緑陰随筆特集
The 19th WAS World Congress for Sexual Healthに参加して |
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鹿児島大学医学部保健学科母性・小児看護学講座 教授
吉留 厚子
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イエテボリの港
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町並みと筆者
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ユースクリニック入り口
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美 術 館
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昨年末、スウェーデンで開催されるWAS(World Association for Sexual Health)World Congress
for Sexual Healthに友人と参加することを決め、演題を応募しました。スウェーデンには未だ訪れたことがなく、イメージとしては北欧で福祉の国であるということぐらいでした。6月20日に鹿児島空港から関西空港へ移動し前泊し、21日11:00発のフィンランド航空にてフィンランドのヘルシンキへ9時間30分の長い移動をしました。ヘルシンキで乗り換えスウェーデンの海に面しているイエテボリに16:30分頃到着しました。日本との時差は7時間ですので、日本時間では23:30分頃のことでした。新型インフルエンザに対して健康診査はなく、体温測定のためのサーモグラフィーもみあたらず、スムーズに入国しました。リムジンバスで街の中心部まで移動し、ホテルにチェックイン後、早速学会会場であるコンベンションセンターに行き、会議のオープニングセレモニーに出席しました。約50ヶ国から参加し、日本人も30名ほど出席しているようでした。1週間前に全国助産師教育協議会で知り合った長崎大学の先生と偶然出会ったことにびっくりしました。セレモニー後は日本時間では真夜中になるので、身体が疲れぐったりしホテルに戻りましたが、白夜のため午後10時を過ぎても外は明るいのには驚きました。イエテボリはストックホルムに次ぐスウェーデン第二の都市ですが、人口は約40万で、こじんまりした街でどこかアムステルダムの町並みに似ていると思っていたら、オランダ人が街を作ったことを本で読み納得しました。街のいたるところに公園があり、短い夏を楽しむように人々は芝生に寝ころび日光浴を楽しんでいました。日本でよく見かけるように帽子をかぶる人は極少なく、日傘をさしている人は見当たりませんでした。人々は短い夏を惜しみ楽しんでいるように見えました。
学会は21日から25日の期間に開催され、助産師、看護師、医師、心理療法士、教師、ソーシャルワーカー、変わったところではセックス・セラピスト等が参加し、性の課題について多数発表がされました。わたしは特に性教育について興味があったので、性教育についての発表を中心に学会会場を回ってポスターをみたり、口演を聞いていました。会場内にSWEDISH YOUTH CLINICのブースがあり、以前『スウェーデンの性と性教育』という本を読んだ中に書かれている青少年クリニックと一致したことに気づいた時は驚きでした。YOUTH CLINICは1970年に設立され、12-23歳を対象にした若者たちのためだけの診療所で「性」について相談と診療を受けられる施設なのです。その施設の見学ツアーがあり、わたし達日本の大学教員、日本の医師、イギリス留学中の韓国医師、ドイツ人、オランダ人、ザンビア人、オーストラリア人が参加し、案内してくれたのは、助産師と臨床心理士の2名でした。会場近くよりトラム(電車)に乗り、30分ほどで着きました。ユースクリニックは、レンガで造られた建物の2階にあり、部屋の中には太陽が明るく差し込み、家具は温かみのあるもので、対象者8000人が住むエリアで年間2000-3000人訪れるとのことでした。助産師の診察室、検査室、待合室等8部屋ぐらいありました。このクリニックでは助産師の職権として、性感染症の検査、ピルの処方、IUD(子宮内避妊用具)の挿入まで認められていて、助産師教育の中に教育内容として盛り込まれています。また、指導内容もより具体的であり、渡す資料も工夫されていました。若者一人当たり初回は1時間、2回目からは30分で対応するということなので、十分な時間をかけていることが分かりました。スウェーデンの助産師の職域の広さに、同じく見学していたドイツ人の助産師も驚いていました。それが40年前からされていたとは。以前よりYOUTH CLINICについて興味をもっていたので、今回の学会の成果の一つでした。鹿児島市立病院で勤務していたという産科医師も見学者でしたので、しばし鹿児島の話を電車の移動中にしていました。
クリニックより帰るトラムで、4人かけの席で空いた席に座ったところ、前に東洋人の女性が2名座っていました。わたし達が話していると,「日本人?」と驚いた顔で話しかけてくれました。お二人の話から、イエテボリには約200名の日本人が在留しているけれども、会うことはないので、数名の日本人が乗り込んできたのでびっくりしたとのことでした。滞在していた頃が夏至であり、最も良い季節であると言われたのは実感できました。6月23日の新聞によると日の出4時13分、日の入り22時17分でした。お二人にスウェーデン料理の美味しくて値段がリーズナブルなレストランをお聞きし、見学に参加した6名で夕食を共にしました。名物であるトナカイの肉を少しいただきましたが、牛肉の少し硬い位の肉で臭みは全くありませんでした。食事は海に近いので、海産物は美味しく、パンも柔らかく種類も多くわたし達には評判は上々でしたが、日本人ですのでお米が非常に恋しくなりました。夕食後は午後9時を過ぎていましたが、まだ太陽は高く再び白夜を実感しました。
今回の学会の会場は治安も良く、白夜ということもあり遅くまで出歩いても問題がなかったので、街を歩き、そして歩き、また歩きと町全体を歩いたといっても過言ではないほど楽しみました。付け加えるとこの街は、昨年スケートの国際選手権が開催された都市でもあり、わたし達が滞在しているときにはアンダー21の国際サッカー選手権が開催されていました。
6月25日にイエテボリを出発し、逆のコースで鹿児島まで戻りました。20数時間に及ぶ長い道のりでした。伊丹空港で日本食をいただいたときは、日本がやはり良いなあと思いました。しかし、今から来年はどこの学会で発表しようかと考え始めているところです。

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