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顔を除き,体毛を短く刈られたベル。写真に撮
られるときは,なぜかいつもおりこうにできる。
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日本一小さい警察犬,くぅ君を知ったのは1年ほど前だ。出張中のホテルのテレビに映し出された姿は,わが家の駄犬,ベルによく似ていた。体を覆う灰色と白色の縮れ毛は黒一色のベルと異なるが,犬種は同じミニチュアシュナウザーだという。俄然興味を覚え,画面に集中すると,アナウンサーがくぅ君は嗅覚が素晴らしく,和歌山の警察犬になったのだと伝えた。
えぇー。それに比べてわがベルは…。そのだめだめぶりを思い描き,ため息が出た。
その後,くぅ君は全国紙でも紹介された。記事によると,くぅ君はそのとき3歳。体高30センチ,体重6キロ。和歌山県日高町生まれのオスで,クウクウと鳴き,甘えていたことが名前の由来だそうだ。「なかなか言うことを聞いてくれない元気な子」で,飼い主がしつけのために警察犬訓練所に預け,その才能を開花させたという。
うーむ,くぅ君も以前はやんちゃ坊だったのか。くぅ君と比べるのは失礼だが,ベルは1歳違いの4歳,オス。言うことを聞かず,元気な点も似ている。ただし,決定的に違うのは,くぅ君が立派に成長したのに,ベルはそのだめぶりが今も変わらないことだ。かなり残念なことである。
しかし,と考えた。それはベルだけに原因があるのではなく,育て方が間違っていたからではないか。駄犬の責任は飼い主が負うべきかもしれない。うーむ。
ひとつ言い訳をさせてもらえば,ベルの本来の飼い主は愚息である。4年前,母親(私からみれば愚妻)と一緒にペットショップに出掛け,気に入ったらしい。その場から「飼ってもいいか」とメールしてきたが,わが家はゴールデンレトリバーを若死にさせた経験があり,2度と犬を飼うつもりはなかった私は,愚息を傷つけないように言葉を濁しながらも,だめだ,と明確に意志を示した返信を送った。
だが,私の文章があいまいだったのか,息子の解釈力不足か,あるいは故意に私の意志をねじまげて受け取ったように装ったのか(たぶんこれが正しい),「ありがとうございます。頑張って世話をします」と返信がきた。慌てて,ストレートに「犬を飼うのは反対」とメールしたが,時すでに遅く,妻は支払いをすませ,愚息は子犬をしっかり抱いていたという(ホンマかいな)。
一人っ子の愚息は,幼いとき,自分の倍以上ある大きなゴールデンの背中に乗ろうとし,いつも軽くあしらわれていた。ちょっと成長してからは,親に黙って,ゴールデンと一緒に(守られながら),祖母宅へ徒歩での大冒険を決行した。親友であり,姉のようでもあった彼女が死んだときは,人目もはばからず大泣きした。
犬に甘えてばかりだったくせに,子犬を連れ帰った日,愚息は弟を手に入れたように意気揚々としていた。
「本当は違う種類にするつもりだったけど,こいつと目があったとき,どうしても僕に飼ってほしいと訴えてきたんだよね」とうれしそうに報告する。名前も,安易かつベタに「鈴木家の犬だし,ベルってことで」と自分で早々に決めた(そういえば,ゴールデンの名前,チャーリーも彼の命名だった。メスなのにもかかわらず…。たぶん,チャーリー・ブラウンから安易に思いついたのだと思う)。
はー,情けない。ため息をつきつつ,愚息にとりあえず「君と母が飼うと決めたのだから,きちんと面倒を見るように。父は今も飼うのは反対だから,この犬にとっては『通りすがりのおじさん』という立場で接する」と宣言した後,渋々,ベルがわが家で暮らすことを認めたのだった。
その後の展開は,実際のところ,初めから予想できていた。愚息はベルをかわいがりはするものの,散歩など手間暇がかかる世話はすぐに放棄した。そのうち県外の大学に進み,今では帰省時に気が向くと一緒にプロレスなどをして遊び,家族がいないときだけ餌当番を引き受けるぐらいだ。
必然的にベルの面倒は妻に委ねられた。しかし,私も本来,犬は嫌いでない。というより大好きである。「けじめ」として,今でもベルに語りかけるときは 「おじちゃん」と自称し,「お母さん」と呼称する妻との立場の違いを明確に分けているが,心の中ではベルはわが家の次男だと思っている。だから時々,愚息の名前と取り違え,呼びかけてしまうのだ。
当然,ベルに対しては甘い。めちゃくちゃ甘い。家にきた初日,まだ誰にもなじめず,小さい身体をまるめて寂しそうに1匹で寝ていた姿にぐっときた。それ以来,基本的にはめちゃくちゃ甘い。
思えば,おじちゃんという気軽な立場も災いしたのかもしれない。おじちゃんなら気分で接して構わないはずだと勝手に決め,甘やかし放題にしてきた。もしかしたらベルから「ちょろいおっさん」と見られているのかもしれない。愚息,愚妻に比べ,時々対応に不遜なところが見受けられるのだ。まあ,「通りすがりだから」,それでも平気なのだが。
対照的に妻は,当初,「犬は厳しく育てることこそ愛情だ」という考え方だった。幼いときにシェパードを飼い,ゴールデンの選択も自ら行った,大型犬が好みの「本格派」の犬好きである。ベルを飼うときも大きな犬が欲しかったようだが,愚息が選んだので仕方なく承諾したらしい。
それゆえ,ベルも厳しくしつけようとした。しかし,私の甘さに乗じてベルはどんどんわがままになっていく。甘えん坊で,わがままで,なおかつ小さいヤツは憎めない。さらに,妻には厳しくしつけたゴールデンが若死にしたことを悔やむ気持ちもあったようだ。甘やかす私への糾弾が日に日に弱まり,ベルへの接し方が日を追って変わっていったのはやむを得ないことだったのかもしれない。
今では,ベルは愚妻の腕の中にいるときが一番幸せそうであり,彼女も喜々として抱いているように見える。
そんな育ての母と,通りすがりの育てのおじさんの心の内を知ってか知らずか,今日もベルは元気いっぱいである。もちろん,くぅ君の話題では妻と大いに盛り上がったが,ベルを訓練所に預けようなどという話は一切出なかった。くぅ君は立派だし,愛らしいし,素晴らしいけれども,ベルだって捨てたもんじゃない,という話にいつもすり替わった。
一番の自慢は運動能力の高さである。「すばしっこさ,ジャンプ力でかなう犬はいないね」,「警察犬になったとすれば,嗅覚で勝負するんじゃなくて,犯人と格闘するかも。でも,チビだから絶対に勝てないだろうけど」と笑い合う。
そういえば,幼稚園のとき,愚息に恋心を抱いた女の子にその理由を聞くと 「お猿さんみたいでかっこいい」という返事だったことを思い出した。確かに,彼は園のジャングルジムを猿のように自在に動き回っていた。
実は,運動能力に比べて勉強は…という点でもこの兄弟は似ている。しかし,親は互いにそこには触れず,「男の子は元気が一番」ということで落ち着く。いやはや,親ばか,おじばかもいいところである。
ベルは昨年11月,5歳になった。人間でいえば中年に差しかかってきたわけだが,相も変わらず,元気な腕白小僧である。しかし,実際はアレルギー体質で,かかりつけの獣医から食べ物は専用の餌しかだめだと言い渡されている虚弱児の面もある。
だが,根っからの食いしん坊であり,家族が食事をしていると何でも欲しがる。甘いおじさんは「食べたいものも食べず,それで長生きして幸せか」と無茶な論理まで持ち出し,つい間食させてしまう。
しかし,それが引き金でアレルギー症状が出るときもある。夏は特にひどい。何が当たったのか,かゆがって夜中に騒ぎだすこともたびたびだ。こちらも目を覚まし,全身をかいてやる。気を紛らわしてやろうと,深夜の散歩に出ることもある。
夏場は,シュナウザーカットをあきらめ,体毛はかなり短く刈っている。かっこ悪いが仕方ない。まあ,ばかおじはその姿もなかなかかわいいと思うのだが。
とはいえ,かゆがる姿を見るにつけ,もう2度と専用の餌以外はやらないと誓う。だが,寒くなるとかゆみはかなり収まるようだ。だから獣医のアドバイスは,ばか親,ばかおじ,駄犬ともどもすぐに忘れ,だいたいのものは食べさせるようになる。いやはや,救いがたい一家なのである。
ベルの散歩コースは,鹿児島市の甲突川河畔だ。暑がりなので夏は朝と日が暮れてからしか出掛けないが,この時期,休日などは日中も連れ出す。日ごろ妻にべったりのベルも,外を歩く時は自分の横に付くよう指示する妻と異なり,リードが延びる範囲ならわがままを許す私と一緒の方が楽しいらしい。跳びはね,すばしこく動き回る。時々,「この調子でも怒られないかなあ」とばかりに私に目をやる姿もなかなかに愛らしい。
こんな甘い保護者と一緒では,ベルは死ぬまでくぅ君のように立派な犬になることはないだろう。そのことを,ベル自身がどのように感じているのかは分からない(たぶん,何も考えていないと思うが)。
でも,と思う。通りすがりのおじちゃん一家はこの駄犬から大きな幸せをもらっている。だから,ベルは犬として,たいそうな役割を果たしているのではないか。立派な,いい犬,もしかしたら賢犬なのかもしれない。大甘おやじは,そんなふうに勝手に考えているのだ。

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