緑陰随筆特集

学問としての看護について思うこと

鹿児島大学医学部保健学科
総合基礎看護学講座 教授
             八代 利香

 「看護師をジェスチャーで表してみてください。」これは,2年前の新入生オリエンテーションの時に,当専攻の教員が新入生に対し投げかけた質問です。新入生は,注射をしているジェスチャーをする学生が多くみられました。私は教員として参加していたのですが,考えているうちに時間切れとなり,ただその場に立っていました。司会の教員から何をしているところか質問され,「患者のベッドサイドに立っていた」と答えるしかありませんでした。他の教員は,血圧を測っているジェスチャーが多く,また,手でハートマークを作り,胸に当てている人もいました。講習会の場で,臨床経験を積んだ看護師にこの質問をしてみたところ,ナースキャップを手で作り頭に当てている人が多く,また,教員と同じように,手でハートマークを作っている人もいました。
 看護師の行う業務には目に見えないものが実に多いと感じます。新入生のほとんどがイメージしたように,一般の人は看護師を注射をする人と考えているのかも知れません。看護師は,24時間常に患者の側にいて,患者の訴えや観察から情報を収集し,解釈・分析して看護診断を行い,この患者に最も適した目標を設定し,計画立案,実施,評価という一連の看護展開を通して看護実践を行っているのですが,このことは,一般にはほとんど知られていません。また,美容院に行けば,洗髪の料金が表示されていますが,看護師が行う洗髪に料金は示されていません。病気を持った方への洗髪は,知識と技術が必要であり,実践できるようになるには相当な時間も要します。しかし,看護のコストは病院の請求書に示されておらず,看護師は金銭に換算できるような仕事をしていないような印象さえ与えています。
 このような現実は,看護が自律した専門職として認知されてこなかったこと,看護が学問の分野に仲間入りしたのが遅かったこと等に関係していると思われます。看護が学問の分野に仲間入りしはじめたのは,1950年頃だと言われています。それまで看護については,文書として書きとめられることがなく,看護は言語を持っていませんでした。そのことに気づき,看護実践のためには知識の基盤が必要だと悟った看護師たちは,20世紀半ば,実践が拠って立つべき看護知識を発展させるという目標に向かって動き始めました。そして,看護理論と看護研究を,看護実践を科学的知識にするための重要な手段として捉え,看護の知識を体系化していきました。
 看護師が価値あるものとみなして実践の場で用いている知の方法は,倫理の知,美の感性の知(看護のアート),看護における自己認識の知,経験の知(看護の科学),の4つであり1),包括的な知識を作り上げるための基盤となります。人間である対象を正確に理解するには,まず自分自身を知ることが重要になります。また,心を持ち,社会を持った人間である対象にケアを提供するには,科学的な根拠とともに,対象の方の気持ちを瞬時に感じ取る感性が必要になります。それらが満たされると,看護師の行う技は美(アート)として表現されます。
 看護が学問分野に入り遅れた理由として,人間を対象とする領域特有の難しさがあります。生きている人間を対象とすることから,看護には流動性があり,人間関係のプロセスがあります。また,人間の現象は因果律で捉えることが難しく,不明性・あいまい性が残ります。このことが,看護を科学として捉えることを難しくしており,看護学が長い間学問領域として認知されてこなかった原因だと考えられています。
 私が担当している基礎看護学実習において,「現在の患者の状態をアセスメントすることで,過去の患者が分かり,未来の患者を予測することができた」,「水分補給を嫌がっていた高齢の患者が,いつも車イスで売店に行って眺めていた急須を,今日やっと買った。病棟に帰ってきてからも,うれしそうにずっと眺めていた。その急須で,お茶をいっぱい飲んでもらい,水分補給につなげられたらと思う」と,カンファレンスで語ってくれた学生がいます。両者とも,今ここにいる患者を時空を超えた存在として捉えており,また,急須を買うまでの患者とのプロセスがあった上での学生の思いにケアの本質が感じられ,とても嬉しくなりました。
 学問としての看護はまだまだ発展途上にあり,研究領域もたくさん残されています。広く看護の魅力を伝え,看護が成熟した学問領域となるよう,微力ながら努力していこうと思っています。

文 献
1) ペギー L. チン,メオーナ K. クレイマー著,白石聡監訳:看護理論とは何か,医学書院,2006.




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