私が鹿児島に帰って早いもので6年目になります。高校卒業後20年間鹿児島を離れていましたので、簡単に自己紹介させていただきます。神奈川県相模原市の北里大学に入学し卒業後、母校の消化器内科に入局、大学近辺や横浜、遠くは新潟の病院へ出向したり大学病院へ戻ったりを繰り返し、平成15年4月に大学を辞し実家へ戻り、父と一緒に診療しております。
リレー随筆の原稿依頼をいただき、仕事について書こうか、今の医療について書こうか、いろいろ迷いましたが、難しい事はやめにして、医師になって三年目から始め現在まで最大の趣味となっているゴルフについて書く事にしました。やっても、やっても思うように上達しない、だけどなぜかやめられなくなってしまったその経緯と、続けてきたことでたくさんの出会いをもたらしてくれたことを振り返ってみたいと思います。
先に述べたようにゴルフを始めたのは、研修医が終わって三年目に国立相模原病院にレジデントとして出向した時でした。最初は、同病院の消化器内科スタッフとして来られていた大学の先輩に「ゴルフはじめるように!!」と言われ半ば強引に練習場に連れていかれました。当時のゴルフのイメージは、おじさんや金持ちがするスポーツ、しかもどこが面白いのかわからない、と言うイメージで、自分も、40歳前後くらいになったらはじめるのかもなあ?くらいのものだったので、27歳ではじめるとは夢にも思っていませんでした。
先輩にお古のクラブをいただき、その先輩と別の大学からいらしている同じ科のスタッフのハンディキャップシングルの先生と三人で週1〜2回の練習場通いが始まりました。このシングルの先生が、仕事以上にゴルフに厳しくて、たくさんレッスンしていただきました。最初に言われたのが、ドライバーからウェッジまである程度のボールを打てるようになるまでは、周りに迷惑かけるからコースに連れて行かない!!と言われ練習場でも内視鏡検査を後ろで見られているのと同じ緊張感で打っていたように思います。一緒にコースに出るようになってからは、ルールの細かい事はごちゃごちゃ言いませんが、マナーには厳しく、回りながらいろいろと注意されました。とにかく下手くそなうちは、打ったら、次に使いそうなクラブを三本素早くもって走れ!!でした。このことは、最近のゴルフ場でよく見かける初心者と思われる方や女性ゴルファーにも、教えてあげたいと思う事がしばしばあるのですが、僕だけでしょうか?ゴルフを一緒に楽しめる人が増えるのはいいのですが、ろくに練習しないでラウンドする人、ルールやマナーをよく知らないままにラウンドする人が多すぎる気がします。また、ゴルフ場側も昔と違って、お客さんに厳しく注意すると、来場が減少するのをおそれているためなのか、あまり注意しなくなっているところが多いような気がします。その日に来場した人が、みんな気持ちよくラウンドできるようゴルフ場側も気配りしてもらいたいものです。
話を戻すと、練習場に通いはじめて数ヶ月後に初ラウンドし、練習の甲斐あって112で回れました。自分でもびっくりで、周りからも「センスあるねえ、すぐ100切れるよ。」と言われ調子にのっていたら、その後は、月1回行くか行かないかのゴルフで、3〜4回連続で120前後打ちかなり凹んでしまったのを覚えています。それでもなんとか定期的に練習場に通い、もうすぐ1年になるころから、101、102、最終ホールボギーであがると99なのにダブルボギーで100、こんな感じのもう少しのところで足踏みが続き、やっと1年と1ヶ月目に98が出ました。ゴルフ雑誌や教本にでているように、“100の壁”が今までのところ、最も悔しくて、きつかったように思います。
その後もいつも二ケタスコアで回れるほど甘くなく、“100叩き”もしばしばでした。当然この頃はレジデントで仕事もまだまだ半人前以下ですから、外来・入院患者さんの診療、上部、下部の内視鏡検査、ERCP、造影検査と覚えることが、盛りだくさんで年々忙しくなる一方でした。とくに大学病院へ戻ったときは、重症患者さんが多く、学会発表も次々とあり年に数回しかゴルフに行けない年も数年ありました。ですが、その数回のゴルフで、スコアが良くても悪くてもボールをしっかりとらえて目標に向かってショットできたときの気持ちよさ、グリーン上でも長いパットがカップに吸い込まれるように決まったときの快感を覚え、それが、1ラウンドに1回でも決まると、またラウンドしたくなり、毎回そんなショットが打てればと思い、現在も練習に通ってしまうんだと思います。
医師になって10年目を過ぎた頃より若干、仕事に余裕ができるようになり、また、気の合うゴルフ仲間も固定され、月に1〜2回行けるようになりました。神奈川からゴルフに行くとなると、名古屋方面で近いところから箱根の手前、箱根そのもの、箱根を越えて静岡の御殿場近辺、東京方面だと、千葉の成田空港周辺、房総半島でした。鹿児島では考えられませんが、あちらでは、ゴルフの時は片道2時間くらいは普通で、帰りの渋滞を避けるため朝早いスタートをとり、出発はいつも5時、6時でした。高速代がかかるので、車はできるだけ乗合わして行くのですが、この往復4時間も意外と楽しく、仕事の話しや普段聞けない内緒話も聞けたりで、子供の頃の遠足気分のようでした。最初は、安いゴルフ場を見つけて、といっても土地の高い首都圏で、日曜・祝日しか行けませんから食事まで全部で二万円ぐらいで収まるところに行ってました。しかし、関東の安いゴルフ場は、往々にして山岳ゴルフ場で、アップダウンがありトリッキーで距離がないところばかりで、だんだんコンディションのいいコースで回りたい、という欲が出てきて贅沢になり、いつの間にかプロのトーナメント開催コースや名門と言われるコースを探してラウンドするようになっていました。
私がラウンドしたゴルフ場で好きなところをいくつか紹介すると、最も素晴らしいと思ったのは、先月、住友VISA太平洋マスターズトーナメントが行われた太平洋クラブ御殿場コースです。ここは、富士山の絶景をバックに、コースコンディションも最高の状態でラウンドできます。ただ、平日でも要メンバー紹介、土日祝日に至っては、メンバー同伴でなければ回れませんし、回れたとしても4万、5万円の世界です。私は、ラッキーにも、ゴルフ場関係の仕事をしている知り合いから、平日ならなんとか予約してあげるといわれ夏休みにラウンドしましたが、2万5千円くらいでした。もうひとつびっくりするのは、駐車場に入ったときです。ベンツがカローラのように並び、見たこともない外車が所々に停まっていて、どこかのモーターショーに来たような感じで、ここのメンバーさんたちはどんな方々なのだろうかと想像もつきませんでした。友達のマークUで来た自分たちは、駐車場の片隅にこっそり駐車したのを記憶しています。
もうひとつは、我が母校の大学病院の隣にある、相模原ゴルフクラブです。都心から1時間以内で来れるという利便性と、街中にありながらフラットで距離のある林間コースで、宮崎のフェニックスカントリークラブに似た名門です。大学病院の病棟からコースが見渡せ、いつか回りたいなぁと思いながら眺めていましたが、メンバーシップが強く、料金も高いため、最も近くにありながら遠い存在のゴルフ場でした。しかし、ラッキーな事に鹿児島に帰ってくる数ヶ月前、バイト先の院長先生がメンバーで、ご褒美にと、お誘いがあり一緒にラウンドしてくださいました。日本オープンが行われるだけの素晴らしいコースでした。
鹿児島に帰ってきてからは、ほぼ毎週日曜日にラウンドしております。帰ったら会員権を買ってハンディキャップをとって、シングルをめざして、月例やクラブ選手権にも出ようと意気込んでいました。しかし、会員権はかごしま空港36CCを購入したものの、高校までしか鹿児島にいなかった自分は、一緒にラウンドしてくれる友達が数人しかおらず、約一年間は、その半分は父と父の知人と回ってました。他は、クラブの知らない方々とラウンドすることもしばしばありましたが、純粋にゴルフだけなら上手な方とラウンドして技術やコースマネージメントについて新しい発見もあり勉強になるのですが、何か今ひとつ物足りなさを感じていました。そんな時、近所に一軒の居酒屋さんに出会いました。看板に、たまには小松、やっぱり小松、なぜだか小松、みんなの小松、今こそ小松と書いてあり、面白いこと書く店だなあと思って入ったのが最初でした。入ると元気のいい若大将と安達祐実に似たきれいなお姉さんがいて、大将が、カウンター越しのお客さんに面白い冗談をいいながら料理を作っており、アットホームな雰囲気にすぐになじんでしまいました。以後、すっかり気に入ってしまい、気が付くと週に2〜3回訪れる常連さんとなっていました。このくらい行くようになると、店も広くないので、他のお客さんと仲良くなると、いろいろな話しをすることができ、神奈川時代に医者同士やナースなど医療関係者としか飲みに行くことがなかった自分には大変勉強(知らなくていい、いらないことも時々聞かされますが)になり、世の中の見方が以前よりずいぶん広くなった気がします。こうしていろいろな話をしていくと、趣味の合ったもの同士はさらに仲良くなり、いつのまにかゴルフ仲間が増え、今では、ほとんどがこの店つながりの人とラウンドしております。せっかくなので、お店の紹介をしておきますと、店の名は小松味、場所は中央駅の中央郵便局の通りと黄金通りの間にある西銀座通りの一番奥の角にあります。大将は、私よりちょうど一回り年下の32歳で、鹿商出身、高3のとき甲子園に出場、二番でショート、本人いわく大リーガーの福留と学年が一緒で、彼より守備、走塁とバントはうまかったとのこと。(疑って回りに聞いたらホントでした。)しかし、彼の現在の体型は、その面影もありません。ゴルフの腕前は、出会ったときは、初心者に毛が生えた程度でしたが、さすが元甲子園球児、最近になりどんどん上達し、ベスト83まできました。私は一緒にラウンドしてグロスで彼に負けた事はなく、これからも負けられない!と思ってます。肝心の料理についてですが、何を食べてもうまいです。肉、魚、鍋物、何でもオーケー、特に豚足は、他のお店にはないおいしさです。興味がある方は是非一度行ってみてください。
最後に、当面のゴルフの目標は、ハンディキャップ、シングルなのですが、先にお話した通り、知らない方とのラウンドで満足感のない自分は、今後も、あまりクラブ競技に出ない気がしています。これからも、気の合う仲間と、ワイワイやりながら、さらりといつも70代で回れるようになりたいと思っています。
ゴルフは1打1打を、診療も1人1人を丁寧に、と心がけ、末永くやっていきたいと思います。
| 次回は、宮田医院の宮田正幸先生のご執筆です。(編集委員会) |

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