緑陰随筆特集
65歳の抵抗 |
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鹿児島テレビ放送株式会社(KTS)
代表取締役社長 荒田 静彦
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寄稿依頼を受けてどうお応えしようか,何も頭に浮かばない。
俳句・短歌・詩・薩摩狂句など「うーん!」ましてや絵画・書なんて全く才能なし。写真,うん!これなら商売柄,昔取った杵柄で,と思ったが少々自信がないなあと尻すぼみ。本当にいけません。
それなら自分の趣味の世界で,今自分の中で一番こだわっている「ウォーキング」についてのコラムを書いてみようと思い立った。
嘗て「48歳の抵抗」という言葉が流行したことがある。
ご存知の方は少なくないと思うが,原作は石川達三で映画にもなりテレビドラマのタイトルでもあった。
一般企業が55歳定年時代だった頃,サラリーマンの私生活を含めた生き様を描いたドラマであったと記憶している。ここに敢えて「65歳の抵抗」としたのは,当時のタイトルを少々捻ったことと,年齢的に当時の48歳は大体現在の還暦前後の環境に通じるのではないかと勝手に考えたからだ。
そうなると65歳になった現在,うかうかしてはおれない,まだまだ老いぼれているわけにはいかない。俺は若い振りするのだぞ,そして何か人生にこだわりを持ちたい!
そのためには元気に白球を追いかけ,野山を駆け巡り,病など遠くへ飛んでいけ!そう叫ぶ自分に何か取り柄はあるのか?あった!1つだけありました。それが「ウォーキング」なのだ。
私の父親が亡くなったのは,私が50歳を過ぎた頃だった。
父は若い頃,広島で原爆を被曝しながら米寿まで生きながらえた屈強な体の持ち主であった。
勿論,健康には人一倍気を遣い,一時は鹿児島県自然食品愛好会(?)の会長をしていたくらいだ。
家での食事は,まさしく仙人でも食べそうなものを好んで食べていた。
その父が亡くなって思ったことだが,高校を卒業後,故郷の鹿児島を離れ,社会人になり,親子の触れ合いなど年に一度あるかないかといった具合で,それこそ親不孝だったのだなあと,当時申し訳なさを感じたものだった。
それなら償いの気持ちではないが,父親の日頃の行動で何か1つでも自分に真似出来ることはないかなあと思い巡らせて,これならと決めたのが散歩だった。
多分50歳前後から,毎朝毎夕小一時間,近所を歩いていたことを思い出したのだ。
ようし!これなら俺にも出来るぞと,早速始めて15年,散歩どころか本格的な「ウォーキング」となって歩き続けることになった。
仮にこういう病名があるなら,今や「歩くんだ病」間違いなし。
歩き始めた当時は大阪で会社勤めをしていたが,私鉄沿線に居を構えていた。まず手始めに最寄りの駅までバス通勤していた部分を歩くことに決めた。
所要時間約25分,距離にして2キロ弱,周辺の景色を眺めながら,去り行くバスを見送りながらの歩行訓練はスタートした。
初めは何台かのバスに先行される焦りはあったが慣れるに連れて,歩くということは,なかなかいいものであると思うようになった。
新しい発見に気持ちを弾ませて歩けるようになった。
そして,歩かないと何となく不安を感じるようになったらもうホンモノだ。
歩数計を毎日欠かさずズボンのポケットに,1日大体8千歩から1万歩程度,なかなかいいテンポである。
ところが慣れてくるに従い,朝の通勤だけでは物足りなくなってくる。
それならば,帰宅時はどうか考えたが,仕事柄飲食の付き合いで深夜に及ぶことが多く,しかもほろ酔い気分ではまず無理だ,夜の誘惑を退けてまでの徹底歩行の難しさを感じたりした。
しかし歩きたい,いや歩かねばならないという焦りの気持ちには土・日に自宅周辺を1時間程度かけて歩くことが安心感を与えてくれた。
しかも,苦痛はない,歩けば体が軽くなる。
春夏秋冬,暑い・寒いのと言ってはおれない,とにかく歩く。
真夏の暑さの中で汗びっしょり,真冬の寒さは足元から手先までの防寒対策の完全武装,周りの視線など気にしない。
自宅近辺の用事は,車も自転車もまず利用しない。
ゴルフ場での乗用カートはまず不要,コースのアップダウンも全く苦にならない。打っては歩く,歩いては打つ。ゴルフプレーにもすっかり自信を持てるようになった。ただし,スコアは別物であることを明記しておく。
出張で飛行機を利用する時の空港ターミナルの移動は,ムービングウォークなどまず利用しない,足早に追い越していく人々を横目に重い荷物を抱えて,ひたすら歩く。兎に角,馬鹿みたいに足を使う。
そうこうしているうちに,4年前仕事の都合で鹿児島に住むようになった。
まず拠点となる自宅を決めてから早速ウォーキングコースの探索を始めた。
ありました!鹿児島市内には結構良いルートがありました。
@甲突川辺りの遊歩道
A与次郎ヶ浜の防潮堤
B城山の登山遊歩道
春満開の桜の花の下,花見客のバーベキューのいい匂いを嗅ぎながらの甲突川辺り。
潮風の香りを胸いっぱい吸い込みながら夕日に映える錦江湾と桜島を眺めて歩く鴨池海岸。
中学時代に理科の野外実習でよく歩いていた,マイナスイオンに満ち足りた,昔ながらの登山道を残した城山遊歩道。どれを取っても素晴らしい,そして空気は旨い。
贅沢なウォーキングコース,相手にとって全く不足なし。
勿論,他にも鹿児島市内には沢山の散策路があるのだろう。
単身生活5年目,ウォーキングによる減量作戦も功を奏し「65歳の抵抗」は果てしなく続く。
今年の2月には「歩くんだ病」を知っている知人から,日本一周歩数計をプレゼントされた。
こうなったら,日本一周に挑戦する大目標を立て,新たな気持ちで歩き始めた。
ここまで133日,164万歩突破,しかし東京からスタートして現在はまだまだ宮城県から岩手県へ向けた震災被害地域を走破中,いや歩行中である。
鹿児島にはいつごろ着くのやら。
これからも「65歳の抵抗」いや「70歳の抵抗(?)」どうでもよい,兎に角歩く,人生がある限り歩く。
嘗てのトム・ハンクス演じる「フォレスト・ガンプ」の如く,前方を見たまま,果てしなく,迷うことなく,ひたすら歩く!

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