緑陰随筆特集

東北地方ドライブ旅行記
 
東区・紫南支部
(紫原たはら医院)    太原 春雄

 今年のゴールデンウィークに,家内と2人で東北地方を約1週間かけてドライブした。仙台を起点として主に太平洋岸を北上することにした。
 飛行機と新幹線を乗り継いで仙台に1泊した。今回の目的は所謂名所旧跡回りではなく,東北地方の田舎を回ることにし,中でも岩手県の太平洋に面したリアス海岸をじっくり見たいと考えた。
 ゴールデンウィークに掛かるので1ヶ月くらい前から準備に掛かり,旅行社にレンタカーと旅館の手配を頼んだ。主なルートと1日の走行距離を大体200q程度に設定した。
 仙台(1泊)−気仙沼−釜石−花巻(1泊)−宮古・浄土ヶ浜(1泊)−久慈−九戸IC(八戸自動車道・東北自動車道)−大鰐(2泊)−青森−羽田経由鹿児島とした。
 結果は,初日 仙台と花巻間約303q,2日目花巻と宮古間約141q,3日目 宮古と大鰐間約258q,4日目 大鰐―弘前―岩木山 往復約100q,5日目 大鰐から青森空港間約48q。
 ざっとドライブ距離の合計は約850qになった。

ナビゲーターについて
 未知の地方を走るにはナビゲーターの利用は欠かせない。これさえあれば日本国中どんな田舎町でも大体安心して走ることができる。
 目的地近くの著名な施設とか場所を指定すれば音声案内と地図が表示され,指示に従って走れば必ず目的地にたどり着く事が出来る。
 例えば仙台出発時に次の目的地を釜石港と入力すれば,松島を経由しながらその道順を確実に誘導してくれる。
 しかし,今回,途中で思わぬアクシデントに遭った。3日目,岩手県北部の久慈市から八戸高速自動車道の九戸インターに出ようと思ってナビに「ココノヘチョウ」と入れるが如何しても出てこないのだ。些か慌てて九戸駅,九戸役場など関係施設をいろいろと入れてみるが反応しない。
 地図を開いてみたらどうにも複雑な道路だ。
 今回借りたレンタカーがトヨタの車だったことを思い出し,久慈市内にあるトヨタの販売店を探して飛び込んだ。事情を話して助けを求めたところ問題はたちどころに解決した。九戸は「クノへ」と入力すれば良いのだった。

一戸,二戸…の言われ
 以前から八戸(はちのへ)は時々耳にして知っていたが,寡聞にして岩手県から青森県にかけて一戸,二戸,三戸,・・・・九戸まで地名が全部揃っていることは知らなかった。
 一戸町(いちのへまち),二戸市(にのへし),九戸村(くのへむら)は岩手県に,三戸町(さんのへまち)五戸町(ごのへまち)七戸町(しちのへまち)八戸市(はちのへし)は青森県にある。
 源頼朝の時代に南部氏が馬の産地であった糠部の牧場管理のために用いた行政上の区分けだという説がある。「戸(へ)」は馬を飼育した牧場が蝦夷の襲来に備えて張り巡らした柵の戸に由来するらしい。
 昔は四戸(しのへ)もあったようであるが今は無い。十戸は十和田になったらしい。

三陸海岸
 リアス式の海岸を北上して行くと地震,津波に対する構えが尋常でないことに気づく。三陸海岸は過去に巨大な津波による甚大な被害を被った歴史が極めて多い。
 1960年(チリ地震津波)で死者142人という記憶は新しい。ざっと見ても
 1869年(三陸沖地震),マグニチュード8.3〜8.6 日本史上最大の地震と言われ死者1,000人
 1611年(慶長三陸地震),マグニチュード8.12,000〜5,000人が死亡
 1896年(明治三陸地震),大津波発生 死者行方不明21,959人 綾里湾で津波の最大波高38.2m
 1933年(昭和三陸地震)津波で死者1,522人行方不明1,542人
 2005年(三陸沖地震),マグニチュード7.1大船渡市で最大54pの津波の記録等が目につく。国内の他の地域に比べて発生頻度と被害は格段の差がある。
 津波の発生要因として東日本が乗っている大陸プレート(北アメリカプレート)の下に西向きに海洋プレート(太平洋プレート)が沈み込んでおり,それが移動すると地震,津波が発生するのだ。
 三陸沖は千島海流と黒潮がぶつかり合う世界3大漁場の一つに数えられ,沿岸には気仙沼,石巻,女川,大船渡,宮古,八戸,塩釜等,国内有数の大きな漁港がある。
 一方,海に面した急峻な谷間にできた中小の漁港も多い。リアス海岸の特徴として津波の影響はもろに受け,一瞬のうちに港は大きな波に飲み込まれてしまうのだ。
 津波情報が発令されると,住民は何を差し置いても即刻高地に避難しなければならないことを知っている。
 谷間の漁港から高台の山に避難する道路には至る所に,此処は「浸水区域」,「避難地域」,「安全地帯」等の立て札が設置されていた。いつ起こるとも知れない地震,津波に対する住民の真剣さが窺われることだった。

景勝地
写真 1 宮古市浄土ヶ浜

写真 2 陸中海岸国立公園の北山崎

写真 3 岩 木 山

写真 4 岩木山8合目駐車場


 リアス式の三陸海岸は地形上,景勝の地が多い。仙台の松島に始まり,宮古市の浄土ヶ浜や,さらに北上すれば北山崎に代表される陸中海岸国立公園の太平洋に向かった雄大な景観は流石である(写真1,2)。
 気付いたことは,これら景観を支えているものは松島に見られるように,松の木が青々と豊富に繁っていることだった。松くい虫の被害などは一つも見かけなかった。

アップルロードと岩木山
 “リンゴの花びらが 風に散ったよなー”美空ひばりの歌,津軽リンゴの故郷を訪ねて宿泊地の大鰐を早朝出発した。
 途中通り抜ける予定の弘前の街中は,丁度年に一度の桜祭りの大賑わいで,街を抜けるのに2時間以上かかってしまった。弘前城の桜祭りはやはり桁違いの全国版である。
 弘前の町をぬけて岩木山に至る途中に,延々16kmに亘る見渡す限り一面のリンゴ畑がある。アップルロードと呼ばれる道の両脇はリンゴの木又木で,312万本の木があり,8000戸の人々がリンゴを作っているとのことである。
 期待したリンゴ畑の白い花を見るには半月ほど時期が早すぎた。
 アップルロードを抜けて暫く行くと岩木スカイラインの有料道路登り口が見えた。ここから8合目まで車で登ることが出来る。
 舗装してあるが,離合がやっとのピンカーブが8合目の終点まで続く。その距離9.6kmの間に69のカーブがあるという。ナビゲーターをみると細かくジグザグの折れ線グラフみたいに表示されていたが,私にとっては初めての凄いドライブ体験だった。
 2〜3合目辺りは世界遺産に指定されたぶなの自然林が拡がり壮観である。7合目辺りから段々残雪が深くなり,8合目付近は1〜2mに達していた。岩木山の頂上(1,625m)が霞んで見える。
 シーズンには頂上の岩木神社までケーブルで行けるらしかった。駐車場には40〜50人ほどの観光客がいた。
 展望台からは,遥か彼方に霞んで北海道の松前崎も見える。
 吹き飛ばされそうな風が吹き,真冬の寒さで早々に車に逃げ込んだ(写真3,4)。

 最終日はレンタカーを青森空港で返却し,10:15発の飛行機で出発,羽田経由で16:25鹿児島空港に帰着した。

終わりに
 今回の長距離ドライブに当たって,家族の猛反対があったことは当然であったが,体力と注意力に不安を感じない範囲で車運転をもう暫く楽しみたいと思っている。
―米寿によせて―



 

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