=== 600号記念特集 ===

あいさつ

先輩のご努力に感謝       
〜鹿児島市医報通巻600号を祝って〜





鹿児島市医師会 会長 鹿島 友義
 鹿児島市医師会館の会長室の書棚には,「鹿児島市医報」が創刊号(第1号)から年ごとに製本,保存されている。昭和37年から平成22年まで,この特集号が発行される頃には平成23年が加えられていることだろう。創刊号は1962年(昭和37年)3月,小生,医学部最終年の頃である。日本で被雇用者の健康保険制度がほぼ完成し,現在のような診療報酬体制が普及したのが,1959年(昭和34年),これに自営業者等を対象とした国民健康保険が全国の市町村に設けられて,日本が国民皆保険を達成したのが1961年(昭和36年)である。鹿児島市医報が発刊された頃と重なる。国民皆保険の達成は,国民,特に低所得者層にとってはまさに福音であった。そしてそれ以来,日本国民はこの制度によって格差のない優れた医療を享受し,世界一健康な国民になることができた。しかし,医師にとっては,それまで比較的自由であった診療内容が診療報酬制度によってがんじがらめにされることになったときでもある。診療の方針,医療費が国の統制下に置かれ,制限診療,低医療費を余儀なくされる苦難の始まりであったともいえる。それだけに医政活動を中心として医師会の存在意義が大きくなっていった。当時の市医師会長であった島本 保先生が自ら編集委員長の任を担われ,医師会の中心としての医報の編集・発行に尽力された様子が窺える。
 医報の機能の第一は何といっても会の公的な記録の保存である。もちろん,詳しい公式記録は医師会に保存されているが,これらの記録が一般の会員の目に触れることは少ない。これと比べると要約程度ではあるが,医報には医師会の諸行事,会議,行政との交渉等についての記録が必ず掲載される。100号記念号に初代編集担当の島本 保先生が祝辞を書いておられ,その中で「時は忘却を道連れに遠のく。記録が重視される所以である。歴史は無我の記録の中にだけ生き残る」と述べておられる。まさに会報誌の大切な役割である記録の重要性に言及された名文である。会長室に保存されている医報を読ませていただきながら,これがまさに鹿児島市医師会の歴史であり,宝であることを実感させていただいた。
 医報の第二の役割は,会員への情報発信,医師会の公的な意思表示の場であろう。昨年は看護専門学校の閉校,臨床検査センターの機構改革,新公益法人制度への対応等,鹿児島市医師会にとって重要な事案が続き,会としての意思決定のために支部会,代議員会等を頻回に開催させていただいたが,会員への情報公開,伝達に重要な役割を果たしたのは何といっても医報であった。鹿児島市医報の創刊号にはくしくも2つの公立病院,鹿児島市立病院,県立鹿屋病院の増築・増床に慎重であってほしいという記事が掲載されている。当時,これらの公立病院は外来患者を多く扱い,公的病院としての機能を果たすよりも一般の診療所と競合する形で同じような診療を行っていたからである。当時としては当然の主張だったと思う。その後,会員の紹介患者のみを診療する鹿児島市医師会病院が創立され,医師会臨床検査センターとともに医師会会員の共同利用施設としての機能を果たしてきた。一方,公的病院と診療所は機能分化が進み,現在では高度医療,特に高度救急医療では公的病院の機能拡大を希望する声が医師会会員からも上がるようになってきている。時代とともに医師会の主張も変化するのは当然である。
 ついで鹿児島市医報はエッセイ,写真,薩摩郷句等の会員の投稿等による楽しい欄が設けられている。これによって堅苦しいだけでない,楽しい会報誌になっている。これがあるから医報を開くのだと言われる会員も多いようだ。昨年,鹿児島市医師会長として医師会のためにご尽力された尾辻達意先生が享年102歳で大往生された。そのときに生前,医報に掲載された先生のエッセイを探して読ませていただいた。事務局のご苦労で創刊号からすべての記事が事項や筆者名で探索できるようになっているので,かなりの量を短時間に集めることができたからである。そして尾辻達意先生のユーモアあふれる暖かい人柄を偲ぶことができた。医報の記事がこうして保存され,探索できることも知っておいてほしい。医報を楽しく,親しめるものにしていただいている投稿の会員に感謝申し上げたい。これも会報誌の大変重要な機能であるので,今後とも積極的な投稿によって医報を楽しいものにしていただきたいと切望している。
 過去の節目の通巻号(100号,200号,300号,400号,500号)では編集委員や常連の投稿者等による祝辞や記念座談会の記事が掲載されている。また,平成10年に発行された,これも鹿児島市医師会の宝といえる 『鹿児島市医師会50年史』 には医報のあゆみや200号,300号記念座談会等が掲載されており,これらの座談会記事を読ませていただいて,鹿児島市医報の大切さ,楽しさ,そして代々の編集委員のご苦労を知ることができた。医報のバックナンバー,50年史はともに医師会に保存されているので,会員の皆様もいつでもご自由にご訪問いただき,これらの記事に目を通していただき,医報の大切さを再認識していただければと思う。
 医報編集,この一見地味な仕事を脈々と受け継ぎ,続けていただいた,また現在も続けていただいている歴代の担当理事,編集委員の先生方に心よりの感謝を捧げます。歴代の医報編集担当理事(編集委員長)のみご尊名を記載させていただきます。
 島本 保先生,武田二郎先生,永吉 浩先生,沖野秀一郎先生,小川幸男先生,石塚元徳先生,内宮禮一郎先生,服部行麗先生,伊東祐久先生,有村敏明先生,福元弘和先生,宇根文穗先生,そして現在の上ノ町 仁先生,ありがとうございました。


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