緑陰随筆特集

山口萩往還140キロ完踏
―いったい何を考えながら走るのか―
西区・武岡支部
(もりやま耳鼻咽喉科) 森山 一郎
     志貴嶋 倭国者 事霊之 所佐国叙 真福在与具
     葦原の瑞穂の国は神意のままにあり、言挙(ことあ)げ(=ことごとしく言い立て)
     しない国です。それでも言挙げをわたしはします。お元気にご無事でいらっしゃい
     と。言挙げをしますわたしは…。
     磯城島(しきしま)の 大和の国は 言霊(ことだま)の 助くる国ぞ ま幸(さ
     き)くありこそ(大和の国は言霊の助け給う国です。言挙げしない国なのに敢え
     てことばに発します。言挙げしない習慣を破ってでも言ってしまうのですから、
     きっと願いがかないましょう。どうかご無事で)
                                     (万葉集巻13、3253,3254)

第21回山口100萩往還マラニック2009年5月2〜4日
 時間の取れるときはほぼ毎日ジョギングをしている。このことを人に話すと、なぜ走るのですか、面白いですか、とよく訊かれる。正直言って、仕事が終わって風呂に入って汗を流し、ゆっくりくつろいで晩酌して、テレビを観たり書物を読んだりするほうがずっと楽である。厳冬の日は外出したくないし、真夏のジョグは特に体に酷だと思う。ではなぜ走るのか、自分でもよく分からないが、三つの要因が小生を走らせている。一つ目は当然体調維持である。走っていれば、体重増加、高血圧、高脂血症などの生活習慣病とは無縁である。体調維持のため少し無理して走っている面もある。二つ目は周りの自然との一体感の体現である。草木樹木の匂い、潮の香りを感じながら走る。自然に身を任せれば、夜空の月や星が寂しさを紛らわせてくれるし、土やアスファルトさえ何かを伝えようとしている感覚が生じる。また、出張した時は必ず早朝ジョグをする。東京なら皇居近くに、大阪なら大阪城近くに宿をとり、朝靄のなかジョグすると静謐な森林浴に浸れ、とても清々しい気分になれる。そして休日など霧島連山や阿蘇の山中を走ると、大自然の中のちっぽけな存在である自分を思い知り、あまり拘泥しない磊落たる気分になる。三つ目は、ジョグ中に出会った人への声かけによる高揚感である。「おはよう」とか「こんにちは」と挨拶すると、何故か自分の知らない世界が開けてくるような不思議な感覚が生じる。普段あまり見知らぬ人と話をするのが不得手な小生にとって、こういった体験は恥ずかしさをちょっと乗り越えられる勇気をもらうような気がする。なぜ走るのか、結句、ちょっとだけ頑張って、健康管理と自己満足を得るためにジョギングしているのだ。
 つぎに、よく質問されることは、数時間ものあいだ一体何を考えて走っているのかというものだ。いろんなことを考えているが、最も多く考えていることは、次のエイドまであと何キロでそれまでは頑張ろう、きついけど達成感がなんとも言えないので頑張ろう、といった自分を鼓舞する思考である。2年前阿蘇100キロを走った時は、鳥の鳴き声や草千里を渡る薫風が、思わず短歌の偶作を作らせた。でも本当に何を考えながら走るのだろうということをテーマでいままで走ったことはない。ちょうどいい機会なので、今回の140キロというとんでもない距離を20時間以上かけて走った時、果たして何を考えるのだろうかと自分で自分の思考を分析してみようと思ったのである。
 「山口萩往還140キロ」なんという魅力的な大会だろう。
 何を考えながら走るのだろうか、これを機会に自分なりにいろいろ実験してみようと思ったが、その前に、まずは、以前より気になっていた生田春月氏の「銀河の下」という随筆を紹介しよう。
 孤獨者にとっては、花よりも、鳥よりも、星が一番深く心に沁みる。それはただやさしく慰(なぐさ)めてくれるばかりでなく、或(あ)る天的(てんてき)な美と崇高とをもって、宇宙の神秘を暗示するからである。星は天の花であるとともに、また天の鳥でもある。星は飛びもするが、その飛ばないものも歌ふことを知る。星の言葉を聞き取ることの出来る人は、既(すで)に立派な詩人でなければならぬ。そして、彼の詩は頭からしぼり出された時よりも、星の言葉をただその儘(まま)に書き取った時、一層光り輝くであらふ。
 美(うる)はしきもの見し人は
 はや死の手にぞわたされつ、
 世のいそしみにかなはねば。
 されど死をみてふるうべし、
 美(うる)はしきもの見し人は。
 以上の生田春月氏の文章と訳詩(アウグスト・フォン・プラアテンの「トリスタン」から)がいつも頭から離れなかった。そして、今回の夜間の走りで、果たして星々は自分に語りかけてくれるのだろうか。自分は詩人足る人物なのか。それとも「世のいそしみ」の無用の人間なのだろうか。実験的思いで夜間走行に臨んだ。
 でも、残念ながら星々は語りかけてはくれなかった。というか、空は曇天で上弦の月がやっとぼんやりと朧月夜として分かる程度で、とても満天の星というわけにはいかなかった。それに真夜中大体午後11時から午前5時ぐらいまでは、萩往還の往路をずっと走っており、空は木々の茂みで全く見えないのだ。足元がおぼつかなくて、懐中電灯を照らして山道をひとりで行かなければならないので、たとえ茂みが途絶えて天空が見えても空を見上げる余裕はない。これでは星々の語りかけに応ずることは出来ない。いい訳くさいがまだ自分が詩人ではないとは言い切れないようである。夜間走行の実験は失敗。
 ところでこの真っ暗闇の中で貴重な体験をした。走行中に百円ショップで買った安っぽい小生の懐中電灯が途中で電池切れしてしまい、後続の人が来るのを待って、その人の後に寄り添って走ってもよいかとお願いした時のことである。その方は、ヘッドライトをしていたのでリュックに携帯していた予備の懐中電灯を取り出し、それを小生に差し上げると言われた。急場でもあり充分な感謝の仕様もなく、有難くお借りして闇夜を再び駆け出した。しかもしかも、そのお借りした懐中電灯がまたも電池切れとなってしまった。そしてまた後続の方がやってくるのを待って同様のお願いをしたら、全く同じ返事で、この方もまた予備の懐中電灯を貸して下さった。当然のこととはいえ、人の親切とは、特に困った時により身に沁みる。星々の語りかけを感じることなく、むしろ人の情について深く考えさせられた次第である。俗世を離れた詩的で幻想的なものではなく、ごく現実的な世界である。そして萩城址まで来てやっと夜が明けたのであるが、ここまではただひたすら迷子にならぬよう、懐中電灯で足元や周囲を照らしながら萩往還道を無事抜けることを念じて走っていただけである。さて明るくなって萩港から日本海を眺める景勝優れた海岸線を走り松蔭神社へ向かっているときは、やはりなんと言っても自然と吉田松陰のことが偲ばれてならなかった。徳富蘆花の「吉田松陰」の中の死生観が特に思い出された。なぜだかいつも死に関することだけが想いをよぎる。さらに、松下村塾で学んだ幕末の志士の雄姿が想起された。しかし、思考時間からいえば亜流である。本流は、ずばり「ドストエフスキー」と「時間は幻」(ニュートン6月号2009特集『時間とは何か』から)の二つで、頭の中をこの2点がいつもぐるぐると回っていた。
 平成21年5月2日鹿児島を発つ直前に了読した本は、埴谷雄高の「ドストエフスキーその生涯と作品」(NHKブックス)であった。埴谷氏の作品は「死霊」のようにとても読みにくく理解し難い作品が多く、途中で読むのを放棄してしまった経験もあるので、この「ドストエフスキー」はまず読み易さに感動した。もちろん内容的にも素晴らしく、ドストエフスキーの人となりや作品を簡潔に紹介し深淵に読み説いている。あらためて『罪と罰』、『白痴』、『カラマーゾフの兄弟』など学生時代に読んだ記憶を彷彿とさせて、二重三重の歓びに浸った。その思いを引きずって山口萩往還を走ったものだから、走行中は断片的な文章が頭の中で復唱された。
 (自分の処刑を目前にして)友人との告別が終わると、今度は自分のことを考えるために割り当てた2分間がまいりました。いま自分はこうして存在し生活しているのに、もう2分か3分たったら、一種のあるものになるのだ。これはそもそも何故だろう。…もし死ななかったらどうだろう!それは無限だ!しかもその無限の時がすっかり自分のものになるのだ!そうしたら、俺は一つ一つの瞬間を百年に延して、一物たりともいたずらに失わないようにする。(「ドストエフスキー」の『白痴』の章から)
 1. 意識しすぎることは病気である。
 2. そんなことをしていけないと意識するとき、私たちは反対に醜悪な行動をとる。
 3. 私達は、しばしば、自分の利益でない行動をとる。不利をあえて取ることがある。
 4. 私達は、なんといっても、破壊や、混乱を熱愛してるのだ。
 5. 歯痛や呻きは快楽である。一般的にいって、苦痛は快楽である。
 6. システムや抽象的な結論にこだわると、自分の理性を生かすために、ともすればわざわざ真実をゆがめ、見えても見ず、聞こえても聞かずということになりがちである。
 7. 法則、自然科学、数学はニニが四であるが、私達はニニが五を欲する。
(同『地下生活者の手記』の章から)
 実際よく人間の残忍な行為を「野獣のようだ」と言うが、それは野獣にとっては不公平であり、かつ侮辱でもあるのだ。なぜって、野獣は決して人間のように残忍なことはできやしない。
(同『カラマーゾフの兄弟』の章から)
 「純粋は苦痛の中に成長する」とか「苦痛は快楽である」とかという逆説的なドストエフスキー特有のアンチテーゼを拠りどころにして走った。そして、なんとか140キロを完踏出来た。ここでいう苦痛とは、マゾヒズムという単純なものではない。「ひとはパンのみにて生きるものにあらず」というドストエフスキーがもっぱらにした主題の意味するところ、つまり、全人類にパンが供給され、幸福をふりまかれた末にはどうなるか,「もう物質的欠乏ということはない。もうこれからは、辛うじて口に糊するための絶え間なき労働もなくなって、全ての人が高尚深邃(しんすい)な思想と、一般的な現象に従事するに相違ない」と歓喜するのだが、そのうちに忽然と目が覚めて、倦怠と憂愁が襲って来て、すべてはなしつくされて、もはや何もすることがなく、自殺者が群れをなして現れるという結末になる、そんなある種の諦念を意味する。「幸福は幸福の中になく、ただ獲得の中にのみある」のだ。
 労働(=苦痛)あっての幸福(=パン)であり、苦痛は一種の浄化なのだ。そんなことを呪文のようにくり返し頭の中で唱えながら走っていると、一瞬前に感じていた苦痛と、今この瞬間に感じている苦痛とは別のものに思えてきた。ゴールが近付くにつれ、肉体的な疲労はピークに達しつつあるのだが、あと少しだという思いが精神的な快楽を運んでくれる。ついさっきまでの自分と、今の自分、そしてゴールした時の自分は同じではない。時は流れいくもので全く同じ景色・心情・状況の再現はけっしてあり得ないのだが、そもそも時間とは何なのか。月刊誌ニュートン5月号の特集を読んでから頭から離れない難問を思い出した。「時間は幻」とか「時間は非連続」という理論で、これまでの固定観念を全く覆すものだ。この新しい概念もまた、走行中なんどか頭の中を去来し悩ませた。宇宙の起源であるビッグバンの前には宇宙の存在がなかったのだから時間もなかった。では存在とは何なのか?写真に撮って写すことができ、目に見えるものが実在と定義すれば,「時間」とか「愛や憎しみなどの感情」そして「神」すらも実在しないことになる。時間とは形而上学的なものなのだろうか。時間とは人間が勝手に作り出した想像上の世界なのか。走りながら「時間は幻」だなんてとても思惟し続けることは不可能だった。だったら、自分なりの時間を想像すればよいと開き直った。そしてふと帰りの萩往還の走行中、この禅問答のような公案に対し勝手な自分なりの小悟を得た。ドストエフスキーの死刑執行される直前に思ったこと、『一つ一つの瞬間を百年に延して、一物たりともいたずらに失わないようにする』ことが、時間にとらわれない凛とした生活であり、その瞬間々々に今実存する自分がいることを大切に思うことであり、まさに「時間は幻」ということなのではないかと気づいたのだ。
 こうして文面に自分の考えを書き出すと、いかにも短絡的で気恥ずかしく、もっともっと言葉を尽くして言挙げしたい衝動に駆られるが、自分なりに得た小悟というものは、人にはあまりうまく伝わらないものである。140キロを完踏してそれまでの引っかかっていた難問を少しでも解決へ導いて自己満足する、それこそが完踏した自分への小さなご褒美なのである。「ドストエフスキー」と「時間は幻」の二つの結びつきで感じたことは、文明の進化とともに置き忘れた何かを取りに行く感じに似ている。時空を超えて、まだ神話を信じ、みんなが詩人であった太古まで遊んで行くような…。そして、魂と魄と自然の三者の混然の中心が、あたかも漂う自分自身であるような…。

生ける者(ひと) 遂(つひ)にも死ぬる ものにあれば この世にある間(ま)は 楽しくあらな
                    (大伴旅人、万葉集巻3、349)




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