緑陰随筆特集
済生会創立100 周年記念式典に参加して
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社会福祉法人恩賜財団 済生会鹿児島病院 院長
中矢 晴雄 |
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平成23年5月30日,東京都渋谷区の明治神宮会館に於いて済生会創立100周年記念式典が行われました。天皇皇后両陛下,常陸宮同妃両殿下,済生会総裁仁親王殿下の御臨席を賜り,また菅
直人内閣総理大臣,横路孝弘衆議院議長,西岡武夫参議院議長,細川律夫厚生労働大臣,東京都知事(代理吉川和夫副知事)を御来賓に仰ぎ厳粛に行われました。
皇宮警察音楽隊による国歌演奏と参加者による国歌斉唱に始まり,式辞,表彰,総理大臣をはじめとする御来賓の祝辞のあと,天皇陛下より以下のおことばを賜りました。
「済生会が創立されて100年,ここに皆さんと共に,その記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。
済生会は明治44年,『無告ノ窮(キュウ)民ニシテ醫藥(イヤク)給セス,天壽(ジュ)ヲ終フルコト能(アタ)ハサルハ,朕カ最(モツトモ)軫(シン)念シテ措(オ)カサル所ナリ,乃(スナハチ)施藥(ヤク)救療,以(モツ)テ濟生ノ道ヲ弘(ヒロ)メムトス』という明治天皇の勅語を体して創立されました。当時の我が国は国勢こそ盛んになっていましたが,国民の中には,生活に困窮して,医療が受けられない人も多く,深刻な状態にありました。以後,済生会は長年にわたり,この『生命を救う道』を広めるという目的の下,たゆみない努力を続け,各地域における医療と福祉の向上に多大な貢献をなしてきました。ここに今日に至る済生会の歴史の中で,その活動を支えてきた多くの人々の努力に深く敬意を表します。
先の東日本大震災においては,済生会の各地の病院からもいち早く医療関係者が被災地に赴き,現在も引き続き支援が行われていることを誠に心強く思っています。大津波による壊滅的被害が広範囲に及んだこの度の災害では,救援活動を行う環境が厳しく,その苦労は計り知れないものであったと察しています。私どもは幾つかの地域で被災者を見舞う機会を持ちましたが,その折少なからぬ被災者から,救援の人々に支えられていることに対する深い感謝の気持ちを告げられました。そうした中に,済生会の救援活動も大きな役割を担っていたことと,感謝しています。
自然災害の危険が常に存在し,高齢化が進んでいる我が国の社会にあっては,困難な状況に置かれている人々を支えていく済生会の活動は極めて重要であります。済生会が長年にわたって積み重ねた経験を今後にいかし,済生会の活動が人々の幸せに一層資するようになることを願い,お祝いの言葉といたします。」
天皇陛下のおことばに,総裁仁親王殿下は「・・本日のこの感銘を新たにして,我が国の保健・医療・福祉の充実・発展のために,今一層,奮励努力する所存であります。・・」と御奉答されました。
式典での天皇陛下のおことばは「新済生勅語」と言うべきで,深く受け止めなければなりません。
菅 直人総理大臣他の御来賓よりの祝辞では関東大震災の時の済生会の救護活動なども紹介されました。
天皇陛下のおことばで表されていますが,済生会創立100年とは,明治44年2月11日,明治天皇が時の総理大臣 桂 太郎を召されて,「恵まれない人々のために施薬救療し,済生の道を弘めるように」との済生勅語に添えて御手元金150万円を下賜されました。桂総理はこの御下賜金を基金とし全国の官民より寄付金を募って,明治44年5月30日,恩賜財団済生会を創立しました。
済生勅語は100年前の古いおことばで難解なため解説しますと,「無告の窮民」とは自分の苦しみを告げる所のない貧乏などのため生活に困っている人,「朕カ最軫念シテ措カサル所ナリ」とは天皇として最も心を痛めるという意味です。
戦後昭和27年に社会福祉法人の認可を受け,現在,社会福祉法人恩賜財団済生会となっています。
この設立趣旨により,済生会は生活困窮者に対しての無料低額診療を柱としています。これが済生会の存在意義です。
不況と言われる現在に,東日本大震災と原発事故が加わり社会状況の不安定で弱者の増加も考えられます。現在,済生会生活困窮者支援なでしこプラン2010(なでしこは済生会の紋章でもあり象徴)で謳っているように,ホームレス・DV被害者・障害者や,高齢者・刑余者・母子児童・外国人その他の支援や診療も積極的に対応するよう努めています。
診療以外のことでは,身障者の雇用や省エネ対策などの課題も改善を求めています。
現在,全国に80の病院と15の診療所を含め,福祉施設や訪問看護施設など合計374施設あり,全役職員約5万人です。医療・福祉両面の機能を有する日本最大の団体となっています。
私どもの済生会鹿児島病院は透析専門医3人,循環器専門医1人,消化器専門医・消化器内視鏡専門医1人,肝臓専門医1人の計6人の医師がいます。一般病棟30床,療養病棟40床の計70床であり,全国的に見ても非常に小規模の病院です。
九州7県には13病院がありますが最少規模です。他の大規模病院は地域の基幹病院としての役割を担っています。
本院は人工透析・健診・老人医療を3本柱と考えています。土地も狭く現時点では他の済生会病院のように高度先端医療が担えるような大規模な転換は不可能ですが,どなたでも気軽に来院出来る地元の小さな病院としての役割を担っていこうと考えています。また,遠方になりますが武岡に済生会鹿児島地域福祉センターがあり,特別養護老人ホーム高喜苑やなでしこ訪問看護ステーション等の福祉施設があります。今後は医療と福祉のより一層の連携を深めなければならないと考えています。

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