幾度か生命の危機に直面して－八路軍軍医留用亡父の遺稿より
| 東区・紫南支部 有馬 榮德 |
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| 写真 1 有馬勇二郎頌徳碑 肖像は石碑像原板写真 |
碑文に関連する父の遺稿の主文とその足跡の一部をたどることができた私の印象も付記し，戦後7年目の1953年に中国解放軍から解放されて帰国し，田上町に有馬外科を開業，鹿児島市医師会員として胃がん術後再発で1975年8月24日神のみもとに召されるまでの20余年お世話になりました医師会の皆様方にご披露申し上げご恩に報いたいと存じます。
故有馬勇二郎は旧串木野市上名で，早稲田大学前身の東京専門学校在学中に本郷教会の海老名弾正牧師に洗礼を受けた父栄之進，母ヌイの次男として生まれ，川内中2年時，海軍兵学校志願を父に「お前は有馬家の跡継ぎだから」と強く断られ，3年になって賀川豊彦著「死線を越えて」を読み感動，洗礼を受け，七高時代にはYMCA，聖書研究，日曜学校教師や柔道にも熱をあげ（三段），1930年東北帝大医学部卒，同大関口外科入局。福島県いわき市の病院，1934年串木野の三井鉱山病院勤務。過労で肋膜炎罹患，1年休養。1938年母教室関口外科の要請で陸奥市，八戸市，気仙沼市，平市共済病院等の勤務医を遍歴しました。1941年大東亜戦争勃発。丙種合格の父には召集はなく，1943年3月，七高，東北帝大や柔道部等で級友の鹿児島市出身前田医師の懇請もあって妻靖子を伴って南満州（現中国東北地方南部）本渓湖市満州製鉄本渓湖支社（石炭採掘，製鉄の大軍需工場。日本人従業員と家族約3万人。附属病院は本院のほか3分院。戦時体制下のため教会はなし）の湖山病院院長として着任。〈註〉筆者は1984年以来23回の学術訪中の中で，1996年9月，瀋陽の王興国小児外科副教授と本渓鉄路医院職員の案内で当時解放軍の糧秣庫となっていた湖山病院の父の院長室跡を廊下から眺め，病院の門前で51年1ヶ月程前の終戦当夜，柔道3段の父がひとりで木銃を持って警邏に出掛けようとした矢先に，誰何した暴漢の拳銃で至近距離から撃たれた現場を自ら歩いてみました。翌1997年7月には筆者の錦洲医学院肝胆外科王 家璋教授推挙による客員教授招聘式，記念講演終了後，大学近郊にある国共戦争の遼寧戦役紀念館に案内され，八路軍（共産党）と国府軍（国民党）の内戦で国府軍の捕虜，戦死者などが50万人に達したという同地周辺での大激戦の模様を動画のパノラマ館や展示品，写真展など観覧，亡父の留用軍医，外科統括者としての活躍ぶりや苦労を実感できました。因みに他の二大内戦，淮海戦役（山東方面），平津戦役（北平，天津方面）を含む三大戦役の国民党軍人の俘虜を含む損害は，55万人と報告されています（遼瀋戦役記念館，淮海戦役記念館，天津市歴史博物館編 共産党就没有新中国画集之五 上海教育出版社 1992年12月）。父が遼寧軍区衛生隊直属の手術隊責任者時代に同部隊の青年将校で娘さんを父に救けられたという北京解放軍司令部の唐 凱将軍に1986年北京市の国際電子顕微鏡学会参加中に同市内軍司令部招待所に招かれ（将軍の子息夫人の日本語通訳），1992年には虫垂炎で北京解放軍病院入院中の病室を国際小児外科会議中，同伴した老朋友の北京解放軍病院小児外科，劉 貴麟教授に英語，大連大化医院小児外科，王 興国教授に日本語への通訳をお願いして同伴，お見舞いして，父が中共軍遼寧軍管区の10病院を総括する外科の管理者であったなど直接にお話を伺うことができました。また，以前父が衛生部隊の病院等での手洗い，手術などの写真が同封された将軍からの書簡が父の死後遺族の私共の自宅に厚生省を通じて届けられており，「勇二郎先生は新中国建国の功労者の一人であり，機会があったら墓参をしたい」と。しかし先年逝去され，解放軍主管葬儀には小生にご案内まで頂きましたが，弔電のみで失礼いたしました。なお，父勇二郎は筆者のUCLA外科留学中，1972年1月に鹿大病院で胃がんの手術を受け，翌年（石油ショックの年）に夫婦で渡米，筆者夫妻が案内してロサンゼルス，サンフランシスコ，ニューヨーク,ナイヤガラ瀑布，ワシントンDCなどを30日間巡遊，視察（鹿児島市医報第12,13号に5回手記「アメリカ旅行30日」掲載），手術後3年目に胃がん再発，ウィルヒョウリンパ節転移等で再入院。1975年8月24日神のみもとに召されました。
以下父の3度の死の危機のお話は1974年8月18日，昇天の約1年前，父が日本キリスト教団鹿児島城南教会礼拝での証詞（あかし）の前文を除く原稿主要部分の原文のままの抜粋です〈藤原牧師記録 有馬勇二郎：幾度か死の危機に直面して（1）－（2）,からしだね 第13号（1977年7月31日，2－4頁），同第14号（1977年9月25日，2－3頁）日本キリスト教団鹿児島城南教会 藤原 亨編〉
1. 終戦日夜，病院門外警邏中，誰何した暴漢に拳銃で至近距離から撃たれ，肝，腎，肺貫通。腹腔内出血血液を再輸血，緊急手術
1945年8月15日－それは全日本人にとって忘れ得ない日であるとともに，私個人にとっても九死に一生を得た貴重な記念日です。天皇の放送を聞き，全面降伏を確認した時は来る物が来たという感じでした。時を移さず会社の上層部から指令があり，各部門は書類を全部焼却せよ。敗戦により暴民が襲撃する恐れがあるので男子は全員職場に残り特に夜は厳重な警戒をするようにとの通達がありました。私共の病院でも男子職員を集めて焼酎などを飲みながら警戒に当たり，日没後は順番で病院の周囲を巡回することにしました。ちょうど夜の9時過ぎでした。外はもう暗くなっていましたが，今度は俺が回って来るとワイシャツのまま木銃を持って病院の門を出ました。すると門からほど近い暗闇の中に，7,8米も離れていましたか，そこに白いシャツの男がぬっと立っているのです。怪しい奴と思い誰か!!と一喝しました。途端にバーンという銃声と同時に右の上腹部にズシーンとまるで鉄棒で突かれたような痛みを感じ，闇の中で腹を撫でてみるとぬるぬるしているので，これはやられたなあと思ったところ迄は記憶にあるのですがそれから後は全然わかりません。各職場で思い思いに巡回していましたので，たまたま通りかかった他の職場の人が，倒れて意識を失っている私を発見して，病院へ担ぎ込んでくれたのだということを後で聞かされました。
病院は本院のほかに3つ分院があり，外科だけでも10人以上の医師がおりました。もう夜中で治安はますます悪くなり，市内のあちらこちらで銃声のとどろく危険な中を医長級の人たちが4，5人も駆けつけてくれたそうです。しかし私の傷は右上腹部から右肺へと抜けたピストルによる貫通銃創で，次第に状態が悪化するので協議の結果開腹に決定。弾丸は肝臓，腎臓，肺を貫通し，肝臓からの出血がひどかったのですが，胃腸はやられていなかったためきれいな血でしたので，その血液をとってビール瓶で2本位も輸血してくれたそうです（弾丸が心臓や動脈・胃腸などをよけていたことが何よりの幸運でした）。開腹が始まった頃になって私の意識がかすかに回復しました。気が遠くなるようなので，ここで死んでなるものかと，自分で「よいしょよいしょ」と気合をかけたことは憶えております。幸い手術は無事に終わり，その後1週間は血尿や痰が出ましたが経過はよくて2週間で退院，九死に一生を得ることが出来ました。これが第一回目の生命の危険です。
2． 薬無く，ソ連兵3人に自動小銃突きつけられあわや軍事裁判・銃殺
さて私が退院した時にはもう中共軍が入って来ていて，病院は軍に接収され中共軍の負傷兵を収容していました。ここで中共軍についてちょっと説明しましょう。中共軍は建軍当初は八路軍と称し，農民を主体にゲリラ戦を得意とし，日本軍を匪賊と呼び我が方をひどく悩ましたものでした。農民の服装で敵の後方に潜入，情報収集・後方撹乱工作などをやり，いざとなれば軍隊に早変するという，所謂便衣隊を駆使して巧妙な作戦を行うこの中共軍の軍紀は極めて厳正で，
婦女子を犯してはならない
民家の物を盗んだり略奪してはならない
民家から借りたものは針1本でも必ず返せ
壊したものは皿1枚でも金で弁償せよ
といったことを三大規律・八項注意という軍歌にして，行軍の際には必ずこれを歌わせるのです。中共軍の支配下に置かれた私共も行軍中によくこの軍歌を歌わされました。隊の移動中は民家に泊る場合が多いのですが，その家の庭の掃除から飲料水の水汲み，ご飯炊きまで手伝い，戦争の無い時には畑を耕したり刈り入れの加勢をしたりする訳です。まあ見かけはまことに薄汚く文化程度も低く，装備も至って貧弱ですが，こと軍紀の厳正さの点では正に世界一立派な軍隊といっても過言ではないでしょう。
ところがこの八路軍に続いて，ソ連軍が満ソ国境を突破してなだれ込んで来ました。会社の主要な工場・建物・病院などは全部接収され，両軍の司令部が私共の本渓湖市に置かれました。
ソ連でも精鋭部隊は対独戦で手一杯で極東戦線に振り向ける余裕は無く，シベリアの流刑囚を即席の軍隊に仕立てて満州に送ったとのことで，それはもう無学で凶暴なひどい軍隊でした。婦女子と見れば乱暴はする略奪はする。腕時計を珍しがって5つも6つも腕につけて得意になったり，ネジの捲き方も知らず汚れると洗面器に入れてジャブジャブ洗うといった始末です。衛生的にも非常に不潔で殆どの者が性病にかかっており，薬局長の話では治療薬を貰いに押しかけるソ連兵で薬局は大繁盛だったそうです。
或る日突然ソ連下士官らしい男が通訳を連れて院長室に現れました。本日薬を貰いに来たところ，もうなくなったと薬局から断られたが，昨日あった薬が急になくなる筈がない。きっと何処かに隠したに違いない。お前は院長だろう，出さぬと承知せぬぞと大変な見幕です。薬局長に訊いて見るとほんとに品切れなのですが，何と説明しても相手は聞き入れず，カンカンに怒って出て行きました。
やれやれと一息ついていますと，先刻の下士官がまた御入来，今度は自動小銃を持った兵隊を3人従えてドカドカと踏み込んで来たのです。これより司令部ヘ連行して軍法会議にかけると言うなり，3人の兵が引き金に指をかけ私の背中と左右の脇腹に銃口をピタリ突きつけて引っ立てようとします。軍法会議に続いて銃殺－これが戦場での掟ですからもう生きた心地もしません。いやおうなしにそのまま連れ出されようとした時でした。これまた突然駆け込んで来たのが2，3人の八路軍の将校たちで，すぐさまソ連の将校相手に何事か話し始めました。どうなることかと息を呑んでいますと，どう話がついたのか暫くして両方ともそのまま出て行ってしまったのです。こちらは訳がわからず呆然としていましたが，やっと助かったのだと判って愁眉を開き安堵の胸を撫でおろした次第でした。
後でわかったことですが，私がソ連兵につかまっている光景をそっと見ていた1人の看護婦さんが，私の危険を察知してすぐ近所にあった八路軍の司令部に電話で事情を説明，駆けつけてくれるよう頼んでくれたそうです。もしもこの看護婦さんの機敏な行動がなかったら，私はどういうことになっていたでしょうか。またあの時私が少しでも抵抗をしたら，恐らく私の体は即座に蜂の巣のようになって
いたことでしょう。これが第二の生命の危機です。
3． 大腿骨骨折の中国人将校が救急処置中の私を背後から小型拳銃で撃とうとする寸前，当番兵が拳銃を叩き落した音で気づく
さて大東亜戦争中は国共合作で中共軍も蒋介石軍も一時手を握って日本軍に対抗していた訳ですが一たん日本の敗戦ともなれば，もう互いに敵味方ですから早速国内戦が始まりました。先に満州入りをした八路軍側に接収された私共日本人は，当然中共軍と行動を共にすることになり，私は遼寧軍区衛生隊直属として，戦争中は前線に出，終わると後方に下がる手術隊の責任者を命ぜられました。
丁度前線に出勤中のことです。砲弾の破片による大腿骨骨折の負傷者が最前線から送られて来ました。中共軍の若い将校で当番兵がついておりました。出血がひどく副え木も当ててないので，先ず傷口と出血の処置をし，次に副え木固定の操作に夢中になっておりますと，突然まうしろでバタンと大きな音がしました。びっくりして振り向いて見ると，将校用の小型拳銃が床の上にころがっています。何事かと当番兵に訊くと，件くだんの将校がいきなり手当て中の私の背中を狙って引き金を引こうとしたので，慌てて手でその拳銃を叩き落とした処だとわかりました。
思うに最前線から来たばかりのその将校は戦争で気が立っており，その上言葉もよく判らぬので，敵国人である日本人の医者が故意に自分を痛い目に遭わせいじめるのだと誤解して，苦痛の余りかっとなって撃とうとしたものでしょう。もしもあの当番兵の機転がなかったら，私は即死か重傷かのどちらかだったに違いありません。これが第三の危機でした。
以上お話ししました通り私は3回も生命の危機に直面したのですが，その都度危機一髪というところで救いの手が現われ，奇跡的に難を逃れることが出来ました。このことは決して単なる偶然とはおもわれません。あの看護婦さんといい，当番兵といい，神様がつかわされた御使いではなかったでしょうか。
その後もずっと中共軍と行動をともにし，最後は天津に落ち着き（註：解放軍第一軍医大学講師として3年余－筆者は1984年，初回訪中で天津第1回国際小児外科シンポジウム参加時に，天津第一軍医大学跡，解放軍栄養研究所を訪問しました），渡満後11年目にしてやっと帰国を許され，昭和28年3月舞鶴に上陸いたしました。（2010．07．05）
【参考資料】有馬榮德編：幾度か生命の危機に直面して－終戦直後まで中国東北部の病院長，その後八路軍医留用の父の遺稿より－，戦争の記憶 問われているのは何か 文教図書出版（株），2004。
(C)Kagoshima City Medical Association 2010