開聞岳の山の巣に
日暮は鳥も帰るのに
君は船乗り 竹島遥か
今日も帰らず夜が来る (南国情話)
昭和17年11月,私達小学6年生,人吉東小学校100人は鹿児島市への一泊修学旅行に行った。物資は不足し種々の行事も規制されて来ていたので,これは奇跡的なこととも思えた。前年,日本は大東亜戦争に突入して全てにおいて窮屈であった。私は伯母の家に下宿していたのだが,伯母が知り合いのパン屋さんから,おやつ用にパン5個を手に入れて来てくれたのは,おやつの期待はしてなかったので大変有難く思ったことを思い出す。
肥薩線は,吉松駅で乗り換えるのが普通だが,この時は乗り換えはしなかったようだ。鉄道局が便宜をはかって下さったのだろう。
鹿児島駅で降りて予定地を廻り,照国神社の近くの宿に泊った。
一泊した帰りの列車で私は錦江湾側の席に座り,海の美しさを堪能しつつ帰った。翌日,感想文を書かされた。“山形屋デパートで,キャラメル・ヨウカン等をガラス箱に見たが,これは配給品ですと女性店員に言われ,残念だった。”というようなことを私は書いたようだ。
出来上がった冊子を読むと,最後の頁に担任が“帰りの車窓から後方に端麗な開聞岳が見えた。”と書いておられた。私は開聞岳の存在を知らなかった。知らないから勿論見ていない。美しい山を見たかった,残念だ。何時か見に行こうと思った。
その後,縁あって鹿大に入学し鹿児島に住むことになった。
専門1年の春だったと思う。良く声をかけて励ましてくれるO君が,「西橋さん,僕はこの間,指宿へ行って開聞岳を見てきたよ。自転車で2時間半(片道)だった。西橋さんも行くなら自転車を貸すよ。」と言ってくれた。私は小学生の時に見損じた山を傍で見れるのなら行こうと思った。
ある日曜日の晴天の日,O君の自転車で朝早めに家を出た。今の日石石油基地(喜入)の少し手前に,少し海へ突き出た土地があり,松が3〜4本生えていた。見晴らしがよいのでそこで朝食を取ることにした。御握オニギりを3個持っていた。今でも思い出せないのだが,この御握りは何処で手に入れたのか。間借りには台所はないし,作ってくれるようなラバさんもいない。生協食堂にも売っていなかった筈だ。だったら,何処かお店で買っていたのだろう。食べた後は水分が欲しくなる。それはどうしたのか。今みたいにペット飲料があちこちで売られている頃ではない。
O君の自転車は,その頃流行だした三段切替えで少々の坂道でもスピードがでた。朝食の後は休むことなく開聞岳の麓まで走った。開聞駅の近くで鉄道の踏切を渡り,山の二合目に自転車を寝かせて山道へ入った。暫くは両側林続きで下界は見えなかった。山道は2人並んで歩くと肩が触れ合う程狭く,ところどころ落葉が4〜5枚位ずつ落ちていた。八合目と思われる高さまで歩いた時,突然左側の視界が開けた。白っぽい四斗樽くらいの大きさの岩が重なりあって,直接海まで続いていた。海水は岩に打ち当って白い飛沫を上げていた。右側は崖で小さな低い木しか生えていなくて,頼りになりそうなものはなかった。強風でも吹いて左側に倒れたら海まで一直線だ。
私は両足を踏ん張り,両手で石の角を強く握り慎重に登って行った。九合目になると左側にも木立があり安定感が戻って来た。頂上は畳30枚位の広さで,中央に10畳程の大きな岩があった。頂上には木立は無いので360度見廻せた(北に池田湖,指宿市,西に枕崎市,南に小島が2つ3つ,手に取るように)。
私は海も山も好きだ。盆地に育ったので海に対する憧れは強い。然し山頂に立って遠方まで眺めるのは気分が高揚して快感だ。
岩の上に2人の若い女性が立っていた。尋ねると休日を利用して小倉から来たという。写真を撮ってあげた。送ってあげるからと住所,氏名を聞いた。2人は先に下った。途中で2人に追い着いた。
「お仕事は何をしていらっしゃるのですか。」と尋ねられた。
「何をしているように見えますか。」
「学校の先生でしょう。」
「まあ,そんなものです。」
教員を辞めて3年経っていた。然し11年続けた教員の匂いはまだ消えていないのだと思った。
山を下りると国道を横切った先に開聞小学校があった。前年,ある会合で会った教育学部の学生さんが4月から開聞小学校に赴任したことを聞いていた。寄ってみようと考えて学校へ行った。正午を過ぎていた。玄関を通った人に先生の名前を言った。もう担任の子供達は帰宅していたらしく,気軽に出て来られた。先生は,「昼ですね。昼食はまだでしょう。ソーメン流しに行きましょう。」と言ってくださった。私はまだそこへは行ったことはなかった。
開聞町営の小さな谷間に造られた円形のソーメン流し台。水の力でソーメンがぐるぐる回る。鱒の塩焼も注文した。後の小川に鱒が泳いでいた。小川に手をつけるとシビレルように冷たかった。先生からのサービスだった。感謝の言葉を述べ再会を誓い校門で別れた。
私は小学6年生以来思い続けて来た山を,目の当りに眺め,この足で山頂まで登ったことに喜びと満足とを感じていた。O君の自転車のおかげ,そして知人とソーメン流しを共に出来たことへの感謝を覚えていた。
夏休み人吉へ帰った時,高校の同級生だったM君に開聞岳へ登った話をした。「僕も登ってみたいな。」と言うので,秋の休みに2人で登ることにした。M君は朝早めの列車に乗ってやって来た。列車で開聞駅まで行った。山はすぐ目の前にあった。2人で登った山は,また別の発見があった。
開聞岳の山の巣に
日暮は鳥も帰るのに
君は船乗り 竹島遥か
海を眺めて 一人待つ

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