随筆・その他
ポ ニ ョ は 人 間 に な っ た
〜単心室、フォンタン手術ってご存知ですか?
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中央区・城山支部
(鹿児島医療センター) 田中 裕治
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| 外来風景(これがチェロキー白衣です) |
平成10年4月当時の国立南九州中央病院に赴任して、はや10年が経ちました。その間の先天性心臓病治療の進歩は目覚ましく時代は変わった感があります。現在は心臓に穴が開いているぐらいは軽い方で、今年はポニョが陸に上がりましたが、お魚さんの心臓である単心房単心室の子供たちもほとんどが助かるようになっています。2004年日本小児循環器学会の福岡こども病院からの報告によると、アンケートが回収できた単心室患者171例のうち97%の人がほとんど支障なく日常生活を送っていて、75%が中等度以上の運動をして、全く運動制限なしが43%というから驚きです。その最大の理由は確立されたフォンタン手術のおかげだと思われます。
医療の発達によりほとんどの先天性心疾患患者が生存できるようになり、すでに国内に40万人の成人患者がいるそうです。先天性心疾患は新生児の約1%に発生するため、日本では毎年12,000人ずつ増加している計算になります。1980年頃は先天性心疾患といえば小児の病気でしたが、2000年には成人患者と小児患者が同数になったと報告されました。2020年には先天性心疾患といえば成人の病気になるだろうと予想されています。
一言に単心室といっても、もともとの病気は三尖弁閉鎖、肺動脈閉鎖、左心室低形成症候群など様々なのですが、基本的に心室が一つなので大静脈を心臓から切り離して、直接肺動脈につないでしまえというのがフォンタン手術の発想です。つまり人間、右心室はいらない、なくても生きていけるということになります。歴史的には右心室の働きがなくても静脈圧だけで肺に血液が流れることは1950年初頭から知られていました。そして1971年にフランスのFontanが、三尖弁閉鎖に対する右房−肺動脈吻合による機能的根治手術として報告しています。フォンタン手術は右心室を経由しない循環動態なので、別名完全右心バイパス手術と呼ばれています。
大半の患者さんは静脈血が体に回らなくなる(大静脈から心臓を飛ばして直接肺へ流れる)ので、フォンタン手術後はチアノーゼから解放され一見全く正常に見えるぐらい元気です。もちろん心臓は治っていませんが、チアノーゼがなくなるので機能的根治手術といわれる所以です。肺循環は静脈圧と呼吸による胸腔内引き込み圧によって維持されます。よって脱水による静脈圧の低下は危機的で、二日酔いや炎天下の作業で脱水性のショックになって担ぎ込まれた成人もいるほどです。潜水や金管楽器は呼吸をこらえて胸腔内圧を上げる行為になりますので禁止されています。平成20年10月現在私が経過を見ている単心室患者さんは55名、うち42名がフォンタン手術に到達され最高齢は34歳になりました。
最近のフォンタン手術成績は極めて良好であり、九州では福岡こども病院の手術が圧倒的に多いのですが、福岡の術後5年以上経過した心外導管型フォンタン手術126例の報告によると、10年で94%の生存率、84%の術後合併症非発生率です。術後の中心静脈圧は平均9.9mmHg、心係数は平均3.6と血行動態的にも良い数値を示しているうえ、臨床症状もNYHA I 度が91%であり、これらの結果は他の複雑心奇形の2心室修復(穴を塞いで右心室左心室に分ける手術)術後の結果と同等と思われます。心負荷が残存する可能性が高い2心室修復術を選択するより、フォンタン手術を目指す治療戦略をとったほうが長期予後の改善する可能性があるとまで言われています。“良い”フォンタン手術は、“まあまあ”の2心室修復術を凌駕するかもしれないと、福岡こども病院心臓外科部長の角 秀秋先生はいつも言っておられます。そういえばつい最近のスーパードクター特集のテレビ番組にも満面の笑顔で出ていらっしゃいました。
福岡の方針では術後乳幼児期から抗凝固目的でワーファリン、アスピリンを、心筋保護目的のためACE(アンジオテンシン変換酵素)阻害剤ないしARB(アンジオテンシンU受容体拮抗薬)を3点セットで全例に予防内服させています。心筋保護の予防内服に対してはいろいろと議論も多いのですが、フォンタン術後の方に運動負荷を行うと、正常人にはみられないBNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド値)上昇があることが確認され、後負荷軽減療法がルーチンの薬剤となっているようです。
フォンタン術後の患者さんの予後ははっきりしていませんが、不整脈、凝固能亢進からくる血栓症、肺動静脈瘻、タンパク漏出性胃腸症など前途多難です。今年の日本小児科学会では若年肝硬変、肝癌の症例報告があり衝撃的でした。フォンタン手術は生理的に肝臓がうっ血している状態であり、γGTP(グルタミルトランスペプチターゼ)の高い方が多いのですが、肝癌となると小児科の手には負えません。2020年かどうかは分かりませんが、将来的には循環器内科はもちろん消化器内科、脳内科も巻き込んだ議論が必要となるのは間違いありません。
ただ15〜20年前は全員養護学校が普通で、悪い人は寝たきりであった患者さんたちが、現在は全員普通学校へ行き、うまくいけば就職して立派な社会人になっていることも事実です。外見が普通なため無理しないかどうか不安ですが、皆精一杯生きています。これからますます増えるであろう成人先天性心臓病患者さんの幸せを願って止みません。下記にフォンタン手術、人工弁置換手術を乗りこえた患者さんが小学校3年生の時に書いた作文を紹介します。
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| 小学3年生の版画カレンダー作品 |
ぼくのしんぞう
ぼくの
たから物の一つは
心ぞうだ
体の真ん中にあって
ドックン、ドックン
している
心ぞうの色は
もえるような赤だ
こんなすごい色になったのは
赤ちゃんの時の
大手じゅつを
乗りこえたからだ
ぼくだけの心ぞう
ぼくの心ぞうは
せかい一の心ぞうだ
最後に自分のことも:そういえば5年ほど前から、自分はできる限り白衣を着ないようにしています。白は清潔そうに見えて、最もこどもが恐れる色であり、自分の経験からいっても果たして毎日白衣を着替えている医者がどのくらいいるだろうかと思っているからです。看護師のナースキャップが廃止されて久しいし、医師のネクタイが感染源なんて報告も読んだことがあります。すでに閉院されましたが小児科吉井医院の吉井先生は、ずっと前から白衣は着ておられませんでした。数年前、現在市立病院小児科の島子敦史先生が県立鹿屋医療センター勤務中にチェロキー白衣を着ようじゃないかといい始めたのがきっかけで、色とりどりのキティちゃんやスヌーピーの上着を知りました。当時はこれがアメリカの看護師さん向けであることも知らず“これだぁ”と飛びつきました。(NHKテレビ番組のERを見ても医師用はカラフルな無地の手術着みたいな服ですね。)
当時の勝田副院長先生にお墨付きを頂いて着始めたのですが、最初は院内でアロハを着ている変な医者とジロジロ見られて恥ずかしい日を過ごすことになりました。2歳ぐらいの子供と母親には結構好評だったのですが、中学生の視線の冷たいこと……ひたすら耐える毎日でした。最近はカラフルな服を着る先生が増えてきて、このままでは目立たない、次はかぶり物か!と増長しております。
別にチェロキーの回し者ではありませんが、現在も毎日チェロキー白衣を着替えて、毎日自宅で洗濯しています。最初は自宅での洗濯には抵抗がありましたが、考えてみれば消毒がいるような菌に接する場合には予防衣の着用が必要であり、白衣に付いているのは雑菌ばかりという記事を読んで納得した次第です。すでに鹿児島でも今給黎総合病院の周産母子センターがカラフルな白衣を導入されていますし、遠くない将来、白衣という言葉はなくなるのではないかと思っています。このプリント柄の白衣は、ごしごし洗うという意味で“スクラブ”と呼ばれているようです。さあ!クリスマスシーズン到来。クリスマス柄のキティちゃんスクラブを出さなくっちゃ。
| 次回は、すまいるクリニックの重信恵三先生のご執筆です。(編集委員会) |

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