天
城山古狸庵
一時も財布いな居らん諭吉どん
(いっとっも 財布いなおらん ゆきっどん)
(唱)名残惜しどん言てさらばしっ
(唱)(なごいおしどん ちゅてさらばしっ)
日常生活の中では、食事や買い物など、毎日のようにお金を使っています。また、月末ともなると、支払う金がいっぱいあり、財布の中身は減る一方です。
福沢諭吉の一万円札のことを、親しみを込めた「諭吉どん」も、財布に長居はできません。まさに、庶民の財布の実情を良くいい表わしている句です。
地
清滝支部 鮫島爺児医
高額け財布が中身が軽りち仏頂面
(たけ財布が 中身がかりち ぶっちょづら)
(唱)ブランド品も形無しじゃらい
(唱)(ブランド品も 形無しじゃらい)
財布を購入する時は、誰もがささやかに、「お金が溜まりますように」と願いながら選び、見た目もよい高級な財布を手にする人もいます。
そんな高い財布に、ぎっしりとお札は詰まっておらず、残念ながらペラペラです。持ち主が悪かったと、財布を擬人化した表現で、ユーモアがある句です。
人
印南 本作
折い紙も石ころも有い孫ん財布
(おいがんも 石ころもあい 孫ん財布)
(唱)一円硬貨も隅くじれ入っ
(唱)(一円どろも 隅くじれ入っ)
三歳ぐらいの幼児になると、ままごと遊びや、買い物ごっこをしたりするので、自分の財布を持っているのでしょう。
そんな孫の財布を覗いてみると、折り紙や石ころも入っていて、まるで宝物入れのようです。「財布」という題に対して、着眼が優れていて、ほのぼのとした温かい句です。
五客一席 紫南支部 宇宿ガサ医者
拾るた財布中身が空で元て戻でっ
(ふるた財布 中身がからで もてもでっ)
(唱)次ぎ拾るた奴ち持たすい期待
(唱)(つぎふるたやち もたすい期待)
五客二席 紫南支部 紫原ぢごろ
婆どんの財布どん狙ろっオレ電話
(ばばどんの 財布どんねろっ オレ電話)
(唱)許せん腹が煮えくい返っ
(唱)(許せん腹が にえくいかえっ)
五客三席 城山古狸庵
婆が財布を狙ろたか見すい通信簿
(ばが財布を ねろたかみすい 通信簿)
(唱)計算通い小遣銭を貰ろっ
(唱)(計算どおい こつけをもろっ)
五客四席 武岡 志郎
新け財布いピン札つ入れっ見合へ臨ん
(にけ財布い ピンさつ入れっ みへのぞん)
(唱)よれよれ札じゃ印象も悪りで
(唱)(よれよれさっじゃ いんしょもわりで)
五客五席 清滝支部 鮫島爺児医
給料前は財布は軽るなっ遠え屋台
(はれまえは 財布はかるなっ とえ屋台)
(唱)今度来っでち素通ゆばしっ
(唱)(今度くっでち すどおゆばしっ)
秀 逸
清滝支部 鮫島爺児医
払るしたや財布を忘れっ恥ねこっ
(はるしたや 財布をわすれっ げんねこっ)
金よっかカードが財布ん主しけなっ
(ぜんよっか カードが財布ん ぬしけなっ)
ボーナスは財布にゃ懐かじ飛で逃げっ
(ボーナスは 財布にゃなつかじ つでにげっ)
武岡 志郎
勘定をち財布を預くい田舎店
(かんじょをち 財布をあっくい 田舎店)
財布を手い豆腐んラッペ買け走っ
(財布を手い おかべんラッペ こけはしっ)
紫南支部 宇宿ガサ医者
デパートで直き軽るない祖父ん財布
(デパートで いっきかるない じじん財布)
新札を分限者どんな丁寧ね仕舞っ
(しんさつを ぶげんしゃどんな てねしもっ)
印南 本作
札よっかレシートが多え俺が財布
(さっよっか レシートがうえ おいが財布)
方の無こっ呑んで騒いで財布が無し
(ほのねこっ 呑んで騒いで 財布がのし)
霧島 木林
増税で財布ん中身は増ゆい硬貨
(増税で 財布ん中身は ふゆいどろ)
要らん財布此んポケットが小銭入れ
(いらん財布 こんポケットが こぜんいれ)
城山古狸庵
蛇皮ん財布じゃが中身みゃ年中空
(へっがわん 財布じゃがなかみゃ ねんじゅから)
紫南支部 紫原ぢごろ
大か財布見かけほどいな入っちょらじ
(ふとか財布 見かけほどいな いっちょらじ)
紫南支部 二軒茶屋電停
憂う国一千兆円の赤字財布
(うれうくん いっせんちょうの 赤字財布)
薩摩郷句鑑賞 70
鼻づまゆ奥ずい通えた卸大根
(鼻づまゆ おっずいとえた すいでこん)
田代 苦瓜
ぼつぼつ大根の季節である。このごろほとんど一年中栽培されるので、いつでも食べられるけれども、やはりこれからの大根が、ほんとにおいしいと言えるのではあるまいか。
この句は大根おろしを詠んだもの。ツーンと鼻をさすような辛みがあって、口に入れてからあわてたのかも知れない。それを、つまっていた鼻に、奥まで穴があいたと表現したところが面白い。
出稼っの亭主てがっついの案山子す出っ
(でかせっの とてがっついの おどすでっ)
山内 成泰
若い人たちはほとんど「かかし」と呼んでいるが、年輩の人たちなら「おどし」という人が多いだろう。鳥威しからきたものである。
主人の服だの、帽子だのを使ったのであろうから、その姿がよく似ているのは当たり前だと言えばそれまでの句。実は、出稼ぎに行っている主人を案じたり、恋しく思っている作品であると言えるだろう。
友達が死んはたっきたよな婆ん惚け
(どしが死ん はたっきたよな 婆んぼけ)
安庭四郎兵
特に今のように核家族化が進んで、独り暮らしが増えてくると、語り合える友達が近くにいるかいないかは、極めて重要なことであろう。今までお互いに行ったり来たりして、話し合っていた友達が亡くなったので、急に心に大きな穴があいたようなお婆さん。なんだか惚け始めたように見えるのであろう。決してつくりごとではない。真実味の句。
※三條風雲児著「薩摩狂句暦」より抜粋
薩 摩 郷 句 募 集
◎12 号
題 吟「 時計(とけい)」
締 切 平成25年11月5日(火) ◎新年号
題 吟「 客(きゃっ)」
締 切 平成25年12月2日(月)
◇選 者 永徳 天真
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◇応募先 〒892-0846
鹿児島市加治屋町三番十号
鹿児島市医師会 『鹿児島市医報』 編集係
TEL 099-226-3737
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