=== 600号記念特集 ===
600号に寄せて
「鹿児島市医師会50年史」「通巻500号」にかかわる幸運に恵まれて
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第9代医報編集担当理事
(西区・武岡支部 耳鼻咽喉科田上クリニック) 伊東 祐久
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このたび「鹿児島市医報」が通巻600号を迎えることを心よりお喜びを申し上げます。
一口に600号といっても創刊号(第1号)が昭和37年3月だったことを思うと,今日までの歴史と培われてきた伝統の重さを感じられずにはいられません。
私も平成5年度から平成9年度まで編集委員を務め,その後,平成14・15年度には担当理事として編集委員長を務めさせて頂きましたので,「医報」が出来上がるまでの苦労を知っております。とりわけ事務局の方々は,毎月少しでも編集委員や担当理事の負担を減らそうと日夜努力されていました。頭の下がる思いで一杯です。
振り返ってみますと,私が編集委員を拝命するまでは,「医報」が届いてもパラパラとめくって興味のある箇所だけ読んで後は本棚に入れておくことが多かったのですが,一転作る側に回ってしまい大変なことになったと思いました。当時の編集委員長は内宮禮一郎先生でしたが,「医報は執行部の御用誌であってはいけない」という先生のお考えのもと,時には厳しい意見も言われ,編集委員会は毎回緊張したものでした。
編集委員は毎号交代で編集後記を書くのですが,全ての原稿に目を通して,限られた字数の中で,気の利いた編集後記を書くのは大変でした。最初に編集後記を書いたのは8・6水害のあった平成5年の第32巻第10号でした。その号には災害体験記特集が組まれていて,それを読みますと改めて8・6水害の被害のすごさがわかります。防災意識の大切さ,治山治水の大切さと災害時の連絡網の重要性が書かれていました。今回の東日本大震災を見るまでもなく,今後も大災害は起こるかもしれないという意識を持つことが大事と改めて実感致しました。
編集委員最後の年には,「鹿児島市医師会50年史」の編纂にかかわることになりました。小川幸男先生を編集顧問に迎えて,服部行麗編集委員長,松本清志副編集委員長のもと編集委員が力を合わせて,30年史を参考にして,多くの執筆者の協力を頂き1,200余頁の冊子が出来上がりました。この事業にかかわれたことを大変有り難く誇りに思っています。
平成14年からは編集委員長を仰せつかりました。「医報」の使命は第一に医師会の足跡を正確に記録すること,的確な情報を会員に提供すること,会員の意見を吸い上げ,会員相互の連携を密にすること,地域へ医師会の活動を広報すること,さらに読んで楽しいものであることが求められ,ツンドクの「医報」にならないように有村敏明副編集委員長はじめ編集委員の協力を頂き,「医報」について会員へのアンケートもさせて頂き,何とか大役を果たすことができました。また「医報500号記念特集号」にまでかかわることができたことは幸運以外のなにものでもなく,大変有り難いことでした。
「医報」は1人の力で出来上がるものではなく,多くの人々の協力があって初めて1冊の本として完成します。「医報」の目的と出来上がるまでの経緯を考えるとき,より一層「医報」の重みがわかり,改めて「医報」に携わっている関係者の皆様に深く敬意を表します。
今回,「医報」は通巻600号を迎えました。誠におめでとうございます。さらに700号,800号と積み重ねられて行くことは間違いないでしょう。「医報」がますます会員にとってなくてはならないものになることを祈念しております。

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