,“経済効果3兆円”による経済再建となりますが,施設建設費や大会運営費は試算以上となるともいわれています。リニアモーターカーは間に合わないようですが,年齢的にも国内でオリンピックを直接観戦する機会は二度と訪れることはないと思っていますので,今から7年後の計画を密かに企てようかなどと考えています。



次号は,鹿児島市立病院の三好逸男先生のご執筆です。(編集委員会)




このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2013