随筆・その他

リレー随筆

「開 業 医 っ て 楽 し い で す か ?」

西区・伊敷支部
(鬼丸内科循環器科)      鬼丸  円 
 平成8年の継承開業以来、14年目に突入している。平成16年、鹿児島市に日置郡から吸収合併され、医師会も鹿児島市医師会伊敷支部へと変更となった。14年とは、まさに、あっという間である。この間、同居していた両親が他界し、子どもは二人増え、結果、家族の人数及び男女比とも不思議とつじつまがあってしまった。ふと気がついてみると、両親の加護を失い、幾多の面(世間・家族内)で自分自身が最前線に立たされている。責任重大。52歳にもなって当然とは言え、仕事のみ没頭していれば良かった状況からとは、大違いである。開業当初は10年もがんばれば少しは父(鮎釣り専門)のように自分の趣味を楽しめるのでは?と考えていたが甘い見通しであった。社会状況の悪化で医療行為への対価が下がり、夜は検査データ・レセチェック・種々の書類記載に追われデスクワーク三昧。身体はメタボだけでは済まず、腰椎ヘルニア・前立腺炎・痔核の悪化を来たし、一方、おかげさまで、MacのiTunesは2,758曲。夜間帯のFMラジオのheavy listenerとなり、アンテナまで建てた。
 「お祖父さん・お父さん・円先生と、あたしは、おいまっどん(鬼丸どん)の3代のお医者さんにみてもらっているんですよ」という患者さん達から、昔のエピソードをお聴きし、ノスタルジーに浸ることがある。運転免許のなかった祖父はハーレーのサイドカーに巨体を沈めて近所の方に運転を頼み往診をしていた事など、実にのんびりしていたようで、現況と比べて、なんとも羨ましく・さびしく感じているのは、自分一人だけなのでしょうか?
 話は変わるが、当診療所には、都市計画という大きな問題が差し迫っている。昔の面影は年々消えてしまい、周辺は更地だらけとなり、日本何処にでもあるような平凡な街並みに変わろうとしている。当院は明治以前までは山城の麓に位置しているが、昔ながらの呼称(郡山は島津の直轄地で山城があり、当院周辺は馬場と呼ばれ、地頭所跡の東隣にあり、西隣はしゅっば:宿場のこと、と呼ばれていた)が消えて行くことが残念でならない。計画の発端は、8・6水害で甲突川が氾濫し当地区が冠水したことにある。天井川とは大げさであるが、当地区は川とほぼ同じ高さにあるため、地区全体を少なくとも70p以上、盛り土による嵩上げが必要となる。個人的なことではあるが、都市計画課から予算圧縮のため、「余分なお金の掛かる仮診療所は建てずに、先ずは、予定敷地内の半分を嵩上げし、その場所に新診療所を建てれば、休診もせず良いでしょう」とのアドバイスやらプレッシャーやらをかけられるが、診療所自体の配置(敷地全体の中央に建物が存在することが妥当では?)と土地全体のバランスが悪く、簡単に納得がいかないこともあり、悩みの種となっている。都市計画に遭われた医療機関も何件かあると思うが、アドバイス頂ければ幸いと思う。
 ここで、愚痴ばかりでは良くないので、診療面でのエピソードを一つ紹介。先日、高血圧症でかかりつけの女性の患者さんの定期採血を行った。軽度脂質異常症があり、今後の投薬の可能性もあり、初めてCPK(クレアチンキナーゼ)を測定した。1000を越える極端に高いデータが検出。随時の採血であったため、次回、早朝空腹で来院をお願いして再検査したが、ほぼ同様のCPK上昇があり、アイソザイムはMMがメインでMBが軽度上昇。何が原因か困っていたが、幸いこの患者さんと同地区から勤務している看護師から一言「この方は早朝にそば打ち仕事をしていらっしゃいますよ」。そういえば、ソバ好きだった父が度々この患者さんから差し入れを頂いていたことを思い出し、「申し訳ないが1日だけそば打ち仕事を休んで採血にきて下さい」と相談。結果、CPKは正常値を呈した。ほっと一安心した。医療の原点は患者さんの職業を含めた問診にあることを再認識させられた一幕であった。それにしても、こんなにも丹精込めて作っていただいたソバを食べられることに感謝感謝。
 最後に、はじめて参加した次期役員等選挙、ものすごい熱気に圧倒された。勤務医と開業医の対立構図を謀ろうとかとも取れるような行政の保険点数配分の戦略に対し、勤務医・開業医とも互いを信頼し強固な結束をさらに強化することが先決であろう。このパワーを結集すればまだまだ医師会も捨てたものではない。何分、開業医のほとんどが開業前は長年勤務医を経験しており、勤務医の大変さを十分に理解しているわけであり、開業してみればそれなりの開業医の悲哀を必ずや経験する。今のニッポンに必要なことは、「坂の上の雲」に描かれているような、日本国全体が高揚感溢れる未来を築けるよう先ずは私利私欲を捨て、足るを知ることこそ肝要であり、自分もまだまだ努力精進せねばと思うものの、日々の夜間の事務残業で疲れ切ってしまい、さすがに耐用年数が少なくなったのではと感じる。上昇志向をすっぱり捨て、ロハスな生活、即ち、半農半士の生活を送ることが最良なのだろうか?そう思うと、昔の人は賢く、半農半士こそがメタボを改善し、スローな生活に戻し、地域内の交流を増やし、さらに食の安全確保・健康維持・精神的な豊かさをもたらすのだろうか?いろいろ迷い悩む毎日である。みなさん、本当に、開業医って楽しいですか?

次回は、新山消化器科・内科の新山徹美先生のご執筆です。(編集委員会)




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