=== 随筆・その他 ===
医師法21条の本質と厚労省医療事故調の問題点
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中央区・清滝支部
(小田原病院) 小田原良治
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1.はじめに
平成24年10月,厚生労働省(厚労省)の「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」に於いて,田原克志医事課長から重大な発言がなされた。問題となっていた,それまでの厚労省見解の事実上の修正であり,医療安全推進の大きな功績である。田原課長発言により,医師法21条の解釈は本来の解釈に回帰したと言えよう。これにより病院団体は,医療安全・再発防止の観点,即ち,「医療内」の問題としての合意へとまとまっていったのである。
厚労省の不用意な対応に端を発し,福島県立大野病院事件でピークに達した医療崩壊の原因である医師法21条の解釈が,やっと本来のところに帰りつつある。医療事故調の観点から見て,医師法21条(異状死体等の届出義務)問題は,果たして何だったのかを検証してみた。
2.東京都立広尾病院事件の概要
平成11年2月11日,東京都立広尾病院で,慢性関節リウマチ治療のため滑膜切除術を受けた58歳女性が,術後,抗生剤点滴後,急変死亡した事件である。看護師が血液凝固阻止剤と消毒液を取り違えたためという。看護師の「薬剤を取り違えたかもしれない」との発言を受け,病院は一旦,警察に届けることを決めるが,監督官庁である東京都衛生局の指示により,行政担当官の到着を待ち協議したため届け出が遅れた。同病院で病理解剖施行,血液中からヒビテンが検出されてから,家族に誤注射を報告,同年2月22日,事故を警察に届け出た。
薬剤を取り違えた看護師は,業務上過失致死罪に問われたが,異常なことは,主治医と病院長が医師法21条違反に問われたことである。何故に,医師が,長年何ら問題のなかった医師法21条違反に問われたのか?病院長は,憲法第38条1項の自己負罪拒否特権(黙秘権)侵害であるとして上告したが,棄却されて有罪が確定した。元々,東京地裁判決後,同判決は違憲ではないのかとの議論がなされている。記録を見ても,紛争勃発後,厚労省が「リスクマネージメントマニュアル作成指針」通達を出し,医師法21条に基づくとして,全例届け出を指導している。この厚労省の「後だしジャンケン」的な不用意な通達の責任は重いと思われる。同時に自己の立場と存在感をアピールしようとする学会ガイドライン(法医学会異状死ガイドライン)のあり方も問題であろう。
この広尾病院事件の判例および職権による判示が,その後の司法の基準となり,医療崩壊に至るのであるが,その判示の解釈の仕方を検証するにつけ,医療崩壊の原因は判例にあったのではなく,厚労省の対応(通達)にあったのではないかと考えられる。それまでの対応の拙さを田原医事課長発言が修正したと考えられる。役所的な発言であるとの意見もあるが,最高裁の判示の解釈を暗に匂わせた歴史的発言かもしれない。
3.都立広尾病院事件と医師法21条
医師法21条(異状死体等の届出義務)は,旧内務省時代以来の法律である。元来,身元不明死体等の捜査協力のための条文であり,旧内務省が旧厚生省,警察庁に分離した後も,事件捜査への協力という形で医師法の中に残されたものとされてきた。罰則を伴った規定であるが,刑事捜査協力のための規定として,医師個人あるいは医療機関として刑事捜査に協力してきた。医療と刑事捜査は良好な関係にあり,医師法21条は永年何ら問題を呈していなかった。この何でもなかった規定が急に刃物と化すのである。
都立広尾病院事件で,東京地裁は法医学会「異状死ガイドライン」をそのまま採用,有罪としたが,控訴審の東京高裁は,一審判決を破棄,あらためて有罪とするとともに「異状死体の検案」に対する見解を述べている。院長側は,当事者に警察への届け出義務を課すことは,憲法第38条1項の自己負罪拒否特権(黙秘権)侵害であるとして上告したが,棄却されて刑が確定したものである。しかし,その判決理由は,東京高裁判断を支持したものであり,再度注目する必要があると思われる。
判決理由の該当部分を記すと,検案については,「医師法21条にいう死体の「検案」とは,医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することをいい,当該死体が自己の診療していた患者のものであるか否かを問わない」としている。また,違憲問題については,「(医師法21条の)届け出義務は,警察官が犯罪捜査の端緒を得ることを容易にするほか,場合によっては,警察官が緊急に被害の拡大防止措置を講ずるなどして社会防衛を図ることを可能にするという役割をも担った行政手続上の義務と解される」「(医師法21条の)届け出義務の公益上の必要性は高い」「(医師法21条の)届け出義務は,医師が,死体を検案して死因等に異状があると認めたときは,そのことを警察に届け出るものであって,これにより,届出人と死体とのかかわり等,犯罪行為を構成する事項の供述までも強制されるものではない」とし,医師法21条は違憲ではないとした。
この異状死体の検案については,以前より,田辺 昇氏の明解な見解があり,佐藤一樹氏も,医師法21条の規定は,「異状死体」の規定であり,「異状死」の規定ではないと述べている。今回の田原医事課長発言は,これらの見解をあらためて厚労省として確認したものである。「あくまでも,死体の外表を検案して異状を認めた」ものの届け出義務であり,逆に言えば,「外表に異状のないもの」や「検案以外の異状」については届け出義務はないというべきである。医師法21条は刑事罰を伴う規定であり,憲法は自己負罪拒否特権を認めるとともに,刑事については謙抑的(推定無罪)であるべきを原則としているからである。
医師法21条を理由とした厚労省第二次試案,第三次試案,大綱案は,行政権限の肥大化,日本国民として憲法で保障された権利(自己負罪拒否特権)の剥奪以外の何ものでもない。憲法に保証する基本的人権を誰が,如何なる責任を持って剥奪しようというのだろうか。
4.都立広尾病院事件は「後だしジャンケン」
旧医師法時代から,診療中の患者の場合は「死亡診断書」,診療中の患者以外の死体の場合は「死体検案書」とされてきていた。旧厚生省も,昭和24年通知で,「死体検案書は原則として,診療中の患者以外の者が死亡した場合に作成されるものである」としている。平成6年5月,日本法医学会が「異状死ガイドライン」を発表するが,一学会の見解との評価のみで問題ともされなかった。ところが,前述した如く,平成11年2月,都立広尾病院事件が起こり,前代未聞の医師法21条違反に問われるのである。厚労省が「リスクマネージメントマニュアル作成指針」を出し,医療関連死の全例届け出を指導したのは,平成12年8月である。即ち,広尾病院事件の後に,紛争の最中に,医師法21条の従来の解釈を変えたのである。まさに,「後だしジャンケン」以外のなにものでもない。医師法21条の解釈について,一般に,「消極説」,「原則消極説」,「積極説」があり,最高裁が「積極説」を採用したと言われるが,積極説は,東京地裁判決後出てきたものであり,地裁判決および積極説を,「異状死ガイドライン」と「リスクマネージメントマニュアル作成指針」が後押ししたことは明らかであろう。平成13年には,女子医大人工心肺事件の冤罪を生み,平成18年には後述の冤罪による医師逮捕という福島県立大野病院事件につながるのである。いずれも,無罪判決を勝ち取るが,そこに至るまでの道程は過酷であり,佐藤一樹氏の体験者としての発言には重みがある。
5.福島県立大野病院事件
平成16年12月17日,福島県立大野病院で帝王切開術を受けた患者が死亡したことにつき,平成18年2月18日,業務上過失致死と医師法21条違反の容疑で,産婦人科医が逮捕され,翌月起訴された事件である。事故発生後,1年以上経過した後の医師逮捕である。逃亡の恐れも,証拠隠滅の恐れもない者を何故逮捕したのか?警察,検察の功名争いの結果ではなかったのか?
県立大野病院は中規模病院であり,常勤産婦人科医は1人であった。産婦は前置胎盤と診断されており,医師は,大学病院での分娩を勧めたが,妊婦・家族は大野病院での分娩を希望。場合によっては子宮摘出の可能性を説明したが,妊婦は子宮温存を強く希望していた。術中,癒着胎盤であることが判明したが,癒着剥離操作中に大量に出血し,死亡したものである。
産婦死亡につき,医師は院長に報告。異状死には当てはまらないと判断して警察署への24時間以内の届け出は行わなかった。福島県は,「外部委員を入れた事故調査委員会」を設置。平成17年3月に事故調査報告書が作成された。この報告書は死亡原因に執刀医のミスとの判断を示している。福島県は医師に過失ありとして,医賠責保険での補償支払いを進めるとともに,平成17年6月,執刀医を減給1カ月の処分とした。「事故調査委員会報告書」がきっかけで,メディアが医療事故と大きく報道。平成18年2月18日,執刀医は逮捕され,3月10日起訴された。
判決は,業務上過失致死容疑について無罪とし,「臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ,その義務に反したものには刑罰を科す基準となり得る医学的準則は,当該科目の臨床に携わる医師が,当該場面に直面した場合にほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の,一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない」とした。また,医師法違反容疑についても無罪とした。医師法21条の趣旨については,広尾病院事件判例に沿い,@犯罪捜査の端緒,A緊急に被害の拡大防止措置を講ずるなどの社会防衛を挙げているが,「異状」とは,「法医学的にみて,普通と異なる状態で死亡していると認められる状態であり,診療中の患者が診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は,異状の要件を欠く」と明確に述べている。「原則消極説」に立った妥当な判決と言えよう。
6.医師法21条問題と医療事故調
旧医師法からの規定であり,何ら不都合のなかった医師法21条が,広尾病院事件で凶器と化した。この原因は,法医学会の「異状死ガイドライン」であり,厚労省通知「リスクマネージメントマニュアル作成指針」であることは明白である。元々,死亡診断書と死体検案書は,診療中の患者か否かで使い分けてきた。それが慣習であり,スタンダードであった。厚労省もそれに沿った通知を発出(昭和24年)し,使い分けを示していたのは前述の通りである。それが,手のひらを返すように「リスクマネージメントマニュアル作成指針」を出すのである。しかも,紛争最中に出された通知(平成12年8月)であり,「後だしジャンケン」を行った厚労省の責任は大きい。大野病院事件の医師逮捕により,医療界に危機感が高まり,医療崩壊が到来した。本来なら厚労省の取るべき対応は,「リスクマネージメントマニュアル作成指針」を修正する通知である。それで解決する話である。ところが,厚労省は,責任追及の構図そのままの第二次試案・第三次試案・大綱案へと突き進むのである。この責任追及の構図は,今回のとりまとめ「医療事故に係る調査の仕組み等に関する基本的なあり方」(平成25年5月29日)にもそのまま反映されている。女子医大人工心肺事件では,事故調査報告書の問題点が露呈した。同事件の当事者として多大の苦労をして無罪を勝ち取った佐藤一樹氏の,「医師法21条」についての見解,「異状死体」についての発言には,冤罪の当事者ならではの重みがある。大野病院事件でも,事故調査報告書が問題となった。大野病院事件では,まさに,事故調の問題点の集積の感がある。外部委員の問題点,報告書の公表(守秘義務なしの報告書),「医療の内」と「医療の外(紛争)」の混同。いずれも,今回の厚労省とりまとめ「医療事故に係る調査の仕組み等に関する基本的なあり方」(平成25年5月29日)そのものが内包している問題点である。この法案が成立するとすれば,われわれ皆が大野病院事件の冤罪の恐怖にさらされることとなる。「院内事故調」中心というリーク報道に騙されてはいけない。第二次試案と比べてオブラートに包まれているが,本音が隠されている分,より問題は大きいと言えよう。
しかしながら,今回の論議で,評価すべき点もある。田原医事課長発言である。非を認めようとしない行政が,解釈として軌道修正をした意義は大きい。
7.おわりに
最高裁は,「医師法21条にいう死体の検案とは,死体の外表を検査すること」と定義するとともに,異状死体について,「外表に異状のあるもの」としている。法的に届け出義務があるのは,「異常な経過」であったか否かに関係なく,「外表に異状」があったか否かであるということである。この見解は,大野病院事件判決に於いても踏襲されていると言える。田原医事課長発言は,最高裁判決理由を再確認するという手法を取りながら,行政としてこれらの司法判断を確認,届け出範囲の縮小を示唆したものであろう。また,問題となっていた「リスクマネージメントマニュアル作成指針」も,国立病院・療養所,国立高度専門医療センターに対して示したものであり,他の医療機関を拘束するものではないとして,前任者の過ちを,そっと修正したものである。この見解は,国立病院・療養所等が取り残されており,不十分であるとの意見もあるが,国公立病院は独立法人化,民営化される流れにあり,対象病院は減少し続けているのである。通知の事実上の縮小,廃止と言えよう。
事故調論議は,医師法21条による医師逮捕による医師の恐怖心を煽り,医師法21条改正が全てのように喧伝された。本当の問題点は,刑法211条業務上過失致死傷罪をそのまま医療に適用して良いのか否かである。これらの本質の論議を避けて,厚労省は,第二次試案,第三次試案,大綱案と責任追及システムの導入へと動き,行政権限の強大化が計られた。しかしながら,これらの動きに気づいた医師達の声で法案化は阻止され,政権交替へとつながった。しかし,今また,医療団体合意を無視する形で,厚労省の「医療事故に係る調査の仕組み等に関する基本的なあり方」が強引に法案化されようとしている。この厚労省とりまとめは,オブラートで包まれているが,第二次試案,第三次試案と同じ責任追及・行政権限強化の法案である。オブラートで包まれた分,より危険と言うべきかもしれない。
事故調論議の出発点とも言うべき医師法21条問題を再度検討することにより,現在進行中の医療事故調法案の危険性に警鐘を鳴らしたい。
(本論文は,日本医療法人協会ニュース第352号,平成25年10月1日発行,に掲載されたものの表題および内容の一部を改変したものです。)

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