随筆・その他

リレー随筆

たかが野球,されど野球…

東区・紫南支部
(今村小児科アレルギー科) 今村 直人

 私は野球が大好きで,幼少の頃から暇さえあれば近くの空き地や公園で友達をつかまえてはキャッチボールや三角ベースボール等,とにかく野球ばかりしていた記憶がある。小学校高学年の頃はクラスで野球チームをつくり,土曜日の午後などによく団地にある中央公園のグランドを借りては他のクラスとソフトボールの試合をして,大いに楽しい時間を過ごしていた。野球選手気取りで,みんな自分のサインをつくって自慢したり,とにかく野球に情熱を注いでいた。その当時は毎晩のようにジャイアンツ戦がテレビ中継されていて,子供ながらに王 貞治や長嶋茂雄の活躍に胸を躍らされていたものだ。特に王選手がハンク・アーロンのホームラン記録を塗り替えたシーンは今でも鮮明に記憶に残っている。
 中学・高校時代は野球部,大学時代はソフトボール部,そして医局に入ってからは小児科医局の野球チームはもちろんのこと,赴任先の病院でも野球チームに所属したり,チームを立ち上げたりと,とにかく野球に多くのエネルギーを注いできたような気がする。最近は大分プレーをする機会が減ってはきたが,年間何試合か草野球を楽しんでいる。5年ほど前は,昔の高校野球少年(今はおじさん)たちのマスターズ甲子園を目指す高校のOBチームにも所属し,硬式での練習や試合もしたものだ。硬球と軟球のちゃんぽんで張り切ってやりすぎたために,肩を壊してしまい,1年ほどリハビリに通う経験もした。野球のために真面目にリハビリに通っていたら,ちゃんと肩も回復し,ある程度のボールまでは投げられるようになった。あらためてリハビリの大切さを身をもって経験できたことは,ある意味いい経験であった。肩が回復してしまったために,一度は野球からの引退を考え,やっとゴルフの道に進めると思っていたのであるが,まだまだやれる錯覚をおこして,今でも一応現役プレーヤーである。当然のことながら年々年をとり,さらには開業したこともたたって運動不足でもあるので,とても怪我が心配ではあるが,一度グラウンドに立てば,やはり血が騒ぎ,塁に出れば年甲斐もなく次の塁を狙いたくなって,しれっと盗塁をしたりしている。1点勝負だとはらはらどきどき,熱い時間を送れるので,とてもいい刺激になっているようである。若さを保つためにもやり続けることが重要なのかもしれない。
 息子たちのサッカーの話を書こうと思って書き始めたはずなのだが,自分の野球の思い出話になってしまったようである。そうそう野球の思い出といえば,7,8年前になるが,九州の小児科の野球大会で優勝し,九州の代表として全国大会に出場して,名古屋ドームで試合をさせていただいたことがある。当時はまだ肩が元気で,あの名古屋ドームのマウンドに立ち,さらには新潟大相手にノーヒットノーランの怪投?ができたいい思い出がある。もうひとつ,国内留学で国立小児病院に勤務していた時代に,熱心な慈恵医大の先生方のおかげで,1人1万円払ってあの神宮球場で試合を楽しむこともできた。1イニングだけマウンドも踏むこともできよき思い出となった。こう振り返ってみると,野球のおかげで仕事に就いてからも多くの楽しい時間をもてたし,医師だけではなく,病院のいろいろな部署の人たちと仲良くなれて,本当に野球を通して,貴重な経験をしてきたなーとあらためて感じる。
 昔はナイター中継の影響もあり人並みにジャイアンツファンでもあったが,ロッテオリオンズ(現 千葉ロッテマリーンズ)が鹿児島市でキャンプをしていたこともあって,小学生の頃に何回か鴨池球場に足を運んでキャンプを観戦したものだ。当時は村田兆治やミスターロッテこと有藤道世が現役で光っていた。選手からサインをもらえることもあり,嬉しくてあっという間にロッテファンにもなったものである。しかしながら,浪人時代や大学時代を福岡で過ごすと,さすがにホークスの試合を見る機会が増えて,いつの間にか熱烈なホークスファンに変わっていった。最初ロッテ対ホークスの試合を見たときには,どちらのチームにも勝ってほしいようなへんな感じで両チームとも応援したりしたこともあった。ソフトボール部の仲間としょっちゅう平和台球場に足を運んで,ビール片手にライトスタンドで騒いでいたのがこれまた楽しい,いい思い出である。
 ホークスといえば,2003年に星野仙一監督率いる阪神との日本シリーズを戦い,見事優勝した伝説がある。たまたま?福岡に研究会のためにいたので,チケットを持っていなかった私はいてもたってもいられなくなり,生まれて初めて天神の金券ショップを覗いてみた。なんと,ショーウインドウのガラス越しにライトスタンドのチケットがあるではないか。日本シリーズのチケット目的のような人が数人周囲にいたので,いつ売れてもおかしくない状況であった。今,このチャンスを逃してはきっと一生日本シリーズを見る機会はやってこないと勝手に自分に言い聞かせ,通常の料金の10倍ほどの金額を払ってチケットを手に入れることができた。妙に緊張して?興奮して?震える手でお金を払ったことを覚えている。日本シリーズの雰囲気は独特で,妙に盛り上がっていた。いつもホークスファンで埋め尽くされている福岡ドームに多くの阪神ファンが陣取っていたのにはびっくりした。その日のホークスは杉内俊哉投手が頑張り,打線も大爆発して大勝したため,ライトスタンドはずっとお祭り騒ぎだった。おかげで最高のビールを味わうことができた。日曜日のナイターだったので,最終の鹿児島行きの特急列車(つばめ)には間に合わず,夜中に出発して朝早くに着くドリームつばめ(懐かしい)に乗り,余韻に浸りながらさらにもう一杯ビールを楽しみながら帰ったものだ。なかなかのハードスケジュールではあったが,とても貴重な体験ができた。一生の思い出ができたような気がする。頑張ってチケットを手にいれて本当によかったと思うし,その時の自分の判断は間違っていなかったと確信している。後にも先にも日本シリーズを観戦できたのはその時限りである。
 またまた野球の話に戻ってしまって…
 息子たちがバットを初めて持った時に左打ちにさせて(その後の野球人生にプラスになるようにとの親心からであったが),結局二人ともサッカーにはまってしまい,ずっとサッカーを続けている。私はサッカーのことは何にもわからなかったのであるが,息子たちのおかげで?毎週のようにサッカーの応援に行き,試合後の反省会?をするうちにサッカーの世界にひきこまれてしまい,今では自分が野球をするよりも,息子たちの所属するチームの試合を観戦することのほうが楽しみになってしまった。負けて悔し泣きをするくらい真剣に勝負をしている姿にひきこまれてしまったようである。サッカーの応援も中学までかと思っていたが,高校サッカーがこれまた面白い。長男が高校2年生だが,今でもちょこちょこ練習試合も含めて試合を見に行くのが大きな楽しみである。暑い日,寒い日,雨の日いろいろあるが,状況に合わせて親もばっちり準備ができるようになり,常に年期の入ったパラソルとチェアが車のトランクに積んである。それこそ今しかないチャンスなので,時間の許す限り?いや少々強引にでも試合を見に行くようにしている。サッカーの試合はこれまたスリリングで,野球と違い攻守の切り替えが激しく,一瞬たりとも目が離せない。なかなか面白いスポーツである。応援するチームがあればなおさらである。
 リレー随筆など自分には縁のない話だと思っていたが,高校の同級生である松尾君から突然電話がかかってきて,頼まれてしまった。高校を卒業して以来,特に連絡を取るような間柄でもなかったのでびっくりしたが,鹿児島大学以外の出身者同士ということでつながったようである。何も思いつくことがなかったので,今となっては結構はまってしまっている息子たちのサッカーを通じて思うことでも書いてみようとしたのであるが,結局自分の野球にまつわるとりとめのない話に終始してしまった。ま,こういうことでもないと自分のことを文章にすることもないので,ある意味有意義な時間であったような気もする。書きたかった?サッカーの話はまた別の機会にとっておこうと思う!?とりあえず,松尾君にも感謝しておこうと思う。

次号は,今村病院の四元景子先生のご執筆です。(編集委員会)




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