=== 随筆・その他 ===

就職事情の変遷


中央区・中央支部
(鮫島病院)         鮫島  潤

 近年の新聞紙上では大卒・高卒の就職難が毎日のように報道されている。それを読みながら昔職員の募集に奔走した頃が懐かしく思われる。
 現在,時折職員採用希望の人達が来訪して事務長と面談しているのを見掛ける。
 私は病院創設当時,新卒看護職員の募集に骨身を削る思いをした頃を思い出す。その頃は病院に対する保健所の監査が喧しく,職員を採用したくても初めは免許証はコピーでよかったのが次第に現物を要求し,そのうえ本人の確認が求められた。当時は神武・伊邪那岐・伊邪那美景気の真っ只中で,一方我々医療界は水増し請求・脱税・診療過誤・盥回しなどマスコミに散々イタブラれていたのだ。当時のことは今でも恨みに思っている。
 若い職員を採用したくても進路指導の教員は中・高卒業を待ってゴッソリ就職列車に乗せて経済的に有利な大阪・名古屋方面に連れて行った。先生達はそのほうの達成率を競うという時代だった。私の中学時代の同級生が高校の就職係の教員をしていた。それを頼って新卒募集に訪ねて行き,私が折角差し出した手土産の菓子箱を私の目の前でそのままポイと本棚の上に放り投げた。そして,そのまま外で待っていた紡績会社からの訪問者との対面のために退席したことがあった。そのときの悔しさは忘れない。今でも同窓会の席で既に定年退職したその友人と会うことがあるが,ぎくしゃくした感じはまだ残っている。
 当時の中学,高校の就職係の教員達は,私の小さな病院でしかも肛門専門病院など見向きもしてくれなかった。若い中高卒諸君としては肛門科という専門科名からして恥ずかしかっただろう,気が重かっただろうと思う。これが私の病院職員募集の大きなネックだった。しかし折角,卒業生本人も両親も私の病院で働いて看護師免許を取るのだと張り切っていたのに,その貴重な人材が就職係の先生に誘われて何時の間にか名古屋の紡績に行ってしまった例も幾つかある。その頃新卒は「金の卵」と言われ,特に紡績や金融関係から大事にされていた。給料も格段に良かった。マスコミは看護師を「きつい,汚い,危険(3K)」な職場と囃し立てていた。私は同じ3Kでも「健全,綺麗,高潔(3K)」な職業と言って回ったが通じなかった。
 しかし,当時医師会の協定で看護職員の給料が金融・紡績関係よりも格段に低く設定されていたという事情もあった。特にボーナス時期に札束を数える場面をテレビで見せつけられると我々でさえ気色が悪かった。それでも給与に対しての医師会の締め付けは厳しかった。時代の流れというものだろうが我々は大いに損をしていた。
 私の信念として職員は若い頃,出来たら学生時代から養成して鮫島病院らしく育てようと考えていたので,学生,所謂生徒時代からの看護師募集に力を入れていた。私自身が看護専門学校の講師を32年も続けていたのもそんな信念があったのだった。その頃,まだ看護師も正看・准看に分かれており,待遇面からも大分複雑だった。戦後全部の資格が統一されてレベルが上がり仕事がやりやすくなった。
 夏休みまたは卒業近くになると,私も家内と共に県内僻地を訪ねて回ったものだ。事務長,師長にも手分けして北は出水方面,南は内之浦辺塚,霧島の山奥,大島離島まで行ってもらった。離島によっては飛行機を使うこともあった。または患者さんや知人に頼んでその地方のバス停,船着場などに病院の案内書きを貼らしてもらったりしたこともあった。今思うとその地区の病医院にとっては迷惑だったのではないか。少々無理したかなぁと考える。ちょうど私の病院が増築や移転建築中でもあったし,病院も質・量共に大いに向上させようという頃だったので,とにかくゆっくり出来ない状況だった。
 将来,特に伸びそうな利発な看護師2人を東京医大病院,社保中央病院の外科に長期研修(1〜2年の予定)で派遣した。2人とも派遣先病院で手術場での仕事振りを誉められていて,私が上京した度に面会してその成長に安心し期待していたのに2〜3年したら2人とも向こうの職員と結婚してしまった。将来有望な人物だっただけに惜しいことだった。良い娘は何処からも引く手数多だったのだ。
 近年病院も次世代になり,時代も変わり新しい感覚で充実して来た。職員の定着率も良くなって来た。それには職員の育児のための保育所の存在なども力になっている。病院機能評価で認証されたことによる自信もついて来た。電子カルテの修練も軌道に乗った。あれやこれやで何時の間にか新卒業生を募集する立場から,他所で経験を積んだ有能な人が応募してくるようになった。
 その昔,新卒募集に家内,事務長,師長を総動員して全県下走り回った頃を思えば感慨無量である。今後益々職員の質の向上に努めるようにしたい。それにつけても時代の変遷をしみじみと思う。




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