3月は年度終わりでもあり,新しい旅立ちの季節でもあります。我が家では末息子が高校を卒業,4月に巣立っていくと我が家の暮らしも新たな時代に突入しそうです。
新しい門出といえば,母校の人間環境学講座環境医学分野の教授に就任した堀内正久君から挨拶が寄せられました。実は彼とは大学の同期で,教養時代には酔っぱらった彼の自慢の歌声を聞かされていたばかりか,大学院時代にも佐伯武頼教授の教室で実験をしていた仲間です。先日,卒後25周年同窓会の打ち上げ会で話してくれた共同獣医学部との人間と同じ睡眠パターンを持っている世界最小ミニブタについての共同研究はとても面白く,睡眠障害の研究発展に寄与していけそうで彼らしいユニークな研究の発展を期待しています。
随筆では,河村秀敏先生から郷句と私というタイトルのエッセーを投稿いただきました。医局の後輩になる娘さんが,デトロイトに留学中の私宛に先生の著書「書いてまた消す ごはんのたより」と日本茶を送ってくださったことがあり,嬉しかったことを憶えています。鹿市医郷壇への投稿が少なく存続の危機にあるので私も投稿しようと思い,鹿児島弁事典や川柳の本を買い込んで独学中ですが,残念ながらペンネーム“宇宿がさ医者”だけしかまだできていません。
今回のリレー随筆は今村直人先生の野球への熱い思いと父親としての一面も垣間見るお話でした。先生の大好きな野球と鹿児島はとても深い縁で実は結ばれています。野球の名付け親は通説の正岡子規ではなく,本当は鹿児島出身の一高の野球選手だった中馬 庚が,明治26年に「ベースボール」を直訳すると「底球」となるが,「テニス」の「庭球」と耳にした時に混合されやすいため,庭ではなく野原で行うので「野球」と訳したのが始まりであることを岩中祥史氏の鹿児島学で知りました。
訃報では,愛甲俊先生への会長弔辞が掲載されています。私が医師会に入会した頃,同じ紫南支部会員であったばかりか,天文館でのホームバーも同じ池田バーということで大変かわいがっていただき,感謝しておりました。昔日の池田バーでブランデーを美味しそうに飲んでおられた姿が思い出されます。
この原稿を書いている最中に携帯型空間除菌剤「ウイルスプロテクター」騒動がありました。2月15日朝に日本臨床皮膚科医会からのメールで第1報が届き,すぐにメールとファックスで市内外の皮膚科医に通知し,症例報告をお願いしたところ,2月18日,消費者庁の深夜のプレスリリース前までに4例,28日現在で12例の患者さんを確認し報告してきました。おそらく日本でも一番速やかな対応だったのではと自負しています。今回の騒動で感じたことは情報の重要性を吟味し,スピーディーに公開してみんなで共有することの重要性でした。医師会活動についても同様のことが求められるのだと思います。当会の附属施設の業績報告もなされていますので現状をご覧ください。
会長雑感でも述べられているように会館建て替え問題は進展していることでしょうが,前期2年間を臨床検査センター問題解決と公益法人化が終わるまではという大義名分で,会館建設検討委員会を1度も招集すらせず無為に過ごしたからといって,消費税アップに絡めて拙速に事を進めずに,十分な検討をして会員のニーズにあったシンボルに建て替えたいものです。なにせ40年に1度の大仕事ですから。
公益法人に移行して初の役員等選挙の日程告知も掲載されています。もう,みんなで会館に集合しての投票は終わりました。新たな時代へ進む新体制は4月の臨時代議員会で決まります。
(編集委員 島田 辰彦)

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