緑陰随筆特集

真摯さは遺伝するか
―「もしドラ」を読んで ―

北区・上町支部
(南風病院)      鹿島 友義
 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(略して「もしドラ」,岩崎夏海著,ダイヤモンド社)という本を読んだ。書店に行くとこの本が山積されており,結構売れているようで気にはなっていたのだが,何しろ表紙には漫画チックなミニスカの女の子の姿が大きく描かれている。むくつけき禿げ親父は気恥ずかしくて買う勇気がなかった。ところがある病院の院長,理事長さん方と雑談しているときに,この本の話が出て,皆さんこの本を読んでおられたのに驚いた。その一人の「マネージャーにもっとも必要な資質である真摯さは後天的には身につかないと書いてあって,ショックだった。」という発言に小生の脳がビビッと反応した。その理由は後述する。
 とにかく気になって,その帰りに書店に寄って「もしドラ」を買い,その日のうちに読んだ。内容を紹介すると,野球部のマネージャーになった女子高校生が,マネージャーの任務を学ぶために何も知らずにドラッカーの「マネジメント」の要約版を買い,その中に述べられている手法を野球部に応用して三流野球部を甲子園出場まで成長させる物語である。本の中では,例えばマーケティングの項を読んで,野球部の顧客とは誰だろうと考えたり,部員の強みを生かすために各部員の強みを考えたり,といったことで物語は進む。要は要約版であっても読み通すことが困難な現代の若者に,物語を追いながらドラッカーの経営術の要点を学ばせようという手法である。ちょうど女の子と一緒にわくわくしながら西洋哲学の歴史を辿ることが出来た「ソフィーの世界」と同じ手法だ。読み終わると確かにドラッカーの要点は掴めるし,もう一歩進めて本物を読んでみようと思う人も多かろう。
 「もしドラ」にはこうあった。「人を管理する能力,議長役や面接の能力を学ぶことができる。管理体制,……を通じて人材開発に有効な方策を講じることもできる。だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。……そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。しかし学ぶことのできない資質,後天的に獲得することのできない資質,はじめから身につけていなければならない資質が,一つだけある。才能ではない。真摯さである。」ドラッカーの原著からの引用である。ここを読んだヒロインの高校生も「真摯さって,なんだろう?」と考えつつ話は進む。私も同じことを考えた。どういう英語に「真摯さ」という訳を当てたんだろうと考えると,深夜だというのに眠れなくなった。強迫神経症の症状である。自宅の英和辞典,和英辞典,英英辞典を開けてみたが,ぴったりの英語が出てこない。翌日,書店で他のいくつかの辞典類を引いてみたがやはり同様であった。東京なら丸善に走り英語の原著を買い求めるところだが,鹿児島では仕方がない。インターネットで「Drucker,management」と入れて検索したが,原著の英文が探せなかった。ある研修医にその話をしたところ,若い人はさすがにインターネットに慣れていた。日本語サイトで,さらに「真摯さ」を加えて検索してみると,出ました。小生と同じ疑問を持った人がいたらしい。
 原著の英語は「integrity」と判明した。これは「integrate(統合する,まとめる,完成する)」という動詞から派生した名詞と思われるが,一般の英和辞典では,「完全,正直,誠実」とかの訳がつけられている。このような訳ではとてもドラッカーがここで表現したかった意味とは明らかに異なる訳語である。探し出したサイトには親切にLongmanの英英辞典の説明が添えられており,日本語で書くと「正しいと信じていることに対して常に誠実で熱心であること」とでもいう意味になろうか。「お前ならどういう日本語を当てる?」と考えてみたが,なかなかいい言葉が浮かばない。訳者も考え抜いて「真摯さ」という日本語を当てたのだろうと納得した次第である。
 ところで,その「真摯さ」は本当に先天的に決定されており,後天的に身につけることが出来ないのだろうか?という疑問が出てくる。Integrityという言葉には完全とか誠実とかいう意味も含まれているので,悪い意味に使われることがないとは思うが,「自分が正しいと信じるものに対する誠実さ,熱心さ」であるのなら,間違ったことを正しいと信じてしまうと危ないことになる。パレスチナ,ベトナム,パキスタン,イランと,次々に余計なことに熱心になったアメリカの政治家,国民の失敗を考えると明瞭である。ところで,遺伝しているのは「真摯さ」ではなく,徹底する性質,しつこさ,最近流行のDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断と統計の手引き)でも使われているかどうか知らないが,いわゆる強迫性性格ではなかろうか。
 この熱心さ,一貫性が勉強に向かえば優等生になれるし,研究に向かえば立派な学者に成長するだろう。長距離の選手,優れた画家なども強い強迫性を持っている。これはいかなる職業であろうとも成功,あるいは立派な業績を上げるためには欠かせない資質であろう。しかし,強迫性は逆の面も持つ。喫煙を始めると1日40本以上というヘビースモーカーにもなれるし,やくざの世界でも出世間違いなしである。いったん自分の身体の症状に注意が向くと執拗に同じ症状を訴える厄介な患者になることになる。確かにマネージャーにはドラッカーいうところの,企業や部下や社会に対する真摯さが必要であり,それがかなり先天的に決定されていることは理解できる。しかし,遺伝しているのは決して「真摯さ」ではなく,その真摯さを支えている物事に対するよく言えば熱心さ,悪く言えばしつこさ,私流の表現をとれば「強迫性性格」ではなかろうかというのが結論である。
 大学医局で心身症の臨床と研究のお手伝いをしていたころ,心身症が専門であられた金久先生は当然ながら神経症の心因性(後天性)発症を強調されていたが,神経症,心身症の患者を診察していて,人の性格,特に強迫性性格はかなり遺伝的に決定されているとの印象を拭えないでいた。それで症例報告や総説の草稿に,金久先生が嫌われるということを承知の上で,そのようなニュアンスのことをよく書いた。決して無理強いされない先生は,「鹿島君,この部分は省いていただけませんか。」と遠慮がちに言われたことを思い出す。
 ひと時も本を離せない文字中毒,若いときには「ああ,今日も死なずに済んだ」というような無理な山登り,ダイビングをしていた,間違いなく親から強迫性性格をもらってきた小生であるが,ドラッカーいうところのintegrity(真摯さ)は親ほどには身につかずに終わりそうだ。



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