緑陰随筆特集
がん医療を取り巻く変化とこれから
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鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科
先進治療科学専攻 臨床腫瘍学講座 特任教授 上野 真一
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この7年で,がん医療を取り巻く制度面や環境面はずいぶん変化してきました。例えば,抗がん剤治療は病院によっては約9割が外来で施行されるようになり,また緩和ケアに関しても,そのためのチームや病棟を持つ施設が増えてきました。これらは,2006年のがん対策基本法制定以来,国が本格的にがん対策に乗り出してきた表れであろうと思います。この根幹をなすのは厚労省と文科省による2つの大きな政策で,前者は「地域がん診療拠点病院」を中心とした医療体制の構築であり,後者は「がんプロフェッショナル養成プラン」を中心とした人材育成です。現在,各都道府県においては都道府県がん診療拠点病院(鹿児島県は鹿児島大学)を中心として,各二次医療圏に地域がん診療拠点病院をおき,診療所と連携あるいは役割分担を取ることが図られてきました。鹿児島県には,現在,8つの地域がん診療拠点病院があり,またそれを補完する目的で,県指定13のがん診療指定病院があります。そこで求められているのは,先の外来化学療法や緩和ケアの充実,認定薬剤師や認定看護師の育成,またがん登録やがん相談支援体制の推進です。私も約30年間がん診療の世界に身をおいてきましたが,がん治療だけではなく,これ程,ケアや管理にまで目が向けられたことはなかったと思います。
「がん難民」という言葉がありますが,世間に広まったのは,実は,がん対策基本法が制定された2006年ごろです。医療者は“治るがんの治療”にしか興味がなく,時に患者は見捨てられ,一方,患者さん自身は,より良い治療を求めてさ迷い歩くことをさし示していると思いますが,このようながん医療における問題は日本だけではなかったようです。米国がん治療学会ASCOと欧州臨床腫瘍学会ESMOが,国際的ながん診療における膨大な格差に対して共同声明を出したのも2006年のことです。注目すべきは,この中で,セカンドオピニオン,集学的治療,緩和ケア,がんリハビリテーション,臨床試験などが取り上げられ,その後,世界のがん医療はこれに基づいて進んでいるといっても過言ではありません。世界標準のエビデンス創出(大規模臨床試験)が求められ,またそのエビデンスに基づいた医療が強く求められるなど,少なくとも診療上の格差が生じにくい方向に進んでいます。日本においても,個々のがん治療やケアに対するガイドラインが続々出され,おそらく数え上げれば50以上あるのではないでしょうか。それらを医療者・患者共に理解した上でのみ,個別化あるいは代替治療も許される状況に変わってきました。
さらに,教育面で全世界的に求められているのは,従来のがん診療教育では不十分であった“全人的医療(Whole Person Care)”,すなわち,がん治療の全相(予防,診断,それぞれの治療,緩和,終末期医療)の標準的な医療内容の説明責任や適正医療を成しうる人材の育成です。これらを習得し,かつ専門的医療を遂行しうることが,いわゆる「がん専門医療人」の必要条件になると思われます。その上で,「チーム医療」のリーダー足ることも求められています。現在,がん患者の全人的医療のためには,診断・治療・緩和に関わる医師のみではなく,精神科や皮膚科医師,在宅医,歯科医師,化学療法や緩和を専門とする薬剤師・看護師,栄養士,理学・作業療法士,MSW(医療ソーシャルワーカー)などの多職種の連携が重要です。チーム医療の中心は患者ですが,やはり,そのチームを率いて意見を集約するリーダーも必要です。日本の状況下では主治医が最適任と思われ,今後は専門性のみならず,そういった調整能力なども必要とされると思います。現在,そのための研修会(PEACEやJ-TOP講習会など)も広く行われるようになってきました。また,座学においてもeラーニングと呼ばれるweb上の学習ツールなども非常に身近なものになってきました。日本癌学会,日本癌治療学会,日本臨床腫瘍学会によるeラーニング(www.cael.jp)などは誰でも利用でき,基礎的なものから全科における実地臨床,緩和や終末期医療,また地域連携や在宅医療的なものまで広範囲に大変わかりやすくできていると思います。さらに,これらのことは学部教育にも反映されてきており,4年生の新カリキュラムでは,まさしく多職種連携の場面が計15コマ,実習として組まれています。がん患者を在宅へ戻す,あるいは,社会復帰を支援する事例検討など,多職種個々の役割を知った上でのディスカッションも求められ,講義一辺倒であった我々の時代からは隔世の感があります。
私も,昨年10月より新設された臨床腫瘍学講座を担当させていただいておりますが,講座の目的は,従来の診療講座と協力しながら,まさしく,先の「がん専門医療人」を輩出することにあります。本講座は,文科省主導の「がんプロフェッショナル養成基盤推進プラン」により全国で15の「がんプロ養成基盤推進プラン」が採択され,それに伴い,臓器横断的ながん関連講座が全国43カ所に新設された中の1つです。他では,放射線療法9講座や化学療法7講座,また緩和医療10講座など,それぞれに特化した講座も新設されました。九州では,福岡県立大学を含む12大学よりなる1拠点に3講座(九州,長崎,鹿児島大学)設置されましたが,とくに長崎と鹿児島の場合には地域貢献も求められており,この中には,医師不足地域での研修なども含まれます。先の「がん対策基本法」の柱の1つは「がん診療の均てん化」であり,そのために,この3大学が連携しながら,地域特性に即した卒前・卒後教育を通して人材育成を行っていくことになります。
診療に関しては,昨年11月より学際的なCancer Boardを立ち上げました。Cancer Boardの設置は,先のがん診療拠点病院の認定要件の1つでもあります。がん診療に関わる医療者による病院規模のカンファレンスのことですが,がん関連20科と病理部,薬剤部,緩和ケアチーム,NST(栄養サポートチーム)など4部門のエキスパートが一堂に会し,問題症例に意見を出し合い治療方針を決定していきます。大学病院といえども,診療科同士の連携が常にスムースなわけではなく,このような多数の意見を公の場で出し合うことは,患者さん自身に直結する恩恵も大きいと感じています。院内でも徐々に浸透しつつあり,若手医師の参加も増えてきました。あらゆる角度からの意見を一度に得られる(聞ける)ことは,教育上も非常に有益だと感じます。
これまで述べてきたように,国内さらに国際的にも,がん医療はハードとソフト両面で大きな変化を遂げつつあります。しかしながら,日本にはもう1つの大きな課題があります。それは,ご存知のように急速に進む高齢化社会にどう立ち向かうかということです。現在の病院,介護施設,また自宅でお亡くなりになる数から推計して,2030年には約47万人もの死に場所がないとも言われています。先日の報道でも,例えば,杉並区の特養待機が2年待ちとかで,地方に移すか,あるいは在宅で頑張ってもらうより手がない状況が映りだされていました。2012年度からの新規5カ年がん対策推進基本計画では3つの柱が掲げられており,それらは,@がんの成績向上(そのための集学的治療向上),A患者と家族の苦痛軽減と療養生活の向上(そのための緩和ケアや相談体制の充実),そしてBがんになっても安心して暮らせる社会(そのための地域による患者や家族のサポート)です。お気づきになるかも知れませんが,がん対策としての2つの柱は,実は,「がん治療」そのものに対するものではありません。3人に1人はがんで亡くなる,その事実に対して,家族も含めて苦痛を軽減し,そしてサポートしようというものです。国も「どう治すか」から,「死を受け入れ,どのように支援するか」という面により方向性を打ち出してきており,できるだけ在宅支援を中心とした地域で支える医療に転換しようということだと思います。
情勢の変化に照らし合わせて,先に述べた学部教育や人材育成も即座に対応してきているように,大学病院も柔軟に地域に貢献できる存在でなければなりません。都道府県がん診療拠点病院である大学病院は,地域拠点病院等に対して,がん診療に関する教育・研修を推進する役割も担っており,各腫瘍センターを構成する4部門(緩和医療,診療企画,がん登録,相談・連携)の研修体制強化が必要とされます。それ故,本年度からは,内容充実と経費削減も念頭に後者3部門を統合した研修会へと移行させ,県下一円から多くの医療者の出席が得られるようにしました。その第1回目は,鹿児島県版「がん診療連携パス」改訂と利用促進を目的とした研修会としました。国内で「がんパス」が比較的機能しているのは熊本県のみかと思いますが,そのパスである「わたしのカルテ」を参考に,本県版も大幅に刷新し,また利用促進のノウハウについても,講師(医師ならびにコーディネーター)をお招きして直接学ぶ機会を設けました。患者主体の医療と医療費削減という点などから,このがんパス普及は評価されると思いますが,一方,“地域で支える医療”体制作りにおいては,唯一の「情報を共有するツール」になり得ます。つい最近,私も父を在宅で看取りましたが,在宅に至るまでのがん診療過程では,病院,診療所,院外薬局はじめ,訪問看護や介護も含め,多くの施設・スタッフが関わります。しかしながら,時間そのものに余裕はあまりありません。入院や外来化学療法,放射線治療,そしてターミナルケアまでの闘病生活を身近で看てきたこの1年間,情報を共有できる手段の必要性を強く感じました。医師である私にとっても,あらゆる過程で情報を取得し,また伝達することはそう容易なことではなく,ましてや一般の患者さん達のご苦労は想像に難くありません。「がんパス」に対する取り組みには,県側も前向きに対処いただいており,今後は,医師会の皆様のご理解と患者さんへの普及が重要課題です。
このような取り組みに合わせて,間接的に患者さんを支援するために,鹿児島県地域がん診療拠点病院のことが一目でわかるホームページや,各種手続きと地域資源のことがわかる患者さん用パンフレットなども完成しつつあります。また,診療面ではIT-Karteによる症例相談体制も整えられつつあります。鹿児島県は多くの離島をかかえ,さらに超高齢化社会先進県でもありますが,このような地域特性を加味した中でのがん診療体制作り(モデル作り)は,来る日本のがん医療体制再構築へも繋がるものと確信しています。
医師会の皆様のご理解とご指導をよろしくお願い申し上げます。

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