随筆・その他

リレー随筆

一人っ子

西区・伊敷支部
(外山内科クリニック)      外山 幹樹

 
 前号のリレー随筆担当だった新山先生(新山消化器科・内科)から、次のリレー随筆のお話を戴いた時に、どうしてもお断りする口実が思い浮かばず、お引き受けするはめになってしまいました。新山先生とはクラスが同じになった事はなかったのですが、同じ高校の同期です。さらに、お互いに親の代から伊敷支部です。文章を書くという事が何よりも苦手な私ですので、この随筆の件は何とかお断りしたかったのですが、咄嗟の事で、お断りする事が出来ませんでした。今になって考えますと、私の父が昨年8月に他界しまして、今はまだ喪中だからと言う口実がありましたので、お断りする事が出来たかもしれません。でも一旦お引き受けしてしまいましたので、父の事も含めまして、書かせて戴く事にします。
 父は8年程前に脳梗塞を発症しましたが、鹿児島医療センター脳血管内科の主治医の先生方のお蔭で幸い左半身にほとんど気にならない程度の極軽い麻痺を残しただけで回復する事が出来ました。その後は比較的元気に、外来診療も続けておりました。父はとんこつラーメンやちゃんぽんが大好物で、しかも当院の裏口の正面がラーメン屋でしたので、たびたび食べておりました。塩分やコレステロールを考えて、母からはいつも注意されておりました。これが災いした訳でもないのでしょうが、3年程前から心不全、肺気腫、腎不全に肺炎などを併発し、鹿児島医療センター第2循環器科、南風病院腎臓内科の先生方にお願いして、何回かの入退院を繰り返しました。昨年5月には在宅酸素療法の手配もして戴いて、一ヶ月程度だったのですが、自宅でなんとか過ごす事が出来ました。しかし再び呼吸困難が増悪して南風病院に入院させて戴く事になってしまいました。その後は南風病院の先生方の懸命の治療にも拘らず、心不全、腎不全が増悪して、血液透析まで施行して戴きましたが、昨年8月2日に83歳にて帰らぬ人となってしまいました。南風病院の先生方には、言葉では言い尽くせない程本当にお世話になりました。有難うございました。
 日取りの都合で、当日を仮通夜として予定を立てました。私はいわゆる一人っ子です。父の兄弟は高齢だったり、病床にあったりして、通夜にも出席出来ませんでした。遠方からの親戚も駆けつけてくれましたが、年輩の方々が多く、ホテルなどで休んでもらいました。母はずっと病床の父につきっきりでしたので、夜中には自宅に帰って休むよう説得しました。私の家族は家内と子供が二人です。一人っ子だけにはしたくありませんでしたが、二人がやっとでした。長男は大学受験浪人中で東京におりました。父はこの長男の大学合格を待ち望んでおりましたので、合格する事こそがおじいちゃんへの供養だと、葬式にも帰らせませんでした。次男は高校1年でしたので、夜中12時過ぎには家内と帰宅させました。結局夜中からは私ひとりで、仮通夜と通夜の二晩を父と過ごしました。父と二人だけでこんなに長い時間を過ごした事はそれまでなかったと思います。一応線香と蝋燭の火を絶やさない様に一人でがんばったのですが、もし私が眠ってしまって普通の線香が燃え尽きてしまっても、蚊取り線香のような渦巻き型の線香があり、12時間も燃え続けてくれるとの事でした。葬儀場の控え室は、寝具はもちろん、風呂も完備されており、冷蔵庫にはたくさんのビールと食べ物も用意されており、一人なのでゆっくりと過ごしてしまいました。棺の傍らで、一人でビールを飲みながら、ときどき新しい線香や蝋燭に火を点けて、でもやはりこの時ほど、一人っ子の寂しさをかみしめた事はありませんでした。子供の頃は、当時流行っていたテレビの番組で、お化けのQ太郎には妹のP子がいて、パーマンにはガン子という妹がいて、ケーキ屋ケンちゃんにはトコちゃんという妹がいたので、妹に、おにいちゃんと呼ばれる事にあこがれてはいました。または、六つ子のおそ松くんのように、たくさんの兄弟にもあこがれていました。でもひとりで遊ぶのに慣れていて、むしろ一人が好きな子でした。一人が寂しいとそれ程思った事はありませんでした。でもさすがに今回は寂しさが身に沁みました。送られる父もさぞかし寂しかったろうと思います。父方の従兄弟も一人っ子が4人もいて、親戚の数が少ないのです。葬儀では家族の席に座る人数も叔父を一人加えても5人しかおらず、出棺の時に棺を持つ人数も、親戚に高齢な者が多かった為、親戚を加えても足りず、葬儀場の方にお願いしておりました。実際は、出棺をお見送り下さった先生方が棺をもって下さいました。本当に有難うございました。
 一人っ子の先生方も沢山おられると思いますのに、ネガティブなイメージを強調する事になってしまい、本当に申し訳ございません。一人っ子で寂しかったお話をしたかっただけなのですが、すっかり暗いお話になってしまいました事をお詫び申し上げます。
 改めまして、リレー随筆の趣旨からはずれて、全く場違いとは存じますが、父の葬儀に際しまして、わざわざ弔辞を賜った市医師会会長鹿島友義先生、ご焼香を戴いた当時の県医師会会長米盛 學先生、思いもよらず、出棺の際に棺を持って下さった新県医師会会長池田琢哉先生、ご多忙中にも拘わらずわざわざ駆けつけて下さってご焼香を賜った多くの先生方、供花を戴いた先生方に、此の場をお借りしまして心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。


次回は、くぼた内科クリニックの窪田一之先生のご執筆です。(編集委員会)




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