緑陰随筆特集

「蛍」
中央区・中央支部
(鮫島病院)    鮫島  潤

 蛍は夏の風物詩、私は蛍の光が好きだ。なんとも言えぬあの光の点滅は神秘的だ。蛍二日に蝉三日と言われる位果敢ない命なのだ。若い頃は夜になるのを待って蛍の情報を集めて殆ど全県下を廻っていた。
*蚊帳の蛍…私が子供の頃、屋敷が甲突川の近くで庭先によく蛍が飛んでいた。それを捕らえて蚊帳の中に入れてあえやかな光を愉しんでいたものだ。源氏物語に出てくる、玉たま蔓かずらに几脹ついたてのなかで蛍を放ち玉蔓の姿を浮き上がらせようとした源氏の心境もこれに似ていたのだろう。
  声はせで身をのみ焦がす蛍こそ 
   言うより勝る思いなるらめ紫式部
*蛍の墓…火垂る...星たる...蛍となる。戦時中巡洋艦の艦長を父にもつ清太は三宮の空襲で母を失う。残された兄妹は焼け野が原を彷徨う。頼って行った遠い親戚の家で虐待され壕生活を始める。妹に群がるシラミやノミの駆除をしながらある日突然、妹に女性としての情欲が湧く。一方ではカ、ハエ、ナンキンムシ、ゴキブリなどに散々悩まされた。
  妹は栄養失調で下痢が続いて益々痩せる。素直な妹は敵機の灯り、機銃弾、高射砲の曳光弾、焼夷弾の落下を見てホタルの様だと言う。ホタルが食べられないかとも思う。壕内暮らしの兄妹は隣組に疎遠され食料は全く枯渇した。遂に畑の作物を盗むようになる。近所の人に見付かって殴られ、警察に突き出される。幸にお巡りさんの温情により許される。妹は壕の中にホタルの墓を作っていた。そして夜のホタルを眼で追いながら何時の間にか死んでいた。清太が自分で穴を掘り、なけなしの炭を投じて見守る人も無く一人寂しく火葬してやったが周りにはホタルが群舞していた。
  その後清太はガード下で座ったままで死んでしまった。この一連の物語は、戦時中の食糧難、疎開生活の辛さ、空襲の恐怖、我々はその何れも体験したので身につまされて60年昔を思い出し、涙なくして読めなかった。
*蛍烏賊…戦前は鹿児島で蛍烏賊など見たことは無かった。
  今では珍味として富山の烏賊が鹿児島で酒の肴に良く見られる。舌に乗せて味わうたびに富山湾で収穫する時のチカチカ光る蛍の光を思い出す。
 ・蛍烏賊日本海も春の波(作者不明)
 ・一匹が舌にのる烏賊ホタルイカ(作者不明)
*源平蛍大合戦…昭和の初め頃は、新上橋の鉄橋の足元に繁る菰や葦に群れる無数の源平蛍合戦は、凄く明るく奇麗で、車胤しゃいん流に大げさに言えば蛍の光で新聞が読める位だった。甲突川の水も豊富だったし澄んでいた。人も少なく静かな環境だった。鮮明に思い出す、またあんな夜が来れば良いと思う。
*深山の大蛍…都城からの帰りに峠の深山の中で一匹の蛍を見つけ、喜んで車を停めた。蛍の光を追ううちに途端に車が滑り出しあれよあれよと言う間に谷間と反対側の溝に落輪した。蛍に気を取られてサイドブレーキが甘かったのだ。まさに危ない所だった。深夜の山中で心細い思いをして居ると全く幸に通り掛ったトラックが親切に引き揚げてくれた。
 ・大蛍ゆらりゆらり通りけり  一茶
*蛍の山…小林出での山やま公園では全山に群がる蛍が個個に火を灯す、光る確率が一つに揃った時、フラッシュを焚いたように一斉にサーッとつき、サーッと消えて森の形がフンワリと宙に浮き幻想的に見えて誠に見事だった。この瞬間の灯りの膨らみは忘れられない。
  蛍の山については、医局の先輩が軍医として行動中、ブーゲンビルの山中で全山蛍のイルミネーションという蛍の光がまるで探照灯の一斉照射みたいにウェーブ状に動いて、全山これ蛍という状態で凄く奇麗だったと話してくれた思い出がある。
*蛍舟…宮之城の川内川で夜に船を出しての蛍見物も見事だった。水面に反射して点滅する光は、違った視点から見ると際立って美しかった。印象に残って忘れない。試乗をお勧めする
 ・船引きの足に絡まる蛍哉  一茶
 近所の家々がわざわざ明かりを消してくれたのには住民の思いやりが偲ばれて嬉しかった。その時、函館山の夜景を引き立たせる為に街の家並みで山に面した窓の灯りを消してくれた事を思い出した。
*蛍のお土産…隼人の山奥まで蛍を見に行ったが暗闇の中に私がじっと蛍を見つめている時に、見も知らない近所の小父さんが来て「わざわざ鹿児島くんだりから蛍見け来たとな、物好きな」と笑われた。地元の人には蛍は当たり前だったのだ。然し一旦帰った彼がまた引き返して、篭に入れた蛍を土産に持って来てくれた思い出がある。その時、蛙の合唱も良かった。あのあたりはだいぶ開発された様だが未だ蛍が居るのだろうか。
*特攻蛍…第二次世界大戦で知覧が特攻隊の基地だったとき若い宮川三郎隊員が明日出撃という時に冨屋旅館の鳥浜トメさんに「今度来る時は蛍になって来るから」と窓の外を流れる麓川の蛍を指して言い残して出撃したそうだ。誠に切ない話だ。現在は昔みたいに蛍は居ないそうだ。60年も経てばそうなるものだろうか。
*無駄な蛍…蛍乱舞の情報を得て川辺町まで出掛けて行ったのにその夜は蛍が一匹も居なくて全くの無駄足だった。このとき帰りの車中で看護学生の一人から南北朝廷の吉野山物語を長々と聞かされた。高校時代の先生に教えられたとの事、子供のころの教えは何時までも残るのだ、大事な事だと感じた。蛍見物は失敗したが若い学生たちの話しが聞けて嬉しかった。何故かこれも忘れられぬ思い出だ。
*土蛍…ニュージーランド・ロトルアの鍾乳洞の土蛍も奇麗だった。洞窟のまわりが蛍の壁、まるで宇宙船のようだ。ボートに乗って音を立てないように、声を出さないように静かに進む、天井に群生する青白い光、まさに天の川、プラネタリウムで覗く満天の星、神々しい光の演出に感嘆する。日本の蛍と違ってガガンボ(蚊に似た昆虫)の群れだ。その幼虫は口から粘液を出して、ガガンボ(実は自分の親)を引き付け、絡め取って餌にする不思議な習性があるという。そして光るのは幼虫だそうだ。

 蛍に引かれて夕暮れの県下をだいぶ廻った。慈眼寺の麓、竹之下川にも蛍は乱舞していた。健康の森にも蛍はいたが、今はどうだろうか。情緒溢れる蛍の思い出は数々あるが損も得もなく何れも懐かしい。歳を取って車の免許を返上してから身動きが取れず、蛍の噂だけは聞くが結局何処にも行けなくなった。補虫網や篭を持って蛍を追い、手のひらに捕らえて光を透かして喜んでいた子供の頃を思い出す。あの情緒が失われた、残念な話しだ。





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