私が薩摩狂句に興味を持ち始めたのは平成十一年頃であった。当時鹿児島銀行の会長であられた上田 格さんが、時々私のクリニックに来ておられて、ある日「ひやみっ」という狂句集をくださったのである。上田さんは南日本新聞の南日狂壇の選者をされていて、狂句の世界では名の通った方である。
「ひやみっ」は上田さんの出身地、鹿児島市冷水町のことだそうだ。読むうちに「ひとつ自分も作ってみよう」という気が湧いてきたのである。作ってみると、鹿児島弁に文法があることを知った。大学入学以来鹿児島に住んでいるが、鹿児島弁の文法など考えたこともなかった。
ある日、上田さんがクリニックに来られた時、思い切って作品を見てもらった。「先生こいで良かど、なっちょっど」などと言われて、いい気になったものだ。そこで自分勝手に上田さんをお師匠さんにしようと考え、機会を見ては作品を見ていただいた。上田さんのお許しを得た訳ではないので「あたいせにゃ、そげな弟子なんざ居いもはんど」と言われそうで心配だが、自分では上田さんの弟子だと思っている。
藪医者の話になって、「藪井竹庵ちゅうぼえか医者どんが居ったちゅう説もあっどん、風で竹藪が騒ぐごっ、風邪くらいでそどうする医者のこつ言うたちゅう話もあっとな。はっはは」と笑われた。
作品が増えてくると、鹿児島市医報「鹿市医郷壇」に投稿しようと思い立った。ペンネームは以前南日本新聞の「んだもしたん」欄に投稿したペンネーム「古狸」から「城山古狸庵」とすることにした。
当時、鹿市医郷壇の選者は故三条風雲児先生であった。最初に取り上げていただいたのは平成十二年十一号であった。
兼題「見合(みえ)」
五客二席
錦江支部 城山古狸庵
もへ帰っ今度の見合も脈が無し
(もへもどっ 今度のみえも みやっがのし)
(唱)選い好んどまもう出来ん年齢
(唱)(えいごのんどま もうでけんとし)
ところが平成十三年一号を開いてひったまがったのである。
兼題「挨拶(えさっ)」
天
錦江支部 城山古狸庵
挨拶じゃち訪た人が帰や票を頼っ
(えさつじゃち きたとがもどや ひゅをたのっ)
(唱)彼が当選れば良か日和い雨
(唱)(あいがあがれば よかひよい雨)
本当だろうかと何度も見直した。まさに天にも昇る気持ちであった。
平成十四年四号では、
兼題「花見(はなん)」
地
錦江支部 城山古狸庵
花見茣蓙割箸しゅ折った箸戦玉
(はなんござ わいばしゅ折った なんこだま)
(唱)飲んだ方が得じゃち負けちょっ
(唱)(飲んだ方が 得じゃち負けちょっ)
三條先生の選から自作を選ぶとすれば次の二句であろう。
平成十七年六号
兼題「鰻(うなっ)」
天
錦江支部 城山古狸庵
鰻重をば食ださん間で見合は済ん
(うなじゅをば くださんあいで みえはすん)
(唱)鳴ぼ鳴ばちした腹ん虫
(唱)(おらぼおらばち したはらんむし)
平成十七年八号
兼題「団扇(うっぱ)」
天
錦江支部 城山古狸庵
女客き団扇ん音が激しゅなっ
(おなごきゃっき うっぱん音が はげしゅなっ)
(唱)後が不安らし女房ん悋気
(唱)(あとがせわらし おかたんじんき)
三条先生には一度お目に掛かった、先生を囲んで郷句の勉強会を開いたことがあって楽しい会であった記憶がある。残念なことに先生は平成十八年十一月にご逝去になり、しばらく鹿市医郷壇は休止となった。
当時の常連は紫南支部 紫原一本桜さん、清滝支部 鮫島爺児医さん、上町支部 みっちゃん、大崎町 植村聴診器さん、姶良郡 大久保直義先生、上町支部 吉野なでしこさん、武岡志郎さん、荒田支部 荒田案山子さんなどが居られた。
平成十九年三号から永徳天真先生が選者を引き受けてくださって、嬉しいことに鹿市医郷壇が再開することになった。
平成十九年五号
兼題「腕(うで)」
天
錦江支部 城山古狸庵
若け頃ん名医も腕が錆でけっ
(わけ頃ん 名医も腕が さっでけっ)
(唱)歳にゃ勝てんち辞め時く思案
(唱)(としにゃかてんち やめどく思案)
平成十九年六号
兼題「連れ(つれ)」
天
錦江支部 城山古狸庵
美男子は逢度い別な連れと居っ
(よかにせは おたびいべっな 連れとおっ)
(唱)女泣かせんプレーボーイか
(唱)(おなごなかせん プレーボーイか)
平成二十年二号
兼題「煩悩(ぼんの)」
天
錦江支部 城山古狸庵
孫煩悩手術ちゃさせんち爺は叫っ
(孫煩悩 しじゅちゃさせんち じはおらっ)
(唱)涙を出せっ医者しぇ頼ん込ん
(唱)(なんだをだせっ いしぇたのんこん)
平成二十年三号
兼題「点(てん)」
天
錦江支部 城山古狸庵
良か味で姑て満点ぬ貰ろた嫁
(よかあっで しゅて満点ぬ もろた嫁)
(唱)三つ星よっか値打ちゃあいかも
(唱)(三つ星よっか ねうちゃあいかも)
平成二十年五号
兼題「髭(ひげ)」
天
錦江支部 城山古狸庵
髭剃いの最中け聞こゆい高鼾
(ひげそいの さなけ聞こゆい たかいびっ)
(唱)ぐっすい眠っ夢どん見ちょっ
(唱)(ぐっすい眠っ 夢どん見ちょっ)
永徳先生は時々その月の提出句の中で、間違いのあった句を取り上げて、正しい表現法をご教示くださった。私の句も何度か取り上げていただき赤面の至りであった。やはり鹿児島弁の文法に正しく従わないと、郷句とは言えないことが身に染みた。
私は平成二十二年十月に鹿屋市医師会に転籍になりましたが、鹿児島市医報編集委員の皆様のお許しを得まして、引き続き鹿市医郷壇に投稿させていただいています。以下は鹿屋からの投稿句です。
平成二十三年三号
兼題「友達(どし)」
天
城山古狸庵
友達が逝っ次ぎゃ俺じゃろち覚悟しっ
(友達が いっつぎゃおいじゃろち かっごしっ)
(唱)まだまだ元気目標は百歳じゃ
(唱)(まだまだ元気 もくひょはひゃっじゃ)
平成二十三年六号
兼題「味(あっ)」
天
城山古狸庵
焼酎ん味ず覚えた頃にゃ異動いなっ
(しょちゅんあず 覚えた頃にゃ いどいなっ)
(唱)戻っきた時か相当な飲兵衛
(唱)(もどっきた時か じょじょなのんべい)
平成二十三年十一号
兼題「返事(へし)」
天
城山古狸庵
プロポーズ返事を待つ間ん長んかこっ
(プロポーズ へしを待つまん なんんかこっ)
(唱)運命ゆ決むい相手ん一言
(唱)(うんめゆきむい えてんひとこっ)
平成二十四年三号
兼題「苦情(くじょ)」
天
城山古狸庵
言うでけた苦情をば焼酎で黙らせっ
(言うでけた 苦情をば焼酎で 黙らせっ)
(唱)策き嵌ったかそら良か気分
(唱)(さきはまったか そらよか気分)
郷句の醍醐味は読むうちに思わず「うふふふ」と笑いが込み上げて来たり、「じゃっど、じゃいが」などと共感をよんだりと、鹿児島弁の方言としての面白さをうまく使って笑いを誘うことではないだろうか。
それにしても鹿児島弁の奥の深さは学ぶほどにますます深くなっていく。国語の文法と全く同じ文法があるのだから驚く。昔は薩摩という国があって、独特の言語、文化を持ち、さしずめ独立国家のような様相を呈していたのではないだろうか。今後も努力して鹿市医郷壇の仲間に加えていただけるよう投稿を続けていく覚悟ですのでよろしくお願いいたします。
我々は仕事を続ける限り生涯修練研修が必要で、
平成二十四年四号
兼題「名刺(めいし)」
天
城山古狸庵
名刺いな博士ちあっが診断違げ
(名刺いな 博士ちあっが みたてちげ)
(唱)大概な事じゃち信用は落てっ
(唱)(てげなこっじゃち しんよはおてっ)
のようなことのないよう頑張りましょう。

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