随筆・その他
「 や さ し い 時 間 」
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西区・伊敷支部
(新山消化器科・内科) 新山 徹美
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バンクーバーオリンピック開催中、読売新聞のコラムである『編集手帳』の名文に心動かされた。全文は新聞かインターネットで検索していただくとして2月20日の朝刊のコラムである。
《綱渡り芸人の男が、やはり旅芸人のヒロインに語る。(どんなものでも、何かの役に立つんだ。たとえば、この小石だって役に立っている。空の星だって、そうだ。君もそうなんだ)・・・》でコラムは始まる。
この台詞はフェデルコ・フェリーニ監督作品『道』のなかに出てくる。高橋大輔銅メダリストがフリープログラムで選曲したのはこの映画の主題曲であることは知っていたが、映画の台詞はほとんど記憶していなかった。たしか中学の頃にNHK教育テレビが日曜日に放映したのではないかと記憶している。映画少年でもなかったのに不思議と最後まで鑑賞し台詞は別にして映像だけは今でも記憶している数少ない映画の一つである。だからといってこれまでにこの映画から励まされたとか勇気づけられたとかは特になかったのである。コラムはその後高橋・織田両選手をやさしく包む内容となって終わる。そのためか読み終わった直後に思わずホロッとしてしまった。
医学部生時代に一時期面白くない時期があった。人生誰しも経験されることだと思うが、その当時は情けない気持ちを抱え続けていた。ある日、福岡大学寄生虫学講座の赤羽啓栄講師から故郷で肺吸虫メタセルカリア発見のためサワガニ取りをしないかと話しかけられた。暇だらけの日々を送っていたのは事実であるが、親の仕送りに依存していた身で遊興費も限られていたため了解してしまった。指示されるままに動けばいいのだろうと勝手に思っていた。数日後に宮崎教授と赤羽講師とともにサワガニ取りの実習ため福岡市東区へ向かった。こちらは久し振りのピクニック気分であった。初夏であったため教授が無理をされない行程で実習場所を選ばれたようである。木陰の下で昼休みの食事は前日に赤羽先生と買い出しに行った焼き肉であった。3人でコンロを囲んだことは今でも忘れない。その時に教授は以前は国内は当然ながら南米や東南アジアなどでフィールドワークをされたことなどを話された。その後教室へ帰りカニの甲羅をとり透明のガラス板で挟み顕微鏡でメタセルカリアの探し方を教えてもらった。鹿児島大学医動物教室へは教授が連絡して下さり、研究室の片隅で作業できるとの話で、ここまできたら中途半端は許されないと覚悟した。
当時の鹿児島大学医動物教室は佐藤教授が主宰しておられた。大変緊張して挨拶した。不勉強のため「どこのサワガニを捕ってくるの」と聞かれ「北薩方面」とまでしか答えられなかった。単独でサワガニを捕りに行くのは寂しいので急遽仲間捜しを始めた。運良く同じ大学の馬場和彦君と熊ノ細透君が賛同してくれた。
まずは馬場和彦君と出水の米ノ津川上流の支流にチャレンジした。このときのことは記憶が薄く具体的な場所の特定ができない。しかしこんな山奥だからと勝手に期待した。かなりの収穫があったと記憶しているが、ハズレであった。
次は熊ノ細透君と旧宮之城町の川内川支流にチャレンジした。泊野地区だと記憶している。今度こそはと期待した。当たりそうな予感がしたのだ。しかしハズレた。
がっかりした。こんな情けない気持ちになったのは、次は単独で活動するしかない状況であったため気が重たくなっていたのだ。そんな時に福岡大学から電話があった。電話があったことでひょっとすると俺は凄い発見を任されているのではないかと思い込んだ。
強気の性格が幸いし単独で別府川の上流、県民の森と祁答院町黒木地区の境の支流にチャレンジした。棚田が見事な山村の民家で偶然住人と話すことができた。戦後間もない頃に肺ジストマが流行していたことを覚えていた。また川にイノシシも入ってきてサワガニを食べるとの話までしてくれた。イノシシに遭遇するかもしれない恐怖よりも偶然の出会いと話に驚喜した。その翌日に期待した結果が出た。安堵した。鹿児島大学の先生方に報告したらその翌日現場まで連れて行くように指示された。今度は複数のプロと一緒だから多くの結果がでるであろうと思ったが結局すべてハズレであった。鹿児島大学動物舎から犬を調達してもらい成虫になるまでお世話してもらった。
この成虫を宮崎一郎教授に見ていただき『ベルツ肺吸虫』であるとのことで学会発表にまで至ったことは極上の思い出になっている。
宮崎一郎・赤羽啓栄両先生に再会しお話しすることはもはや叶わない。お前でも何かの役に立ったではないかとは言われなかったが、あの当時面白くない時間を過ごしていた者にやさしい時間を与えてくださったのだと思っている。
| 次回は、外山内科クリニックの外山幹樹先生のご執筆です。(編集委員会) |

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