緑陰随筆特集

幸運な若者と不運な魚

南日本新聞編集局長
             鈴木 達三

 鹿児島市の甲突川、市立病院近くの甲突橋を渡っていたとき、橋のたもとで若者がまさに魚をあげようとしているのに気づいた。釣り糸に引っ張られ、獲物が川岸に近づいてくる。雨の後でやや濁った水面に銀鱗が躍る。遠目では40-50センチ。かなりの大物だ。
 犬を連れての散歩や通勤で甲突河畔を歩く機会は多く、川岸からルアーを投げ入れる若者らが増えているのは知っていた。何を狙っているのか。橋の上などから泳ぐ姿をよく見かけるコイだろうか。
 かねがね、甲突川の下流でも魚がすめるということを教えてくれるコイたちは好ましい存在に映っていた。放流されたのだろうが、都市の真ん中で、たくましく育ち続けるとは素晴らしいではないか。そう感じていたので、釣り人を見かけると、できれば釣られるなよ、とコイに「声援」を送っていたのだ。幸い、釣りあげられるところに出くわしたことはなく、釣りをしていた近くで、後日コイがいつものように悠々と泳いでいる姿を見るとほっとした。
 甲突橋付近もコイが多いところだ。ついに、そのなかの1匹がいなくなる場面に立ち会ってしまったか。残念に思いながら、その一方で、いかにも危なげな手つきから明らかに初心者だと分かる若者の幸運を喜ぶ気持ちもあった。とりあえずは、だれの力も借りず、一人きりで魚に立ち向かい、その勝負に勝ったわけだ。祝福に価するだろう。
 必死に獲物を岸にあげようとする若者を見ながら、もう40年も前、小学校低学年のころ、甲突川で何度か釣りをしたことを思い出した。叔父一家の住む下伊敷、岩崎橋の近くで、叔父と一緒にミミズをえさに釣り糸を垂らした。ハエ(ハヤ)、ゴモンチャン(ハゼ)などが釣れた。叔父宅に持ち帰ったハエは、叔母がすぐに天ぷらにしてくれた。アツアツで、頭から丸ごと食べられた。特に自分で釣った魚はおいしかったように思う。
 だが、その後、釣りから遠ざかってしまったのは、ほかの遊びに興味が移ったこともあるが、何より甲突川が清流を失ってしまったためだ。工場、家庭から垂れ流される排水などで、川はどんどん汚くなっていった。経済の成長に歩を合わせるように、魚影は消えた。
 再び川で釣りをしたのは、京都の鴨川だ。大学の4年間をすごした下鴨の下宿近くを流れていた鴨川は、流れは浅かったが、清く澄んでいた。「魚が釣れるらしい」と聞いてきた先輩に誘われ、釣り具を買った。お金はなかったが、暇だけはあり余るほどあったので、安い釣り具で楽しく時間をつぶせるならそれもいいか、という気持ちが上回った。うまくいけば釣った魚で豪華な晩ご飯になるかも、と考えたような気もする。
 結局、何度か釣りに出掛けたが、釣れたのは数センチの小魚を何度かだけ。ボウズのときもあって、鴨川の魚への興味は急速に失われた。
 釣りには行かなくなったが、鴨川との縁は切れなかった。桜の季節、陽光に川面がきらめく夏、遠くの山々が紅葉する時期、雪景色など、いつでも鴨川は美しかった。景色を眺めながら、景色に包まれながら、河畔を歩くのは心地よく、大好きだった。
 バイクを手に入れ、遠出が苦にならなくなった夏には、水着を持って上流へ出掛けた。釣りに誘ってくれた先輩が、「上賀茂では泳げるらしい」との情報をつかんだのだ。半信半疑で出発したのだが、確かに上流では地元の子どもたちが泳いでいた。小さな滝があり、滝つぼの近くはそれなりの深さがあった。やや狭かったが、十分に楽しめた。
 そのころ、鹿児島に帰省して見る甲突川は、やはり汚かった。美しい川を守り続けている、京都のすごさをあらためて知らされたような気がした。千年の都であり続けるということ、都で暮らすとはこんなことなのかも、と思った。
 大学を卒業して再び鹿児島に帰ってきてから、甲突川は急速にきれいになっていった。当時の南日本新聞の記事によると、川のそばにあった設備の古い工場が次々と郊外に移転したことや、公共下水道の普及が大きな要因だったという。私たちの意識も変わり、川を汚すことは悪だということが常識になった。清流を取り戻そうとする市民の活動も活発になり、自分で取材し、記事にすることも増えていった。
 「鹿児島市で最もきれいな川」になった甲突川には魚影も戻った。6月1日のアユ釣り解禁は、毎年恒例のニュースになっている。たとえ、そのアユのほとんどが解禁前に放流されたものであっても、アユがすめる川に生まれ変わったのは素晴らしいことだ。今後、ますます甲突川の水質がよくなるために、私たちは努力を続けていかなければならない。そうすれば、いつか、甲突川が「鹿児島の鴨川」とたたえられるようになるかもしれない。
 甲突川で魚と格闘する若者を見かけたことで、昔のことをいろいろ思い出した。得した気分になった。
 ところで、その若者の釣った魚の正体だが、すぐに明らかになった。その日の目的地だった甲突橋近くに建つビルから、知人もその格闘を目撃していたのだ。私が橋を渡り、そのビルに入り、会議室に着いたとき、魚は若者の足もとで跳びはねていた。
 一緒に窓から眺めながら,「コイでしょうか」と聞く私に、一部始終を見ていたという知人は「スズキですね」と教えてくれた。へえ、車がひっきりなしに通る、こんなにぎやかな場所にあんな大物がひそんでいるのか。甲突川も立派になったものだ、と変な風に感じ入った。
 「食べられるのでしょうか」と聞く私に、「洗いにすればおいしいですよ」と教えてくれた知人は、魚の扱いにまったく慣れておらず、おろおろしている若者を不安そうに見続けていた。「ちゃんと料理して食べてくれるといいけど」と言ったか言わぬうちに、知人が悲鳴を上げた。「あああ、今ごろになって川に帰しちゃったよ」。若者が魚を川に戻した(落とした)のだ。キャッチアンドリリース。超初心者らしい彼も知っていたらしい。だが、釣りあげられてからかなり時間がたっている。あのスズキが再び川を泳ぎ出すことはないだろう。
 私もため息をつきながら、若者の幸運と、超初心者との勝負に敗れてしまった魚の不運を思った。よほど腹が減っていたのだろうか。スズキへの同情が勝ったのは、私と名字が同じだったからでは、もちろんない。




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