緑陰随筆特集

金婚記念ミニ旅行
彦根,大津から東京へ
中央区・城山支部
(高見馬場リハビリテーション病院)  林  敏雄

 平成25年の5月中旬,滋賀県大津市で行われる,旧・大阪陸軍幼年学校の2年後輩のクラス会に招待されて行くことになった。今年は7回目の年男(巳年)で,結婚50周年でもあるので,ついでにミニ旅行を思い立ち,5月13日,新幹線で先ず彦根に向かい,彦根城目前のキャッスル・ホテルで旅装を解いた。お城が見える部屋をお願いしてあったので,濠を挟んで天守閣が良く見えた(写真1)。彦根城は井伊家の居城で,中でも幕末に水戸浪士に暗殺された大老・井伊直弼が有名だ。早速,散策に出かけ,先ず彦根城博物館に入った。井伊家の象徴は朱塗の甲冑で,マスコット・キャラクター“ひこにゃん”にも見られる(写真2)。武具のほか調度品や能面などの美術品が多く展示されていた。
 “玄宮園”は近江八景を模した素敵な大名庭園で,高台に聳える天守閣が良く見えた(写真3)。庭園を出ると観光人力車が待機していたので乗ってみた。赤い襦袢を着た威勢のいいお兄さん車夫で,日本にお城は沢山あるが,国宝は彦根城,姫路城,犬山城に松山城の4つしかないと教えてくれた。井伊直弼の銅像や,彼をモデルにしたNHK大河ドラマ“花の生涯”の石碑(写真4)を見たり,白鳥や黒鳥が泳ぐ反対側の濠に出て天守閣を眺めた。夜は天守閣がライトアップされて美しかった。

 
写真 1 彦根城(キャッスルホテルより)

写真 3 彦根城(玄宮園より)

写真 2 井伊家の甲冑

写真 4 “花の生涯”の石碑


 14日は電車で近江八幡に移動して,お菓子で有名な日ひ牟む禮れヴィレッジを訪ねた。八幡宮の参道を挟んで,町屋造りの和菓子の「たねや」(写真5)と,赤レンガの洋菓子の「クラブ・ハリエ」が建っていた。どちらも観光客で一杯で,「たねや」のほうは栗饅頭に最中が美味しい。クラブ・ハリエはバウムクーヘンが有名だが,店内で製造の実演販売をしていた(写真6)。
 外に出て八幡宮参拝に行くと5月とは思えぬ暑さで,背後に高さ272mの八幡山が聳え,ロープウエイで昇れるようだった。日牟禮茶屋で昼食に稲庭うどんを食べたら美味しかった。
 午後JRで大津に移動して近江神宮を参拝した。飛鳥時代645年,中大兄皇子は中臣鎌足と謀り,当時権勢を誇っていた蘇我入鹿を暗殺して大化の改新が始まった。667年近江大津宮に遷都し,翌年即位して天智天皇となり,近江神宮の祭神である。数ある業績の内,671年6月10日,日本で初めて水時計(漏刻)を造ったと伝えられているので,6月10日は「時の記念日」と決められ,小学校の先生から時間を大切にしなさいと教えられるものだった。偶々私の誕生日が6月10日なので,いつか近江神宮を参拝したいとの願いが叶うことになった。真紅の楼門を潜ると(写真7),左側に時計館宝物館があり,庭には水時計が造られてあった。4段階の石の水槽にサイフォンで少しづつ水を下に漏らし,一番下の水槽に浮かせた矢の目盛で時刻を知るという装置のようだった(写真8)。

 
写真 5 たねや店内

写真 7 近江神宮の楼門

写真 6 バウムクーヘン製造

写真 8 水時計(レプリカ)


写真 9 琵琶湖(KKRホテルびわこより)

写真 10 新東京ステーション

写真 11 皇居(ステーションホテルより)

写真 12 新歌舞伎座


 後輩のクラス会は午後6時半から“KKRホテルびわこ”で始まった。琵琶湖湖畔の素敵なホテルで,部屋からの眺望が最高であった(写真9)。フランス語学班及びロシア語学班夫々30人づつ計60人のクラスで,既に亡くなったのも多く,出席者は夫人も入れて20人ほどであった。このクラスは旧制中学1年修了後,昭和20年4月に難しい入試を突破して入校してきた。終戦で僅か5カ月の学生生活であったが,同じ釜の飯を食っているので結束は固い。この1年生と起居を共にして生活面の指導するよう,3年生から模範生徒の肩書で3人選ばれた。しかし2人は既に亡くなり(1人はUCLA病理学教授),私だけが残った。
 模範生徒は1年生を軍人らしく鍛え直すので怖い存在であったが,体罰は禁止されていたので殴ることはなく,普段は優しくて兄貴のように慕われることが多かった。懇親会では皆後期高齢者で先輩後輩の区別もつかず,近江牛の御馳走を食べながら,少年時代に戻って話が弾んだ。戦後は大学を出て,日本復興の中核となって頑張ったのが多い。世話役の久馬君は京大農学部の教授だったし,東大医学部出身の原君は,“桃介”という変わった名前なので家内が由来を訊ねると,明治時代,発電所の設置などで日本近代化に大きな足跡を残した福沢諭吉の養子・福沢桃介から採ったという。最後は校歌を高らかに歌ってお開きとなった。
 翌朝9時に観光船で琵琶湖周遊に出る後輩達を見送ってから,家内と新幹線で東京に向かった。途中,沼津の手前から富士山が奇麗に見えたが,今回三保の松原を含めて世界文化遺産に登録されて本当に良かった。しかし今後の環境整備が大切だと思う。改築された新東京ステーションホテルに1泊したが(写真10),皇居が目の前に見える部屋で素晴らしかった(写真11)。部屋に案内してくれた係りの女性が,8角形のドームで撮った金婚記念の写真をサービスしてくれたし,夜のイタリアレストランでは,お皿にチョコレートでお祝いの言葉が書いてあった。駅前広場には観光客が団体で押し寄せて,一斉にカメラのシャッターを切っていた。鹿児島を出発する前,東京駅を巨大スクリーンにしたプロジェクション・マッピング(動画)をテレビで見て凄いと思ったが,交通の妨げになるという理由で行われなくなったのは残念だ。
 新東京ステーションホテルの左隣にあった旧東京中央郵便局は,低層部を“KITTE”という名称で,今年3月商業施設としてオープンした。その2〜3階は東大が保存している生物博物館になっているというので覗いてみた。30万年前まで日本に生息していたマチカネワニや,17世紀までマダガスカル島にいた巨大駝鳥のようなエピオルニスの骨格標本などがあり興味深かった。
 歌舞伎では中村勘三郎,市川団十郎が亡くなり,市川猿翁は体調不良で舞台に立てず,息子たちと世代交代が行われた。観劇は出来なかったが,改築された新歌舞伎座を写真に収めた(写真12)。東京スカイツリーや大相撲6日目を見たり,気仙沼の被災地を追悼訪問したりして,有意義なミニ旅行が出来て本当に良かったとの思いで鹿児島に帰った。



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