=== 600号記念特集 ===

600号に寄せて

医報編集委員長としての思い出       





第8代医報編集担当理事
(南区・谷山支部 服部内科クリニック) 服部 行麗
 私は昭和59年に鹿児島市医報編集委員会に加えていただきました。その2年後の昭和61年に医師会役員に選出され,その時から平成7年まで副編集委員長として,平成8年から医師会役員を辞めた平成13年まで,歴代のそうそうたる先生方の後を継ぎ第8代の編集委員長を務めさせていただきました。18年間医報の編集に携わりましたが,毎月定期的に開かれる医師会の委員会は医報編集委員会だけで,この編集委員会に出させていただいたことは得がたい思い出です。医報編集委員長の期間のなかでもっとも思い出が深いのは,「鹿児島市医師会50年史」の編集長をさせていただいた事です。「鹿児島市医師会50年史」は平成8年から準備にかかり,2年後の平成10年3月に刊行されました。「鹿児島市医師会30年史」が刊行されていましたので,その後の20年の出来事の編集が主な仕事でしたが,「鹿児島市医師会50年史」は,「鹿児島市医師会30年史」の編集委員長だった故小川幸男先生と当時の編集委員の先生方および事務局の苦労の集大成だと思っています。
 編集委員になった時には,編集部には故永吉浩先生,故水落ヤスエ先生,内宮禮一郎先生と15年以上の編集経験がある先生方が3人もおられました。いまは長い方で8年です。長いことが必ずしもいいとは思いませんが,医報の歴史を知る人も必要だと思っています。編集委員長時代に,編集委員のOBの先生方とゴルフ場や会合などでお会いした時に,「いまの医報はいいよ」というお褒めの言葉とか,「こうしたらどうだろうか」などのお知恵もたくさんいただきました。現編集委員の先生方とこのような交流の機会がないのはなにか淋しい気がしていますが,時代の流れと共に人間関係が希薄になってきているのかもしれません。しかし,鹿児島市医報はこれからも続いていくことと思います。その発展を心から祈念すると共に,「何事も,すべて会員のために」と言われた元会長の太原春雄先生の言葉が今後も編集の上に生きていくことを願っています。
 私が編集委員長だった時代に責務を支えていただいた平成8,9年度の副編集委員長の松本清志先生,編集委員の荒田弘道先生,野元 茂先生,伊東祐久先生,蔵屋一枝先生,有村敏明先生,平成10年から13年度の副編集委員長の有村敏明先生,編集委員の荒田弘道先生,野元 茂先生,鹿島直子先生,溝口博夫先生,鮫島由規則先生,島幸二先生に改めて心からの感謝の言葉を述べたいと思います。もちろん会員の先生方には当然のことです。そして,今回,このような機会を与えていただきました現鹿児島市医報の上ノ町 仁編集委員長に感謝いたします。


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