=== 新春随筆 ===

       72 年 の 名 前 の 歩 み
(S15年生)



北区・上町支部
(今給黎総合病院)
 鉾之原 昌

 今年が年男という。数えで72歳である。私の生まれた年は昭和15年で西暦1940年である。もう1つ忘れてならないのが,日本暦(皇紀)2600年である。つまり,今年は皇紀2672年,西暦2012年,平成24年である。
 そこで,当時の出来事を調べてみるとすごい祝賀行事がなされたことがわかる。すなわち,神武天皇の即位から2600年にあたるとされ,天皇陛下の次のような勅語がくだされ,昭和15年11月10日に記念式典が宮城外苑で挙行されている。根拠は,日本書紀の内容から歴史学者が推測してできた年号だそうである(ウィキペディア「神武天皇」より)。
『紀元二千六百年式典ノ勅語(昭和15年11月10日)』
 茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尚ス
 今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替ノ由リテ以テ判カルル所ナリ
 爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ
 この昭和15年は,紀元2600年ということで,5年ほど前から祝賀行事の準備委員会がつくられ,全国各地で式典や提灯行列など行われたそうである。また,オリンピックや万博の計画も練られたそうである。この勅語をみると,当時日中戦争が長引いている時であり,国威高揚や国民への鼓舞があったと思われるがとにかく盛り上がった年であったそうである。翌年,第二次世界大戦に突入するが,戦争のために生めよ増やせよの時代であった。
 また,同じく日本書紀の巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」から作られた言葉で,「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉がある。造語した日蓮学者・田中智学は,この言葉は,「八紘」は8つの方位を意味し,天地の八方位から世界を意味することとなり,「一宇」は,1つの屋根を意味し,神武天皇の(正を養う心を弘め然る後)の宣言に着目し「道義的世界統一」を意味する言葉とした(ウィキペディア「八紘一宇」より)。
 この年に次のような国策要綱が定められている。
『基本国策要綱(昭和15年7月26日)』
 皇国ノ国是ハ八紘一宇トスル嚢国ノ大精神ニ基キ,世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ,先ツ皇国ヲ核心トシ,日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スル
 この言葉は当時の戦時下で軍国主義のスローガンとして国民には流布されており,日本が世界統一をして世界平和を確立しようとまずは日満の結合を強固にしてアジア圏を統一しようということを決議している。やはり,記念切手や石碑などが各地に建てられている。宮崎市には「八紘一宇の塔」が建設されている。この言葉は,当時,戦時中であり武力による世界統一を目指している言葉として解釈されていることが多いが,精神的世界平和を志向している面もあった。一方で,八紘一宇の考えが欧州での迫害から満州や日本に逃れてきたユダヤ人やポーランド人を救済する人道活動につながったとの評価もある。上杉千年は,「八紘一宇の精神があるから軍も外務省もユダヤ人を助けた」とする見解を示している。また,宮崎の「八紘一宇の塔」は,戦前は「八紘台」と呼ばれていたが,現在では平和台公園の「平和の塔」と呼ばれている。
 現代で八紘一宇の日本中心をのぞいて世界平和のための世界統一という考え方から考えると,EU(欧州連合,27ヵ国)や,ASEAN(東南アジア諸国連合,10ヵ国),NAFTA(北米貿易協定,3ヵ国)などが主に経済的な貿易に絡んだことが多いとはいえ,やはり世界統一を目指したものに近いものであろう。最終的には民族の違いを乗り越えて戦争のない世界平和を目指したのであろうが,やはりEUのギリシャ問題などのトラブルを見ると簡単にはいきそうにない。日本が抱えているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)加入の是非も困難が予想される。

 ところで,大学を辞めて小児科臨床に携わって5年を経てきたが,最近の子どもの名前が読めないのである。そこで,我が時代の昭和15年と比較してみた。
 上の2つの昭和15年にまつわる言葉を紹介したのは,この年に生まれた我が同級生の名前が,実に「紀」と「紘」を使った名前が多いことである。
 男性の名前では,紀元,紀夫,紀男,紀寿,政紀,正紀,紀正,紀紘,紘紀,紀宏,瑞紀,忠紀,二紀,幸紀,八紘,紘,紘一,紘一郎,光紘などなど。女性の名前では,紀子,紀江,紀世,紀代,紘子,紘江などなど。これは,私の中学や高校の同級生の名前からひろったものである。まだまだ,たくさんあると思う。従って,「紀」と「紘」が入った名前をみたら私は昭和15年生まれだなと思うことにしている。このように,戦争準備群として生まれた我々であるが,5歳の時に終戦を迎え,その後現在まで戦争にまき込まれることなく,平和な日本で72年も過ぎたことが本当に幸せである。
 当時の名前は漢字の組み合わせであるがすべてちゃーんと読めるのである。しかし,現在の子どもたちの名前は読めないのである。
 以下,最近の外来での子どもの名前を挙げてみますが,皆様はどれだけ読めますか。
 日音,日飛,瞳月,月輝,我路,咲音,海音,果凛,麻林,珠恩,聖音,心羽,海飛,凛央,凛音,樹莉杏,夕葵,詩隠,莉恩,徠琥,琉波,撫子,蒲公英。これらに順にカナをつけますと,カノン,アキト,アイル,ルカ,マイロ,カノン,カイ,カリン,マリン,ジュオン,セオン,ミウ,カイト,リオ,リオ,ジュリア,ユズキ,シオン,リオン,ライル,ティアナ,ナデシコ,タンポポなどなどである。どうにも,聞いただけでは男女の区別もつかない。
 これらは,漢字のあて字を使っているのであろうが,よくもこれだけうまくあてこんだものと思うのである。なでしこやたんぽぽにも漢字がちゃんとあるのであるがそのまま名前にするとは?カタカナの名前も多くなり,それは読めるし,外国でもローマ字で書けば通じるからよい。が,これらは漢字だけでは,読み方にカナをつけないかぎり読めないのである。毎日が漢字の勉強である。しかし,辞典を引いても読み方がないものが多いのである。幸い,コンピュターの時代になりカルテはカナがふってあるので読めるが,将来学校にいって名簿を作る時にはカナがふってなければ,先生は読めないのではなかろうか。もの心ついて,親が子どもに説明するときの顔がみたい。
 現代の若い夫婦は,我が子の名前を一生懸命勉強し考えて,個性ある名前をつけているのでしょう。大したものである。
 それに反して我が時代の名前の単純さ?との変遷ぶりはなんという違いか。漢字は読めないがローマ字にすればグローバルなのであろう。やっぱり,日本は平和なのである。と感じている昨今である。



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