随筆・その他
来鹿23年目の7月に思う
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中央区・市立病院支部
(鹿児島市立病院) 森岡 康祐
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市立病院外科の西元先生からリレー随筆の「バトン」を受け取ったちょうど今時分,7月の初めは私にとって1年の中でもいささか感慨深い季節です。と申しますのは,20余年前の7月1日が私の市立病院生活の初日でしたので,毎年この時期になると何となく当時を懐かしく思い出します。
平成3年6月30日,日曜日の夕方,宮崎県日向港に川崎発のフェリーから愛車とともに降り立ち,FM宮崎を聞きながら新天地,鹿児島を意気揚々と目指しました。ラジオからは証券損失補填問題と橋本大蔵大臣のニュースが流れていました。ようやく辿り着いた夜の鹿児島は蒸し暑く,路面電車が行き交い,巨大なシロアリのネオンが目にも鮮やかな,そこはまさに南九州,南国鹿児島でした。今となっては見慣れた天文館の日常風景に過ぎませんが。
さて,鹿児島市立病院形成外科は東京女子医大・日本大学形成外科グループの関連施設として,常勤医師は今も両教室から派遣されています。私も女子医大から派遣された身ですが,もはや長く居過ぎたので実質的にはほとんど永住です。女子医大・日大形成グループの関連病院は13施設で主に東京,千葉,埼玉にありますが,そのうちの1つが鹿児島です。国分市に生まれ鹿児島大学を卒業された佐々木健司先生が,かつて市立病院での脳外科研修中に上高原院長の命を受けて形成外科研修に女子医大へ出向し,そのまま形成外科医としてアメリカ留学を終え,昭和60年に新設された当科に医長として赴任されて以来,女子医大形成外科の関連施設として今日に至ります。市立病院で部長をされた佐々木先生は平成7年に女子医大に戻りその後教授に,さらに平成13年に日本大学に形成外科を開設し初代主任教授に就任され,以来女子医大・日大形成外科グループとして当科も含めた関連施設間で人事交流が行われています。しかし,誠に残念なことに佐々木先生は平成21年9月に急逝されてしまいました。2年前に国分で行った「佐々木先生を偲ぶ会」には,大勢のご懇意にされていた方々が来賓としてお見えになりました。
昭和60年以来,佐々木先生を筆頭に現在まで約40人の女子医大医局員が当科に勤務しました。女子医大とはいえ教室員は男が圧倒的に多く,出身地,出身大学もいろいろです。鹿大卒業生も数人おりますが,今ではみんな幹部となってしまい近年,鹿大からの入局者がいないことが残念ですが私の努力不足と反省しています。ちなみに現在の当科医師の出身地も北海道,関東,中部,関西,九州と全国におよび,出身大学もさまざまです。鹿児島には概ね30歳前後の若さで赴任し,2〜4年間を豊かな自然と美味しい食べ物に恵まれた当地で過ごし,若さと体力に任せて重症熱傷,切断指,顔面骨折などの重度外傷をはじめ先天異常,腫瘍,その他さまざまな症例を経験しながら,ある者は専門医を取得し,またある者は配偶者を見つけ,そして任期が終わると女子医大や関連病院,あるいは海外留学先で活躍しています。ちなみに過去に赴任してきた教室員のうち,私の知るところでは8人が鹿児島で伴侶を得て幸福な家庭を築いています。
かく言う私も当初は2,3年の鹿児島勤務のつもりで赴任しました。大した覚悟も持たず甘い気持ちでやって来た私は,いきなり佐々木先生の厳しい洗礼を受け本当によく怒られました。ものを知らない,気が利かない,オペ中に手が出ない,などとさんざん怒られながらも仕事が終わると「さ,行こか。」と天文館によくお供させて頂いたものです。当時の私は不遇を恨みつつも佐々木先生の執刀される数々のすばらしい手術を見るにつけ,しばらくはこのままお世話になろうと思っていました。またそのころ,1人暮らしが2人になり,さらに1人,また1人と結局5人家族となってどっぷりと鹿児島に根付いていきました。
佐々木先生が女子医大に戻られた後,二代目責任者として菊池雄二先生(現,東京女子医大形成外科准教授)が,三代目に仲沢弘明先生(現,日本大学形成外科主任教授)が大学から来られました。当時の私は中堅スタッフという,今思えば比較的居心地の良いポジションでした。それが平成14年に仲沢先生の異動が決まると後任候補がなく,そのまま私がトップとして残されました。病院玄関で上司を見送った瞬間,長年見慣れた職場の風景が計り知れない責任の重圧とともに,それまでとは全く違ったものとして目に映ったことを覚えています。
それから早いもので10年余り。諸先輩からご教授頂いた経験を糧に何とか職務を果たしてきました。殊によく叱って下さった恩師,佐々木先生の厳しい臨床家としての姿勢には遠く及ばないながらも自戒すること頻りです。現在も東京から若い教室員が代わる代わる,かつての自分のように当院に赴任して来てくれます。常に人が入れ替わる職場は,固定スタッフが育たないなど弱点もあるかもしれませんが,組織の新陳代謝は活性化され利点も多いように思います。若いパワーと新鮮な雰囲気でいつもワイワイやりながらも,せっかく鹿児島に来てくれた医局員には高いモチベーションで実り多い臨床経験をし,また願わくば鹿児島生活もエンジョイしてもらいたいと思っています。私の体力はまだまだ大丈夫ですが裸眼が心許ない最近は,老眼鏡,ルーペ,顕微鏡を駆使しながら細かい作業もこなしています。
来鹿20余年,思えば与次郎の「マリンパーク」は「いおワールド」に替わり,鴨池芝生公園には巨大な県庁が聳え立ち,スライドはパワポに,ポケベルはスマホに替わりインターネットが世界を縮め,博多も日帰りになりました。そして今度は古巣,市立病院が新しく生まれ変わろうとしています。形成外科の世界も手技や治療法など少しずつ進化しています。呑気でアナログな自分としてはなるべく時代の波に乗り遅れることなく2年後の新病院,さらにその先も見据えてチーム形成外科が一丸となってこれからも邁進できるよう決意を新たに,ともすればマンネリ化しがちな己を戒める今年の7月です。
| 次号は,鹿児島市立病院の末吉和宣先生のご執筆です。(編集委員会) |

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