=== 随筆・その他 ===

唄は世につれ世は歌につれ・私の唄暦を辿って


西区・武岡支部 
              脇丸 孝志

 「ぽっぽっぽ,ハトぽっぽ,豆が欲しいかそらやるぞ…」ヨチヨチ歩きはじめと共にこの世で覚えた歌の始まり,将に80有余年昔の夢物語そのものに映るのは当然だろう。時は昭和初期,時代の一大転換期に当たる。同じ頃から2歳違いの兄や姉達の生き様が次第に私に沁み始める時期だ。唄も然り。「宵闇迫れば・君恋し」「泣くなよしよし・赤城の子守唄」昭和8年春3月,四角い箱型のラッパと犬印付き,手回し蓄音機が初めて我が家にお目見えした。次姉の一高女合格と言う祝いの振れ込み。盤面真ん中に「佐渡情話・寿寿木米若」と確かに読めたし,33と45回転の区別がある頃の物だった。レコード盤は初めはゆっくりと,月日の経つに連れて加速度を徐々に速めながら増えて行く。当然の成り行きであろう。小学校に入学する頃だったか,「廟行鎮の敵の陣・爆弾3勇士」と言う勇ましい軍歌が流行り出した。レコード盤は家に無くてもすぐに覚えた記憶がある。
 小3の担任は郡山町出身の稲田敏文先生,師範出たて新進気鋭で可愛がって頂いたとても懐かしいお方で生涯忘れられない。先年鬼籍に入られた。御冥福を心からお祈りする。合掌。
 中学生始めには「花も嵐も踏み越えて,行くが男の生きる道・愛染かつら」映画の主題歌が全国に大流行。丁度,幼年学校受験準備の頃だったが,これも何時の間にかすんなりと耳が覚えた。武窓にも禁制の流行歌好きが何人かいた。熊本の宗村,島根の都間,台湾出身の藤森君など私より遥かにませで上手だった。以後敗戦までは映画の主題歌が殆どだったように思う。それも大抵大陸物,例えば「熱砂の誓・建設の歌」の如し。
 この時代を代表する異色の3人のスターを特筆しよう。イ・森繁久弥,ロ・美空ひばり,ハ・三船敏郎。
 持ち歌代表,イ・知床旅情,ロ・川の流れのように,ハ・歌わずドスの利いたセリフ,三者三様の趣,興味津々深く味わいたい。特にイのお方。
 この他,佐野周二・佐分利 信・高峰三枝子・桑野通子・入江たか子・他多数略。三枝子さんは歌える女優の嚆矢ではなかろうか。以上総て故人。昔々の方々。合掌。

 


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