緑陰随筆特集

鹿児島県外出身言語聴覚士のハンディキャップ

鹿児島県言語聴覚士会 理事
(独立行政法人 国立病院機構 鹿児島医療センター 言語聴覚士) 田場  要


 言語聴覚士(以下,ST)として働き始めた頃,こんなことを感じたことがある。『鹿児島県外出身のSTは鹿児島での臨床業務は不利になるか?』。

 沖縄出身の私が鹿児島県内のST養成校を卒業したのは9年前。沖縄に帰ろうとも考えたが当時の沖縄県内におけるST求人数は少なく,悩んだ末に鹿児島県内の病院に就職することにした。就職先は鹿児島県内でも屈指の高齢化率を誇る地域の基幹病院であることに加えて,新卒ST2人による言語聴覚療法部門開設という状況であった。更に,同期入職のSTも私と同じく『鹿児島県外出身者』であった。言語聴覚療法部門の開設は常勤のリハ専門医,同僚などの支えもあり順調に進めることができた。訓練技術については経験のあるSTが在籍している近隣施設での研修を受け,月1回の地区ST勉強会等にも参加し先輩STからの指導を受けた。その甲斐あって臨床業務における【評価→訓練立案→訓練実施→再評価】の流れはスムーズになってきたが,一つだけ大きな問題があった。『県外出身者の不利』である。
 ある日の訓練中,難聴のない患者からSTの言葉を何度も聴き直されたり,STが患者の言葉をうまく拾えないこともあった。また,『私の言っていることは解らないでしょう?』等と言われることもあった。同僚や患者の家族からその地域の方言を習い,アクセントの違いを録音したり,標準失語症検査場面を録画し患者の反応を振り返ったり…,とにかく県外出身のSTにとっての臨床業務は『不利』だと感じながら臨床業務を続けてきた。また,言葉のみならず地域全体の状況について無知であったことも,言語療法を行う上では問題と感じられた。その様な日々を送っていた頃,リハ室とは異なる部署の職員から院内バレーボール部の練習に誘われた。それがきっかけで多くの部署の職員と関わることができ,業務でも連携が図りやすくなった。バレーボール部職員の多くが地元出身者ということもあり入部後は地域行事に参加するようになった。また,元来のバスケットボールの経験を活かし,地域の中学校バスケットボール部の外部コーチという機会も得た。2年ほど経つと,私の方言の聴き取りは大分改善し,私のなかなか抜けない沖縄訛りでも患者とのコミュニケーションがスムーズになっていることに気付いた。
 振り返ってみると,鹿児島県外出身ということは,私のSTの臨床業務における『一過性』のハンディキャップとなった。しかし,自身の獲得してきた言語(方言)や文化的背景と比較しながら,新たな言語・文化を学んだり,沖縄の良さを再認識する機会を通してSTとしてのコミュニケーション・スキルは成長し,結果的に患者やその家族との良質のコミュニケーションに繋がっていると感じる。勿論,ハンディキャップに悩んでいた私を支えてくれた同僚や上司,ともに部門開設を行ったSTの存在が大きかったことは言うまでもない。現在の職場へ移った後も当時のメンバーで集まり,酒を酌み交わしながら当時のことを語り合うことがある。その甲斐あって私は鹿児島の文化を沢山学ぶことができた。文字数の関係ですべては載せられないが,今では泡盛よりも芋焼酎がおいしいと感じられるようになれたのは,きっとその方々のおかげだろう。これからも様々なことに挑戦し,コミュニケーション・スキルを高めていきたい。



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