岬の風に ないて散る
浜木綿かなし 恋の花
薩摩娘は 長崎鼻の
海を眺めて 君しとう (南国情話)
私は高校を卒業すると山村の小学校に代用教員として勤めることになった。その学校では,1年おきに職員旅行があった。本来なら旅行中は1人留守番を置くべきだったのだろうが,20年もその学校で教頭をしているというM先生に威厳があって,教育長すら何も言わなかった。留守を置かず職員全員で行った。
私も8年間で3回旅行を共にした。湯之児温泉,別府温泉,八代海の新鮮な魚の刺身食べ等であった。初めて見る景色,初めて食べる料理等,それなりの楽しさを味わった。
2校目の勤務は免田町の小学校となった。私はそこで3年勤めた。4年目もその学校勤めと決まっていたのだが,鹿大へ合格したので退職した。
免田小学校では毎年職員旅行が行われた。どれも1泊2日で,連休を利用したと思う。
6月の父兄参観の授業で,1人の父兄が私のことを「今度の先生は頼りなか。」と言っていたと同僚に聞かされ,大学進学のチャンスが来たと思った。2人の妹を高看へ進学・卒業させ,自分が病気して休職したことなどもあって延び延びになっていたのだった。この学校では留守番を置いた。「誰か当直してくれますか。」と教頭が言うと,私は「ハイ,私がします。」とすぐ手を挙げた。3年間そうした。勉強もできるし当直料も入る。女性の日直はどうやって決めたか知らない。
ある年,旅行先が指宿であった。帰って来た男子教師が,「指宿は良かった。」と言っていた。何がどんなふうに良かったか具体的な内容は聞けなかった。大学に入れば指宿に行く機会もあるだろうと思ったからその言葉に心が躍ることは無かった。
私が長崎鼻へ初めて立ったのは,昭和37年の5月だった。学友会が,新入生歓迎として指宿方面へのバスツアーを計画してくれた。3年間,教員として大学受験生として頑張った自分を褒美として行かせてやろうと思ったのだ。
池田湖を眺め,鹿児島大学農学部が持つ広い森林の中を通り,長崎鼻へ行った。時間の関係もあるので岬には10分間程しか居れなかった。大昔,開聞岳が吹き上げたと思われる火山灰と溶岩で岬は海の中に伸びていた。名も知らぬ小花が崖に咲いていた。長崎鼻から開聞岳の麓まで白砂の浜が続いている。その傍で昼食を摂ったように思う。私は長崎鼻にある種の神秘さを感じていた。いつかまた,1人で訪ねてみようと思った。久し振りに勉学もアルバイトのことも忘れて伸び伸びした時間を過せた。
長崎鼻の神秘をもう一度味わいたいという気持ちが満たされる日が思ったより早く来た。入局した医局の医局長から,霧島の山の上の病院への出張を,指宿の病院へ変わるよう命ぜられたのが2年後であった。医局長の命令は教授の命令と思っていたのだ。長崎鼻の何処に神秘さを感じ,何が神秘さを与えるのか知りたかった。
土曜日の午後,車で出掛けた。国道から長崎鼻へ通じる道の入口を探すのに少し手間どったが,最短の道をなんとか見付けた。行ける道は3本位あったのだった。ツアーの時は行く箇所が数箇所あって,ひと処に長くは居れず途中の道も急ぎ足になったので,周りの風景をゆっくり見なかったが,岬に近づくと左手は低い丘が岬まで続き,数々の花が咲き乱れていた。右手には海岸近くに駐車場があり其処へ車を停め歩くと,土産店が5軒程並んでいた。土産物を買う気がないのでざっと眺めて通った。だから長崎鼻の特産品が何だったかも覚えてない。
岬は約30m位で海へ続いていた。表面は火山灰で覆われ,今まで大勢の人に跳み固められて硬くなっていた。渚まで歩を進めると少し小さな溶岩も見えた。砂が波に洗い流されたらしい。溶岩の道は3m程の幅で海中へ続いていた。彼方に小島が見えた。頂はこんもりと木に覆われていた。
昔,浦島太郎はこの岬から亀に乗って竜宮城へ行ったそうだ。竜宮城はあの島の周りの海中にあるのだろう。それで神秘さが漂っているのだろう。太郎が行けたのなら私にも出来ないことはないだろうと,一寸とした冒険心が湧いた。
海中へ足を踏み入れた。膝が浸る。腰が首が海中に沈む。やがて全身が海中へ隠れる。溶岩の道が先へ真っ直ぐ延びている。不思議に息苦しくない。地上と同じ様に呼吸できる。先の方に七色の明かりが見えてきた。更に進む。島の周りの珊瑚礁の上に華麗な建物が建っている。中央の優美な宮殿が乙姫様のお住いだろう。入口に2人の女官が立っている。「どなたじゃ。」と声をかけられた。咄嗟に「浦島太郎の子孫の浦島八郎と申します。」「ああ,あの太郎殿の。聞いてはおります。あれは何百年前のことでしたかな。お通りなされ。」
私は門を潜り階段を数段上がり廊下へ正座した。奥の一段高くなった座敷に乙姫様はお座りだ。気品あるお顔,お召し物。20代か30代だろうか。「ようこそおいでました。一献差し上げます程にご緩りとなされませ。」私は恐る恐る緩りと御前に進んだ。戴いたお酒の甘美なこと。アルコールに弱い私も御代わりをしたくなった程だ。太郎の時の様に鯛や平目の舞や踊りが始まった。魚類の踊りを見るのは初めてだ。面白く楽しかった。次いで女官達の舞があった。舞楽である。現在は雅楽は特殊な場所で特殊な時にしか奏られない。舞は優雅ではあるが動作がゆったりしていて私の気性には合わない。雅楽もいつも聞き慣れている訳ではないので心が弾まない。
その時太郎のことを思い出した。太郎はここに3日居たつもりだったのだが,岬に帰ってみると地上では100年経っていたのだ。ここには時の流れがないのだろう。いや速いのだろうか。私には明日も仕事があるのだ。太郎の様になっては困る。即刻帰ることにした。乙姫様は,「今暫くは良いのでは。」と言って下さったが挨拶もそこそこに御暇した。
帰る途中で足先がいやに冷えた。どうしてだろうと考えている時,私は長い夢想から覚めた。いつの間にか満ち潮になったらしく海水が踝を洗っていた。太郎は帰って来た時,岬を発った時の若さだったそうだ。
高校3年生の時,物理に強い同級生が,「人間は光と同じ速さで動いていれば歳を取らない。」と言ったことがある。不精な私は今までそのことを本で確かめることをしていない。竜宮城は光の速度で回っているのだろうか。海中を歩いて竜宮城に近づいて行った時,竜宮城はいつも同じ地点にあった。新幹線や航空機に乗った時,外を見なければ,あるいは目を閉じていれば前に進んでいると感じない。家や田畑が,雲や霧や,海上の船が後方へ流れて行くのを見て先へ進んでいるのだと解る。物が超スピードで動けば1点に止まっている様に見えるのだろう。
光の速度で動く物体の上で産まれた赤ん坊は一生を赤ん坊で過すということだろうか。然しこれは少しおかしい。人間は25歳までは発達すると聞いたことがある。25歳まで発育してその後は歳を取らないと解釈すれば納得がいく。人間は125歳迄生きられると東大の先生が書いておられた。竜宮城に住めば125歳まで25歳の若さを保って生活出来るということになろうか。然し,あの限られた空間で125歳まで生きても面白くない。
人間が地球と同じ様に住める惑星が他にあれば,そこへ移住して若さを保ったまま一生を過したいと思う。移住先はやはり日本のような所がよい。その惑星は光の速度で回っていなければならない。そして私の身体が其のスピードに適合する状態になっていなくてはならない。地球の自転の時速は約1,667qだから,約180倍のスピードに耐える身体を持つ必要がある。これは1〜2年で出来ることではない。
人間の身体がそこまで進化するにはどれだけの年数かかるだろうか。少なくても100万年単位と考えねばならないだろう。諦めるしかない。
長崎鼻に波打つ音を子守歌と聞きながら,波の彼方に浮ぶ緑の小島の周りの水中に存在するであろう竜宮城,其処に住まう乙姫様と女官達の色鮮やかな美しさを想い浮かべて佇んでいるしかなかろう。
例年,ゴールデンウィークは晴天が続くのだが,今年は雨天の日が多かった。4日は晴れるとTVが放映したので,その日知人の運転で35年振りに長崎鼻を訪れた。国道から岬へ至る道は以前は両側畑であったが,家屋が立ち並んでいた。左手の花の丘はそのまま,駐車場も元の所にあったがそれに続く5軒の土産店は2軒しかなく,1軒はシャッターが降りていた。新しい店が4〜5軒道の向い側に建っていた。
両側が海になった所まで進むと以前は林だった左手(東側)は平地にしてあり,中央に方位板が設けられ,佐多岬・種子島・竹島・硫黄島・黒島等の方角と,そこまでの距離が示してある。足元を踏むと飲み水が出る台もある。都会の公園と同じだ。自然が消えたと寂しくなった。公園のすぐ先隣りにクリーム色の高さ7m位の灯台がある。以前は無かった筈だと思って近寄って見ると,コンクリートで造られた土台に(昭和32年建設)と刻んであった。昭和37年に私が来た時はもっと小さかったのかもしれない。それで私は見落としたのかも。クリーム色の灯台は染みひとつない。最近,造り変えたのだろうか。灯台のすぐ先は5m位の急峻な石段になっている。手摺りが無いので老人には危険で降りられない。その先は岩石の岬で踏み板が突端まで敷いてある。若い2人連れが2組歩いていた。以前はこんな階段は無く,なだらかな砂のスロープだった。訪れている人達は殆ど若い人達で,高齢者はタクシーでやって来た4人組を見掛けただけだった。引返す途中一番大きな店に寄ってみた。長崎鼻独特の土産物は,唐芋で作った饅頭ぐらいで,鹿児島県の焼酎がずらりと並べてあるのが目を引いた。
都会の喧噪から離れ自然を求めて人々はやって来るだろうに,都会の何処にでもある様な画一的な公園らしさに様変わりした長崎鼻には,神秘は無く,乙姫様のイメージも湧いてこず,昔の様な自然たっぷりの岬に戻して欲しいものだと考えながら帰途に就いた。
逢えない人を したわせる
今宵の月の つめたさよ
可愛いあの娘(コ)も 長崎鼻で
一人眺めて 泣くだろう (南国情話)
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