昨年9月30日福岡県久留米市に定年退職後永住している高校時代の親友を訊ねた。年1回会う事にしている。彼が予約していた料理店で昼食を摂りながら,お互いの1年間の生活について話し合った。4時間位そこにいて駅まで見送ってもらった。高校時代家が最も近く同じクラスであったから一番の親友であった。彼は山大のドイツ語科を出て,久留米工専のドイツ語の教授になり定年退職したのだった。
10月1日,私はいつものように9時から診療を始めた。その日は体調の異常は何も感じなかった。2日ピンチヒッターで受付に出た娘が「父さん病院へ行こう。」と言う。「どうもないから行かないよ。」と私は答えた。10分程して今度はプレが顔を出して「先生,病院へ行きましょう。」と言う。プレが言うなら行ってみるかと息子の車でかかりつけの友人の病院へ行った。息子さんが聴診し「ラ音が聞かれます。胸写を撮りましょう。」と言われた。37.5℃位の熱と食欲不振,軽い咳位の症状だ。中学生の時右肺尖の結核を2回したので,最近睡眠不足で肺結核の再発かと思っていたら,左肺下葉に肺炎を起こしているということで,そのまま入院になった。身体は余りきつくないが食欲が全くない。抗生剤も内服で始められたが効果がない。副院長(息子さん)は点滴にきりかえて500mlの栄養の点滴もはじめて下さった。
2週間もするとオカユが食べられるようになった。CRPも0.7とおちて来た。それにしてもどこで肺炎を貰ったのだろうかと本を調べてみると,「市井肺炎」という病名が載っていた。道路には肺炎球菌がゴロゴロおちているというのだ。強い菌を吸ったり,疲れていたり,ストレスがあったり,高齢者になると,それらを吸って肺炎になるのだ。日本人の平均的死因の第一は癌だそうだが,高齢者では肺炎が第一の死亡原因と最近なったそうだ。偉い人の経歴をみても,仮に肺癌をもっていても肺炎で死亡するそうだ。私は,3カ月の入院でラ音は消え左肺の陰影も無くなり,12月29日退院の許可がでた。プレの言う事を聞かず,副院長が懸命の治療をして下されなければ82歳であの世へ行っていたかもしれぬ。或いは神様がお前は未だ働きが足りないからもうしばらく地上で人のためにつくして来い,とおっしゃったのかも知れぬ。
今回を通して健康第一と改めて感じた。職業に貴賤はない。体力があれば土方で家族を養えるのだ。然し私の身体では角力にはなれぬ。「病は気から」という。その(気はその人の思考のことだ)自分は身体が弱いと思わないことが大事だと或る本に書いてあった。
原因が消えれば結果も消える。原因をつくらなければ結果も生じない。
A man's life is what his thoughts make of it.
プレとはドイツ語の“Pflegerin(プフレ−ゲリン)”
からくる看護師を表す呼称です。(編集委員会) |

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