緑陰随筆特集

片想い,万葉集
北区・上町支部
(南風病院)  鹿島 友義
 
 安野光雅は画家,絵本作家として有名であるが,また優れたエッセイストでもある。彼のエッセイ集,「片想い百人一首」を読んだ。たとえば,百人一首にある三条右大臣の歌,「名にしおはば逢坂山のさねかずら,人に知られずくるよしもがな」を,安野光雅は「釣り糸の先に捕りたる君が衣,人に知られずくるよしもがな」と読み替えた。「くる」は「来る」でなく「繰る」で,「かずらを繰るようにたぐり寄せたい」との意味だそうだ。釣り糸に絡めてあなたの衣を手繰り寄せたいと羽衣伝説に触れているが,中には洗濯物の下着を盗むと想像する者もあり,と書いている。安野は百人一首すべてについて下句はそのまま,上句のみを読み替えてその周辺に関するエッセイを書いている。万葉の歌を読んでいて,ふとこの本のことが頭に浮かび,安野光雅には到底及ばないが,同じような遊びを試みてみた。「片想い百人一首」をパクって,「片想い,万葉集」とする。安野光雅の「片想い百人一首」でも同様だが,元歌の情緒が台なしになるのは仕方がない。単なるお遊びとしてお読みいただきたい。

 「青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有」
 最初に取り上げた歌はあえて万葉仮名で記してみた。大和地方にある程度の中央集権的王権が確立するまで,我々日本人は文字を持たなかった。そこへ文字を持つ大陸の文化が入ってきたとき,私たちの祖先は日本語を中国の文字で表記する方法を思いついた。あるときは漢字の音を利用し,また別のときは漢字の意味を重視してその漢字を同じ意味の日本語で読むといった利用の仕方である。その中で音を表わすのに用いられた漢字から万葉仮名を経て,日本語の音標文字である「かな文字」が生まれた。平安時代には男性は文章を漢文で書き,女性は当時の大和言葉を主としてかなで,一部は漢字を交えて表現したようだ。こうして女性たちが大和言葉を文字でつづるようになったことが,その後の日本の文化,文学の変貌に及ぼした影響には計り知れないものがある。
 話が少し横に逸れたが,先の歌を詠んでみよう。「青,丹,吉」は共に漢字を,同じ意味の日本語に読み替える。「あお,に,よし」である。当時の奈良の寺社を色どった鮮やかな赤と緑から来る「奈良」の枕詞である。「寧楽」は漢字の音を日本語の音標として用い,「なら」である。「京」は漢字をその意味の日本語で「みやこ」と読む。「咲花乃」は日本語で「さくはなの」である。日本語を漢字で表記しようとした当時の人々の知恵,闊達自在ぶりには感嘆すべきものがある。このようにして,「青によし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」となる。
 私は紫原に住んでいるが,ここは鹿児島有数の桜の名所である。バス通勤しており,桜の季節にはバスは花のトンネルの中を走る。最前の席に座るとまことにひと時の王となった贅沢な気分に浸れる。万葉集のこの歌は奈良の都に咲く桜の見事さを歌っているが,私は紫原の満開の桜を見るたびにこの歌を思い出す。それで,

 わが町の桜並木のトンネルは,匂ふがごとく今盛りなり

と上の句を替えてみた。

 「憶良らは今はまからむ,子泣くらむ,それその母も我を待つらむ」は宴会を早退したいと詠んだ,諧謔に富むほほえましい歌として良く知られている。宴会が長引き,自分の家族を思って(奥さんが怖くて?)帰りたくなったのだろう。この歌の下の句を借りて,

 子供らのプレゼント買ひ帰途急ぐ,それその母も我を待つらむ

と詠んでみた。まだ子供たちが幼かった頃の思い出である。

 「熟田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」を本歌に,

 磯浜にカヌー運びて時待てば,潮もかなひぬ今は漕ぎいでな

と詠んだ。友人に誘われて,錦江湾でのシー・カヤックを楽しんだ時のことである。運動にもなり,時には近くで泳ぐイルカに会うこともある。磯浜からであれば特に潮を待つまでもないが,本歌を読んでいてそのときのことを思い出した次第である。

 「み吉野のきさ山の際(ま)の木群(こむれ)には,ここだも騒ぐ鳥の声かも」という歌がある。吉野という地名に丁寧に「み」がつくのは天皇の離宮があったからだろう。際とは山と空の境界,遠くから見る稜線を指す。古代にはこの世と異界との境目を意味し,死者の霊がここを通って異界へ上ると考えられていたようだ。鳥も異界とこの世を結ぶ役割を負わされていたようである。この歌もこれらのことを理解するとまた違った印象を受ける。
 照国神社前,中央公園の南側の並木は勤務先から医師会に向かうときによく歩く。この並木(欅?)に春から秋にかけて,秋には葉がすっかり落ちてしまう直前まで,夕暮れ時になると空を暗くするほどの夥しい鳥の群れが次々と集まってきて葉に隠れて鳴き騒ぐ。昼間は山で食事を探し,少し明るいところで夜を過ごしたいのだろうか。冬はどこか南へ移動するのかと思う。中央駅前,県医師会館のあるナポリ通りの楠の並木も夕暮れには同じ鳥の群れが騒がしい。この鳥の鳴き声には何か妖しく私たちの心を騒がせるものがあり,万葉集のこの歌を思い出す。

 駅前の楠の並木の夕暮れに,ここだも騒ぐ鳥の声かも

と替えてみた。「ここだ」とは「たくさん」の意である。

 「世の中は空しきものと知る時し,いよよますます哀しかりけり」
 これは,大伴旅人の歌である。妻を同行して遠く筑紫の大宰府に赴任して間もなく妻と死別する。寂しさに打ちひしがれていたころ,京からは親しい友人たちの訃報が押し寄せる。そういうときに詠んだ歌である。色即是空,諸行無常は出典としては仏教の教えであるが,これらが日本人の心に深く根付いたのには,仏教受容以前から日本人の真情にこのような感情が潜在していたからであろう。とはいえ,仏教本来の教えとしては,般若心経に「五蘊皆空なるを昭見して,一切の苦厄を度したまふ」とあるように,色即是空を悟ることによって,この世の苦しみから解放されるという意味であろう。それに引き換え,この旅人の歌は,妻や親友たちとの今生の別れを悲しんだ歌であり,仏教本来の教えからは遠く,いくらか異なる感は拭えないが,我々日本人の心に沁みて忘れがたい歌のひとつである。
 若いときからかなり激しく山登りを繰り返した。そのため,というより単なる老化現象であろうが,数年前から時々膝関節の痛みが出るようになった。にもかかわらず,歩けなくなる前に,あるいはこれが最後かななどと思いつつ,相変わらず時間があると山を歩く。また数年前からこれも代表的な加齢性疾患である正常眼圧緑内障による視野欠損が進行している。これも山登りに次ぐ小生の楽しみである読書が出来なくなるのではないかと不安だ。人間,必要以上に長く生きるようになって,身体の部分品が磨耗するのは当然のことではあろう。「こいつがこれほど長生きするとは想定外でした」との神様のつぶやきも聞こえそうだが,山登りが出来なくなる,本が読めなくなる,と考えるとやはりかなりの寂しさと恐れを覚える。それで旅人の歌を読んでいて,旅人の悲しみよりもはるかにレベルの低い自分の身体症状を憂える歌になった。

 膝の痛み,緑内障と加はりて,いよよますますかなしかりけり

 おそまつさまでした。つまらぬ遊びにお付き合いいただき,恐縮です。



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