=== 新春随筆 ===
悩みのスパイラル |
(S26年生)
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北区・上町支部
(南風病院)
楠元 和博
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いよいよ還暦を迎える年である。自分もそんな年になるのか,という感慨にひたる一方,まだ現役生活を続けている中で何かもの寂しさを感じながら仕事に向かっている。それにしてもこの頃の月日の経つのは何と早いものかと感じ入っているが,これも年を重ねた結果なのでしょうか。
さて,先ず何か“もの寂しい”のは何故か?この年になると体力の衰えをそこかしこで痛感する。まだ残されている体力は大体が以前に比べても引けを取らない。飲酒量にしても減った訳ではない。またすぐ酔ってしまうほど酒に弱くなった訳でもない。ただ,回復力が衰えていて,飲酒翌日などは二日酔いに随分と打ちのめされる。これに加え再起する力が弱く,回復するのに時間がかかる。ゴルフにしても飛距離が随分と落ちた訳ではないが,翌日や翌々日の筋肉痛や疲労感は否めない。そしてここでもやはり回復に時間がかかるのである。この再起までの体力が回復する間に気力の面では弱き虫が顔を出し,先ずは体力を温存するために体を休ませようなどと考えてしまう。つまり精神面での気力向上に繋がらない。これでは少なくともプラス志向にはならない。
こうしたことが仕事面でも同じように起こってくる。仮にある時忙しい日々があったとする。そうすると必ず翌日や翌々日には疲労感が結構残っていて,気力が生まれないばかりか,先ずは体力を元に戻さなくてはならないと努める。あにはからんや,引き続き忙しい状態が続くと,心身共に疲労困憊し,ついには倒れるのではないかという不安みたいな守りの姿勢が体全体を覆ってしまう。そうなると,今度は周囲にはやる気のない態度に映っているのではないかと,気を揉む。周囲の人は意外とそんなことは考えていないのであろうが,この年になると自分の心の中では俄然そんな思いが結構自然にまかり通るものである。若い時分はこんな心持ちは全然経験なく,この年になって初めて理解する。
次ぎにそんな気持ちの中で仕事を続けていると,どこかにまだ若い時の残像みたいな部分があって,これは先述の,このところ感じる不安な気持ちとは全く対極に存在すると考えているが,この部分の前向きな心中が今度は頭をもたげてくる。つまり,これではいけない,組織(ここでは病院)に迷惑をかけているのではないかとの気持ちから,また昔みたいに頑張っていかなければいけないだろう,と自分に言い聞かせることになる。そこで自分の気持ちを奮い立たせるのだが,すぐまた対極に呼び戻されるように,“余り頑張ってももう限界を感じている年齢だよ”と心のどこかで甘い囁きが聞こえてきて気持ちが揺らぐ。
したがって,どこにも行き着くことのない,どう悩んでも心の安定をはかれない,不安だけが残ることになる。言えば堂々巡りをしているのである。これは 『悩みのスパイラル』と言ってもいいのではないだろうか。還暦を迎えようとするこの時期にはその揺れ動く心の不安定さからいつまでたっても脱却できないのである。これは一種のうつ症状であり,初老期もしくは老年期症状であって,誰でも通る道なのであろう。それはおそらく人によって程度の差というものが存在するのであろう。同級生と話しをすると中には理解してくれる友もあり,したがっておそらく多かれ少なかれ誰しも経験するものなのであろうと考えている。
そんな中,時間は容赦なく経過していき,それを月日の経つのはこんなに早いものなのか,と驚嘆する。年々その早さは増すようである。しかし,考えようによっては,悩みが尽きないのであったら,悩んでいる間に時間が経ってしまうことは都合のいいことではないだろうか。時間があっという間に経って,周囲環境が変わってしまうことによって,いつしか悩みの解決点に知らず知らず近付いていくことになるのであったら,それはそれで受け入れられる。
還暦周辺の年齢の人たちにとって,時間の経つのが異様に早く感じられるのは,老化に伴う人間の持つ巧みな仕組みの一つなのかもしれない。『悩みのスパイラル』は人間が当然経験する道で,それは今後さらに年をとっていくまでの通過点ではなかろうか。人が多かれ少なかれ経験する心の悩みを回避できる一仕組みとして,時間の経過を早く感じさせる脳の工夫が人の還暦の頃に活かされているのかもしれない。

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