随筆・その他

リレー随筆

目の前の生まれてくる子供と,
我が子を育てられない母を支えて

中央区・中洲支部
  (堂園メディカルハウス) 堂園 晴彦
 
 昨年のクリスマスに七五三のきれいな着物を着た女の子の写ったカードが届いた。特別養子縁組となったお子さんが一緒に写っている家族の写真だった。幸福そうな両親と愛くるしい子供の表情に目頭が熱くなった。年末忙しくて疲れていた私は勇気をもらった。
 1993年の夏,15歳の女の子が中絶を希望して来院した。相手は14歳だった。母親も一緒だった。お腹は大きくふくらみ,もう臨月であるのが一目で分かった。
 中絶はできない旨を伝えながら,尊敬するマザー・テレサの言葉を思い出した。
 『子供は両親に育てられるのが一番いい』
 生まれてくる子供を両親が育ててくれる方法がないか調べていくうちに,特別養子縁組という制度があることを知った。
 この制度は養親が生まれてすぐの子供を育てられ,名前を付けることも可能である。6カ月以上の保護観察期間を経た後,家庭裁判所の審判がおりると,実子として入籍できるものである。岡山県の産婦人科医が取り組んでいることを知り早速連絡をとり,その時から岡山県ベビー救済協会との交流が始まった。
 切羽詰まった状況で来院する少女,女性たちの気持ちをソーシャルワーカーが深く聞いていく中でみえてきたものがある。
 マスコミやコミック誌,さらに,ネットの情報の中で育った少年少女たちは,今の大人の想像を超えた「プチ家出,一宿一飯の恩は体で」のような価値観を持っている。
 相手の男性に妊娠をしたと告げるとメルアドが変更になってしまい,全く連絡がつかなくなったと話す女性に会った。同じようなケースが数件あった。メルアドしか知らないので,相手がどこに住んでいるのかわからないとのことである。また,彼女たちの成育歴を聞くと,無条件に誰からか受け入れてもらった経験がなかった。体だけでも必要とされることに喜びを感じる彼女たちを,一方的に責められない。ドメステックバイオレンスの負の連鎖に巻き込まれた女性もいる。
 「生まれてくる子に暴力を振るってしまいそうだ」と,ポツンと言った女性もいた。このような女性たちが新たな人生を歩み始める一つのきっかけとなるように願わずにはいられない。
 しかしながら,実際に避妊の知識があるかというとそうでもない。中高生でも正しい知識は持っていないし,避妊まで教える学校は少ないようだ。性教育は中学生では遅い,これが現実である。
 養親については不妊治療の限界を感じて養子を望むケースが多い。ある方は二人目の特別養子縁組を希望された時に,多分二分脊椎の疑いがあったが,「自分で生んでもそういう可能性もあるので」と,躊躇なく養育された。神を見た気がした。
 養親は県内外,日本人,外国人と地域,国籍も色々である。それぞれの地域の家庭裁判所から調査員が鹿児島に来て,養親や生みの母への詳細な面接調査が行われる。
 熊本の「赤ちゃんポスト」も重要な任務を担っている。改善すべき点は,生んだ母親が特定できないため戸籍は熊本県となり,「棄児(いじ)」と登録される。つまり,一生捨て子という戸籍がついてまわる。また,3歳までは乳児院で育てられてから養子縁組となる。
 アフガニスタンで用水路を作っている中村哲医師は「現場を知っている人は,どんな立場の人でも実際的である」と書いているが,法律が実際的になって欲しい。
 今,鹿児島県内で育てられない妊娠があると,殆ど連絡がくるようになった。乳児院や児童相談所から当院を紹介される場合もある。ソーシャルワーカーは生みの親に,「自分が子を捨てたと思うのではなく,本当は養親の子供になるはずだった子を産んだと思ってほしいです」と,よく説明をしている。クリスマスに送られてきた家族写真を見ると,案外そうかもしれない,と思ってしまう。
 サポートしているうちに,自分で育てる決意をした20歳の子もいた。子供を両親の籍に入れ,母親本人は努力し大学に入った子もいた。赤ちゃんが成人になった時のために貯金をしている子もいる。
 この20年近く孤軍奮闘してきた。全くのボランティアである。特別養子縁組を,日本産婦人科医会や日本助産師協会が支えて欲しいと切に思う。
 父は,「おぎゃー献金」の設立に力を注いだ。「おぎゃー献金」や「子供手当」の一部を特別養子縁組をサポートするために使って欲しいと思う。
 最高の少子化対策ではないだろうか。

 特別養子縁組で育ての親になった方からの手紙である。

 『神様からの贈り物』
 わが家に,神様からの贈り物がとどきました。
 神様ってほんとうにいるんです。
 おめめもおてても足も,
 とってもちいさいちいさい天使でした。
 おしっこもします。
 ウンチもします。
 おふろ大好き。
 ミルクをゴクゴクのみます。
 大声で涙と鼻水を出し泣きます。
 天使の笑顔は,神様の顔に見えました。
 ほんとうに,神様いいですか。
 こんな私でいいですか。
 私もいつの日か神様へプレゼントのおかえしをします。
 いまはステキなプレゼントを大切に大切にして,過ごしていきます。
 あっ!天使が目をさましました。
 いままで目をそむけてきたもの。
 ほにゅうびん,ミルク,オムツ,ベビー服,乳母車.....。
 いまは,どれをとってもかけがえのないもの。
 とってもいとおしいもの。
 あんなにちいさかった手や足が,
 今はぐんぐんのび,
 ずいぶんおおきくなり,
 指をさし「アッアッ」 
 おててをふって「バイバイ」
 なんでもわかるようになりました。
 この大切な日々を神様に感謝し,
 1人でも多くの人に感じとってほしい。

PS. 毎夜,隣に子供がねているということがうそのようです。
  そっと手を伸ばすと,そこにかわいいちっちゃい手があります。
  涙がスーっと流れるほど,うれしさでいっぱいです。

 子供と若者は,この国の未来である。


次回は,うすきクリニックの楊 宏慶先生のご執筆です。(編集委員会)




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