緑陰随筆特集

「麻疹と麦秋」
鹿児島県医師会理事
               田畑傳次郎

 最近は、麦を作る農家は少ない。見たくても探すのに苦労する。私の小さい頃は辺り一面が麦畑だった。寒風の中、霜柱と一緒に麦の芽を踏んだ。麦は踏まれて強くなると教えられ不思議だった。麦の実る頃になると幼い日、麻疹に罹った時の事を思い出す。昔、ガラス窓のある家は少なかった。その頃、麻疹は外の風に当たるのが一番悪いとされていた。杉板の雨戸を締め切り暗い中に寝かされ布団にくるまり目を真っ赤にして、激しい咳と熱にうなされた。障子には雨戸の小さい節穴から射す光が庭に積まれた麦束の山を逆さに写していた。熱にうなされながらも初めて出会う光景に胸をときめかした。そして早く外で遊びたかった。麻疹は誰もが一生に一度は罹るのが当たり前であり、子供の時分に罹らないと大きくなってからは酷くなると大変恐れられた。丁度その頃20歳を過ぎて天皇様が罹られ騒がれたのを覚えている。遊び仲間が麻疹になっても騒がずむしろ移されようとそばに連れて行かれた。麻疹の予防接種は昭和41年から弱毒生ワクチンの任意接種が始まった。その頃の接種率は30%程度と低く、昭和53年から定期接種が始まって90%位に上昇した。平成元年にMMRワクチンが使用されるようになったが無菌性髄膜炎の副作用が多発し麻しん単独かMMRワクチンのいずれかを選択するようになったが平成5年にMMRワクチン接種は中止された。多くの親が副作用を恐れワクチン接種に不信感を抱いた。平成19年に高校生や大学生を中心に麻疹が流行したが、この時期に生まれた若者達である。私には4人の子供が居る。長男、次男は夫々昭和49年、50年の任意接種の時代に生まれ、接種は受けていない。 三男は昭和53年2月の生まれだが1歳にならない前に兄達の麻疹が移り12〜36ヶ月までにうける予定の定期接種を受けていない。この際の長男の麻疹の症状が重かったため次男、三男にはガンマーグロブリンを使い軽くて済んだ。昭和60年生まれの末っ子は昭和62年、2歳時に麻しん単独ワクチンの定期接種を受けた。21歳の学生時に麻疹が多発して心配したが幸い罹らなかった。WHO(世界保健機関)が一回接種だけでは免疫獲得が不充分であるとして2回接種を勧告し、やっと日本も平成18年から2回接種になった。また平成19年の大流行を受けて平成20年から5年間限定で定期接種を一回しか受けていない年齢層に第3期13歳、第4期18歳に定期接種を行う事になった。しかし親御さんの麻疹の怖さの認識が薄く60%前後の接種率である。日本は予防接種の副作用を恐れる余り、国際的に認められているワクチンで予防可能な疾患に対する対策が遅れている。麻疹は今でも乳幼児には重い病気であり、肺炎や脳炎の合併症を引き起こし死亡率も高い。未接種のままでの成人麻疹の発生も問題となっている。最近では2万5千人の届け出が有るが、推計では10万から20万人の患者が出ていると考えられている。国民全体の健康を守る公衆衛生の視点からもワクチンキーパーソンである若い母親に情報を伝え、すべての子供達にもれなく接種出来るシステムの確立が望まれる。





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