緑陰随筆特集

「これだから研究はやめられない」
鹿児島大学医用ミニブタ・先端医療開発研究センター
遺伝子発現制御学分野 教授      佐藤 正宏
 
 「佐藤先生,当大学に先生が教授としてお招き願うこと今回の会議で決定しました」。2005年12月,X'mas直後の鹿児島大学フロンティアサイエンス研究推進センター(FSRC)(当時)センター長宮崎智行工学部教授(当時)からの電話であった。東海大学総合医学研究所(神奈川県伊勢原市)に1996年に助教授として赴任してから9年目。あるいは,他大学への移籍を目指してから,2年目。五回目の面接でやっと決まった出来事であった。「これで自分の目指す研究を思う存分にできる」。まさに意気洋々たる気持ちであった。
 私は最近世界遺産に登録された平泉の近く岩手県一関市の出である。東北大学理学部生物科を1978年に出たあと,静岡大学(静岡市)理学部大学院修士(野口基子講師(当時)に師事;静岡大学教授を経,2006年に退官),国立遺伝学研究所(静岡県三島市)系統保存部(故野口武彦研究員(当時)に師事),鹿児島大学医学部大学院博士(村松 喬教授(当時)に師事;その後,名古屋大学,愛知学院大の教授職を歴任)と渡り歩いた。静岡大学ではテラトーマの研究とキメラマウス作成,国立遺伝学研究所ではES細胞の樹立を目指した。鹿児島大学ではマウス発生学と細胞表面糖鎖の研究を行った。鹿児島大学の博士課程を出た後,1985年外資系の製薬会社ヘキストジャパン(現,アベンティスファーマ株)の医薬基礎研究所(埼玉県川越市)に入社した。入社半年目から内地留学として東海大学医学部DNA生物学研究室(勝木元也教授(当時)に師事)に2年間ほど出向した。そこで,外来性遺伝子をマウス受精卵に導入(顕微注入)し,当該遺伝子を自らのゲノムに有する形質転換マウス,いわゆるtransgenic(Tg)miceの作成・解析法を研修した。
 1981年米国で初めてTgマウス作成の成功が報じられてから,国内でもその作成が幾つかのラボで行われ始めていた。中でも東海大・医は国内では先導的な位置におり,実験動物中央研究所(以下,「実中研」;神奈川県川崎市(当時))と共同でそのようなマウスを量産しようとしていた。勝木先生はその前までクローンマウスを世界で初めて作成したK Illmensee and P Hoppe [Illmensee教授(当時,スイスの大学)がメインに行った仕事であるが,当時からその成否が疑惑視されていた有名な論文(Cell 23: 9-18, 1981)] の米国Jackson研究所のHoppe博士のラボに留学されており,そこで受精卵にDNAなど注入する胚操作技術を習得された。帰国後も実中研で自らmicromanipulatorを駆使し,Tgマウス作成を強力に推進されていた。一方,東海大では私を含む研究員,学生に対する指導に当たった。その個性たるや極めて強烈。曰く,「やる気がない者は即刻去れ,俺は求めて来るものには誠心誠意対応するが,求めて来ない者,チャレンジしない者は容赦なく無視する」。この独特の空気の中,研究者にはレベルの高い研究成果が求められた。曰く,「Cell,Natureに掲載されないような論文は,トイレットペーパーと何ら変わらない」。
 Tgマウスは基本的に外来性遺伝子の強(過剰)発現による。特定の遺伝子の強発現から誘起される病的な表現型の誘発(疾患モデル動物作成),あるいは疾患責任遺伝子の欠損を補う病的な表現型の回復(遺伝子治療),独自に単離した遺伝子の生体内での機能解析など,様々な分野に適用されてきた。1988-1991年当時は国内でのTgマウス研究の走りでもある。幸いにも実中研では,脳内のミエリン(神経系シグナル伝達に重要)合成不全により企図振戦を示すshivererと呼ばれる突然変異マウスが飼育されていた。このマウスでのミエリン合成不全はミエリン塩基性タンパク(MBP)遺伝子の異常(一部欠失)に起因する。そこで,正常なMBP遺伝子をこの変異マウスのゲノムに導入すれば,企図振戦のない正常な表現型に復するのではと考えられた。この目論見は的中し,正常なMBP遺伝子を導入されたTg shivererマウスでは,ミエリン合成は回復,企図振戦も解消された。これは「先天的な疾患を遺伝子で治す」遺伝子治療の先駆けとなった(Kimura et al., PNAS 86: 5661-5665, 1989)。しかし,この論文をPNASに出すまでには,内部で大きな藤があった。
 「勝木先生!先生がされている研究と同じ内容のものが,今,Cellに掲載されようとしているわよ」。当方と一緒にTgマウスの研修を受けていた垣生園子教授(当時,東海大学医学部免疫学;現,順天堂大特任教授)からの一報であった。その情報は,垣生先生が懇意にされている英国の先生からもたらされた。我々も上記論文をNatureに投稿すべく,鋭意準備している最中であった。それから俄然火が付いた。一週間内に投稿すれば,何とか間に合う。「よし!俺が原稿をタイプする」。勝木先生が率先してタイプライターの前に陣取った。論文の骨子は当時助教授であった木村 穣先生(現,東海大学医学部分子生命科学教授)が既にまとめていた。
 「佐藤君。君は残れ。君は論文の目利きが効くから内容をチェックしてくれ」。私は会社から派遣され,技術の習得に来た博士号を取得したばかりのさもない研修員である。「これまでタッチしていなかった研究に何で私が参加せねばならないのか」。不条理を感じたものの,勝木先生に請われては断るすべがなかった。
 それから3日間寝ずの地獄が始まった。最初は和気合い合いだった。しかし,その雰囲気もすぐに霧散した。最初に噴火したのは,勝木先生であった。「ああーー。またミスをした!」。うなり声のような苦渋に満ちた独り言が重苦しく隣にいた我々の耳に届く。
 論文作成は今ではWordsなどのソフトを用いてパソコンで仕上げるのが常套になっているが,当時はタイプライターからパソコンへと移行する過渡期にあり,東海大ではまだタイプライターが主流であった。それでも,IBM社の新式のタイプライターを購入し,旧式と比べ,タイプミスの修正はスムーズになっていた筈であった。にもかかわらずである。勝木先生のタイピングが下手なのか,焦りという重圧が彼を押しつぶしたのか。漏れ出てくる彼の苦渋を見かね,手伝いますかと手を差し伸べても彼は頑としてそれを受け入れない。
 私は当時まだ30歳過ぎたばかりであったが,徹夜は若い頃から苦手で,自由に眠らしてもらえない状況の中,精神・肉体とも疲労困憊の極みであった。「先生,この論文には当方余りコミットしていないので,家に帰らせていただけませんでしょうか」。「何を言っているんだ,お前。まだ,残れ!」。敵前逃亡など許さんばかりの剣幕であった。
 「この状況の中,何をすれば良いのか」。鬱々な状況を打開すべく,外に出て,ドリンク飲料を大量に買い込んだ。2時間に一本,それを飲み続けた。みるまにビンの山が出来た。一方,木村先生も殺気立っていた。普段は関西弁で冗談をよくいい,きさくな先生であったが,この時ばかりはヒトが変わった。彼の書いた論文を眺めていると,「transgeneからのmRNA発現はpoly(A)sitesを2箇所設けることでその合成が完全に止まる」というくだりが目に入った。「先生,この記載は皆が周知しているので,redundancyを避けるためには,削除しても良いのでは」とのたまったところ,「何を言っているんだ。これは重要なんだ。絶対,この文章は抜く気はない」と気色ばんだ。「しかし,MBPというタンパクが変異マウスで発現されていることが今回の論文では主眼で,このくだりはmarginalでは?」。結局,この議論は平行線に終わった。こんな状況を繰り返しながらそれでも3日目には何とか論文完成のメドがみえた。「よし,これで一日休み,その翌日投稿しよう」。勝木先生は宣言した。3日目の夜が白みかける頃だった。
 結局,この論文はNatureにもScienceにも拒否されたが,PNASで拾ってもらえた。この修羅場以来,我々の間には奇妙な連帯感が生まれた。戦友である。
 とはいえ,当方も2年の研修を半年後に終え,会社に戻る時期になっていた。当方の研究テーマは,「anti-sense MBP遺伝子を正常なマウスのゲノムに挿入し,MBPが合成できないshivererマウスと似た病態を作る」であった。遺伝子治療の対極である,病態モデル動物作成(この作成により,疾患メカニズム解明や新薬の開発ができる)を目指した実験である。いまでこそ,anti-senseはRNAi(RNA干渉法)に代表されるように,標的遺伝子の発現を抑制する有力な方法とされているが,その当時,そのような方法で本当に目的とする遺伝子の発現が抑えられるのか疑問視されていた。この趨勢を覆したのは,米国の故Weintraub博士らの論文(Izant and Weintraub, Cell 36: 1007-1015, 1984)であった。彼らは培養細胞でanti-sense cDNA [cDNAをpromoter(遺伝子発現を促すDNA上の制御領域)の下流に逆向きに配置したもので,遺伝子工学で簡単に作成できる] を強制発現させることで,効果的に目的遺伝子の発現を抑制出来ることを示した。しかし,その系がin vivoでも有効であるかどうかは不明であった。私はanti-sense MBP cDNAをMBP promoterの下流に据えた発現ベクターを構築し,勝木先生はそれを受精卵に導入するという分担作業で事を進めた。そして,数カ月後,朗報がもたらされた。「佐藤君,マウスが震えているんだよ。それもTgマウスだけ」。明治維新の立役者西郷隆盛は望みが成就したとき,「我がことなれり」と感懐したようだが,まさにそのような境地であった。「先生!これは私に論文を書かせて下さい。筆頭著者も私でお願いします」「判った。今度は(世界に)負けないよう,早めに準備しよう」。1988年1月東海大を出る頃には,8割ほど完成した素案を彼に残した。その後,筆頭著者を誰にするかでもめたが,「この論文の重要性は頗る高い。今後の我々の研究方向を左右するものなので,私(勝木先生)を筆頭著者に据えることで,佐藤君,何とか了承してくれ」と説得され,私もそれであれば仕方なしということで,了解した。そして,同年それが晴れて,Scienceに掲載された(Katsuki et al., Science 29: 593-595, 1988)。これは後日,新聞にも大々的に掲載され,関係者一同達成感を共有した。その後,勝木先生はとんとん拍子に出世した。九大生体防御医学研究所細胞学部門教授,東大医科学研究所ヒト疾患モデル研究センター教授,岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所所長,大学共同利用機関法人自然科学研究機構理事,科学技術会議生命倫理委員会委員,と国政に参加するほどの国内での発生工学関係の大御所となられた。私は会社に戻り,勝木先生の下で学んだ発生工学を導入し,幾つかの病態モデルマウスを作成した。1996年勝木先生の後釜となられた木村教授のお誘いをうけ,約10年間彼の許で発生工学関係の研究を行い,そして,2006年4月鹿児島に赴任した。
 鹿大では発生工学の手法を用いて遺伝子組換えブタを作るため,その分野に長けた人材を求めていた。私はそれに応募し,その結果,運良く鹿大に拾って戴いた。
 私の鹿大での役目は,ブタ細胞のゲノムをヒト型にすることである。具体的には,特定の遺伝子を破壊したブタ細胞を作ることである。この特定遺伝子とは,細胞表面糖鎖の一つであるa-Gal epiotpeを作る糖転移酵素a-1,3-galactosyltransferase(a-1,3-GalT)である。a-Gal epiotpeはブタ臓器あるいは細胞をヒトへ移植する場合(「異種移植」と呼ばれる),ブタ移植片に対する超急性拒絶を招く元凶である。そこで,ブタ個体からa-Gal epiotpeの発現を無くす必要がある。そのためには,a-1,3-GalT遺伝子を破壊せねばならない。a-1,3-GalT遺伝子の破壊はgene targeting(標的遺伝子破壊法,KO法とも呼ばれる)を用いて達成できる。ちなみに,この手法は遺伝子の機能解析,疾患モデルマウス作成に強力な武器として知られており,その開発者であるMario Capecchi, Martin Evans, Oliver Smithies博士らは2007年にノーベル生理医学賞を貰っている。もし,このようなa-Gal epiotpe発現がないブタ細胞を手にした場合,この細胞をブタ卵子(卵子側の核は除去されている)に導入することにより(この手法は,「体細胞核移植」と呼ばれる),最終的にa-Gal epiotpe発現をしないクローンブタを得ることが出来る。
 問題は,gene targetingでブタ細胞内のa-1,3-GalT遺伝子を破壊しても,両方のallelle(対立遺伝子)に乗る当該遺伝子は大概片方の遺伝子しか破壊されないという点である。破壊を免れたもう片方のallelleに乗る遺伝子は無傷のままである。いわゆるヘテロKO細胞の状態となる。この細胞はまだa-Gal epiotpeを発現する。望むらくは,両方のallelleに乗るa-1,3-GalT遺伝子を破壊することができないか?である。いろいろ試したが,ここ数年不本意な結果に終わってきた。ところが,最近,CRISPR/Cas9という第三世代と呼ばれるKO法が開発された。この方法は安価で,自在なデザインが可能である。しかも,発現型ベクターである。たった2種のベクターを細胞に導入するだけで,目的遺伝子の破壊が可能となる。特に,それにより両方のallelleに乗る目的遺伝子を一回の遺伝子導入で効率良く叩くことができる優れものである。最近,私もそれを活かし,a-1,3-GalT遺伝子を完全につぶしたブタ細胞を得ることが出来た。
 最近では,遠視と近視が混ざり,目先のものが良く見えない。五十肩も依然直らない。体力も若いときより落ちた。何よりもやる気がイマイチだった。しかし,今年CRISPR/Cas9と出会ってからは,あの勝木先生と一緒に過ごした研究時期の暑苦しさ,興奮が蘇りつつある。また,あのじりじりするような経験をもう一度。これだから研究はやめられない。



このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2013