=== 新春随筆 ===

逆 も ま た 真 な り



東区・郡元支部
(増田整形外科病院) 
               水枝谷 渉

 昔,我が家の書斎に古めかしい装丁の一冊の本があった。表記もなく,由来も不明であったが,日々の生活要領をはじめ,病気に関する知識ならびに薬の使い方などを羅列した雑学辞典で,興味をひく内容が多く,余暇をみつけては読み耽った。記憶に残っているものの中には,野草の項に「ヒガン花の根を摺りおろし,これを芋の葉に盛りて足の裏の土踏まずに貼るときは解熱効果を得る」という記載があり,現代の百科事典にも“ヒガン花の根には毒が含まれ,これを食するときは体温が下がる…”とあることから見て,この頃すでに中毒を避け,経皮的に薬剤を吸収させる民間療法を会得していたことを示唆している。しかし中には身体軽浮術とか,水上歩行術とか忍術まがいの記載もあって,奇想天外な発想や文体などからみて,これが中国由来の翻訳書であることが多分にうかがえた。
 その一節に“真夏に氷玉を得る法”として,まず陶磁器製の甕つぼを用意し,これに熱湯を注いで密封したのち,ただちにこれを地中深く掘りたる井戸の中に投ずるとき,容器内瞬時にして凍結し氷玉を得る…と文語調のまことしやかな記述,なるほど!冬季,外気温が下がって水が氷になるならば,真夏,外気温が下がらなくても容器内の水温を上げておいて冷水中に落とせば冬と同じような温度差を与えることになるから氷ができるであろう,という着想…すなわち,逆もまた真なり,ときた。中学生ぐらいの知識があれば一見してこれが常識はずれであることは明白であろう。仮に,この論法を展開すると,自動車のギアをバックに入れ,車を人の力で後ろ向きに押せば,これ燃料を得る…ということになり,実現すれば,逆もまた真なり,と言い張りたいところであろうが,そうはいくまい。しかし,電気で回転するモーターは,逆にモーターを水力などで回してやれば原理的に発電し電気を得ることができる。これまさしく,逆もまた真なり,である。同様な原理は,冷房装置などに使用されているフロンガスの気化潜熱の応用であるが,圧縮するとき逆に発熱する。当初はこの発熱現象を捨てていたが逆に暖房用として利用することを思いつき,現在一台の機器で冷・暖,逆の効果を得ることが可能になっている。この圧縮すれば温度が上昇する(あるいは液化する)気体の性質は,逆に膨張させると気化し冷たくなるだろう…という推理は,ドイツの理論化学者F.Haberによって証明され(1909年),翌年,技術者C.Boschによるアンモニア冷凍機の開発につながった。
 さて辞典中の次の一節“水上歩行の術”については,落語的な「片足が沈まぬうちにもう一方の足ですばやく立てば云々…」に似てはいるが,まず身体軽浮術にて体重を極力軽くし…とあり何やら難しい処方があったが,薬物の知識がなかったので理解できず忘れてしまった。手技的にはまず,利き足で強く水面を蹴るように立ち上がり,すかさず片方の足で後方に蹴るときは水上を楽々と歩行し得る,としてあった。阿呆らしく試す気にもなれなかったが,近年,ある日のテレビ放映に私は驚嘆した。それは,“襟巻きトカゲ”が実際に水上を楽々と歩行している姿を録画した番組である。画像を分析すると,前足で強く水面を蹴るようにして上体を浮き上がらせ,次いで後足(水掻き付き?)を巧みに操ってあっという間に向こう岸に渡った。確かにトカゲは人間より軽い。なるほど身体軽浮なり,そして水を蹴ってその反動で浮き上がり,滑るように水面を渡りおおせた。身体軽浮術プラス水上歩行の術か!真もまた真なり,である。このテレビをみてそれに似たようなことを思い出した。過去に蛇が水面を蛇行しながら対岸に渡ってゆく光景を何度か見たことがある。なぜかそのときは不思議に思わなかったが記憶を辿って分析してみると,まず流れに向かって直角よりやや鋭角に(上流に向かって)渡って行ったのは,積極的に水の抵抗をS字形の湾曲で受けて浮力を得るための知恵であり,できるだけ多くのカーブを造ったのは,トカゲと違って足がないから,幾つかのカーブを足代わりにした裏技である。こうなるともう二足歩行などかなぐり捨てて爬虫類に戻るか…と言いたくもなるが,トカゲや蛇が水上を渡れるのは,水の表面張力に対する相対比重の問題であって,いかに体重を減らしても所詮二本の素足では不可能なことであろう。アメンボがいとも簡単に水面を走り回れるのも同じ原理である。
 幸いにもホモ・サピエンスと呼ばれる人類は霊長目ヒト上科にまで進化したのであるが,実は人種によって等級(知能の差)があることは,出土する頭蓋骨の容積などから大体推測できるらしい。一概に容積が小さかった過程を経たにしても,もともと容積に差をもった人種がそれぞれに進化を遂げて今日に至ったと考える方が妥当である。一例を挙げれば,14世紀の初め,風に逆らって航行できるヨットを見たナイル河畔の現地人たちは,それまで風下に向かってしか航行できないものとばかり思い込んでいた帆かけ舟の常識を覆すこの手技に目を見張った。
 ヨットの歴史はオランダで開発された海賊追跡用のjaght(ヤハト)で「追跡して捕らえる」とか「狩」という意味で,速くて小回りの利く小型帆船に始まっている。風を背にそそくさと逃げる海賊船を追跡することも,また風下から迎撃して捉えることもできる条件として,風に逆らって航行できる技術が必要であった。これを可能にしたのは左右に翻転できる三角帆と,横風で転覆しない装置の潜舵(艇の底から水中に下ろした固定舵)および操舵法であって,正面からの風向きを中心に左右45°以内の方角には入り込めない,つまり前進できないという制限はあるものの,それ以外の方角へなら風に逆らって航行できるという先人たちが搾り出した究極の知恵,逆風もまた順風なり,を実証した英知といってよかろう。
 この本に限らず,元来,中国式の物の考え方は,薬で病気が治るのであれば,病気でない(元気な)とき服用しておけば病気にならない,さらに元気になれる…という,真々もまた真なり,の飛躍的感覚があって,種々の民間療法やいかがわしい薬が氾濫している。これに感化され,本邦でもその考えに賛同する傾向が多分にみられ,たとえば身体軽浮術と同義的な痩せ薬の行きつく先に,取り返しのつかない栄養障害が生み出されている報告が後を絶たない。必要もない薬の常用とか,やたら健康食品と宣伝するサプリメントなどは思うほどの効果は期待できませんよ,と指導すべきであろう。つい50年ほど前を思い出してみたとき,肥満も糖尿病も数えるぐらいしか見られなかったのにと,これらの人々を診るたびに,どこでどう間違ったのかなと考える昨今である。第二次大戦中,本当に食料が不足し,終戦後,栄養失調症という奇妙な病名が続出した煽りもあって,栄養はとれるときに,できるだけ多く摂っておけば健康ひいては長寿という幼稚な考え方が定着してしまったことは,過去の栄養失調時代に培われた貧乏人根性であることは否めない。ただ,栄養が行き届いていることは確かに健康につながるであろう。しかし,軽度の飢餓状態こそが老化を防止し,長寿につながり得ることが猿の実験などで証明され,テレビ番組で放映されたことは記憶に新しい。飽食が美徳なら,飢餓もまた美徳,これまさに,逆もまた真なり,であろうか。
 今,読み直してみたいあの雑学辞典だが,残念ながら戦災で焼失してしまった。




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