=== 新春随筆 ===
料理教室体験のお勧め〜地産地消へのある視点〜 |
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なぜか、イタリア人を励ます会に出席
ひょんなことで自分がもっとも苦手と思い込んでいたことに挑戦するはめになってしまった。いきさつはこうである。3年ほど前に知人から、イタリア料理店での気楽な集いに出席して欲しい、と電話で熱心に依頼された。場所が鹿児島中央駅近くだという。ちょうど熊本出張の予定はあったものの帰りに立ち寄ればよい、と考え、当日夜、ふらりと店に入った。20人程度の方々がすでに集まっていた。現地でどんな会合か聞けば分かると思っていたのに、誘った本人は来ておらず(実は30分ほど遅れた)、誰一人知り合いはいなかった。結局、JR九州新幹線の技術指導にやってきているイタリア人男性3人を歓迎し、励まそうという趣旨の市民有志の会合と分かった。その若いイタリア人が私の席の真ん前だった。日本語はしゃべれないという。少々あせった私は、周辺の方々に「どなたか通訳していただけませんか」と声を大きくした。するとその男性の隣りの若い女性が「イタリアに住んでいたことがあるのでお話ぐらいなら通訳できます」と引き受けた。そこで「イタリアに新幹線はないと思うのだが、なぜ技術指導なのか」と質問した。すると通訳の女性も「私もちょうどそれを聞きたかった」と。「自分たち3人は、フランスの新幹線公社に勤めるイタリア人技術者だ。ある種の我々の技術をJR九州が採用したのでその指導に来ている」と答えた。新幹線に関しては日本の技術が進んでいると思い込んでいたので、どんな技術か聞いてみたが、よく理解できなかった。しかし、雰囲気は和気あいあいと楽しい草の根の日伊交流だった。結局、そのイタリア人が鹿児島に滞在して半年になるので、市民との親善交流を深めようと関係者が企画した催しだった。そしてそれだけでは人が余り集まらないだろうからとイタリア語を勉強しているグループなどにも呼びかけたのだそうだ。私としては出席の義理も果たしたので、それでおしまいのはずだった。
鹿児島の食材でイタリア料理を、と提案したばかりに…
そこで通訳をしていただいた女性にお礼を申し上げ、名刺を交換しあった。職業はフード・コーディネーターとあった。イタリア料理教室などを主催し、鹿児島とイタリアを行ったり来たりされているという。いわば、料理の先生だった。そこでこちらから「それなら鹿児島の食材に合うイタリア料理を是非、広めてください」と勧めた。これが失敗?だった。にっこりした彼女が「近くそれをやろうと企画しています。山元さんも是非参加してください」とやりかえされた。「いやあ、母親に“男子厨房に入らず”を躾けられましたから、無理です」と丁寧にお断りした。でも自分で勧めたことを彼女がやろうとしているのに参加はしない、というのも少々じくじたる思いだった。それを見透かしたように2、3日したら名刺に記したアドレスにメールが届き、「鹿児島産の食材でイタリア料理を作る」イベントの案内が詳しく説明してあった。またチラシのファクスも届いた。うーん。ここで引き下がるのは、男らしくないな、と悩み、清水の舞台から飛び降りる決心をした。それでも生まれて初めてのことに参加するのである。誰かの手助けがいるな…。個人事業をしている姪に目を付け、一緒に参加してくれないか、と頼み込んだ。しかし、当日に限って忙しい、という。それでは一時間だけ、付き合ってもらいたいと半ば強引に連れて行った。県民交流センターの調理室に20数人集まっていた。男性は2、3人で大半は若い女性たちだった。一番のシニアだった私は、女性4、5人のグループに放り込まれた。姪はちょうど1時間面倒を見てくれたが、約束通りに引き上げた。私の運命やいかに…。
女性たちのバックアップに感動
ところがモタモタヨタヨタの私を女性たちは、懸命に親切にバックアップしてくれた。夢中で作ったイタリア料理を皆で食べる美味しさよ。一番学んだことが後片付けである。料理を作る途中に手が空くと、使った皿や容器をどんどん洗う。先生から片づけることの大切さも自覚させられた。この体験をこなしてみると、なんと簡単なイタリア料理をもっと身につけたくなったのである。先生に5回ぐらいの土日のコースを考えて頂きたい、と申し入れ、実現すると仲間を誘い、やりくりは大変だったが、全部通ったのである。そのあとどうなったか。実は私が体調を崩し、洋食でなく和食を欲しがるようになり、料理教室通いも中断してしまった。先生もイタリアに行かれてしまった、と聞いた。
こりずに「男子弁当教室」に参加
これでおしまいだったはずだが、昨年秋以降、JA鹿児島県中央会主催の「男子弁当教室」=筆者は右端。写真はJA提供=に2回も参加してしまった。きっかけは自分自身だった。JA県中央会主導の「よい食・環境 鹿児島県民フォーラム」が昨年6月にスタートした。その設立発起人会に出席して、地産地消、食糧自給率アップ、安心安全な食糧作りなどの旗印に賛同しつつも、若い人たちや県外の人たちにももっとアピールする必要性を感じた。鹿児島の素晴らしい農産物のマーケットを広げないと生産者の活力につながらないのではないか、とも考えた。自分のできる範囲で何かできないかと若い人の助けを借りて幾つかの個人的な提案をJAなどに訴えた。鹿児島食材の素晴らしさを宣伝してもらうためには、県外から赴任しておられる男性や県外に出て行く男性が実際に食材を使って料理をするのが大切ではないか、といった内容も含まれていた。鹿児島の伝統的価値観といってもよい、「男の子は台所に近づいてはいけません」といった母親の躾は、グローバルな時代に合わなくなっている、とも感じた。そして提案の一つに男子弁当教室もあった。私の話を聞いたJA中央会の担当者の川路尚子さん(食農生活課主査)が「近く男子弁当教室をやりますから是非参加してください」と。またもや自縄自縛である。しかし、今回は素直に参加したくなった。県外から支店長などで着任しておられる方々を中心にお誘いした。JAの方々も県外の方々も参加者たちは大変盛り上がった。中央会の女性たちもアシスタントとして参加し、我々を手助けした。私は、その後、習った通りに弁当を3回も手作りし、会社に持参した。
君子豹変は許される
風の便りにイタリア料理の先生は、結婚され、東北地方にお住まいとか。JAの川路さんには私から「是非、3回目の教室もお願いします」と電話する始末。今では、手作り料理は地域の食材を覚え、野菜をどっさり使うし、塩分も調節できる健康維持の原点で、いいことづくめだと納得している。台所に熱を入れなかった過去を振り返り、政治家の君子豹変は余り感心しないが、庶民レベルなら許されるだろう、とうそぶいているこのごろである。

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