緑陰随筆特集

ニ ワ ト イ コ シ タ エ と ケ セ ン ダ ゴ
エフエム鹿児島社長  大囿 純也

 熊本の「馬刺し」ほどのユニークさはないにしろ、鹿児島の「鳥刺し」もなかなかのものではないか、とかねがね私は思っている。
 食い物の好みは幼児のころに刷り込まれるらしい。戦中戦後、飢餓の少年時代を田舎ですごしたわれわれ世代にとってニワトイ(鶏)は最高のご馳走であった。そんな刷り込みのせいで、今も牛肉などよりこっちがよほど上等に見える。
 ニワトイ料理を子供たちにもふるまってくれるのは正月だ。暮れも押しつまり、シラスを撒いて新年を迎える準備がととのった庭に大釜を煮立たせ、コシタエ(解体・さばき)が始まる。ニワを必死に走り回るトイの群れの1羽か2羽をばたばたとつかまえて首を絞め、あったかいうちにすばやく羽をむしる。ここまでは子供たちの役割だ。解体する前にざっと火にかざし、むしり残りの羽を焼き取る。トイの追い回しで興奮覚めやらぬ子供たちを、この匂いがさらに有頂天にする。
 ここからはコシタエ役(家長か長男)の出番である。つばきを飲みこんで子供たちが見守る中を、さばきにかかる。腹に包丁を入れ、破らないようにそろそろと腸を取り出し、胃袋をくるりとめくる。手早く洗い、手羽のスジ肉を歯で噛み切る。あざやかなものだ。
 正月のほか、田植え上がりのサノボイの宴などでもニワトイ料理は欠かせなかったから、農家の男たちにとってトイの解体技術は必須、今ならさしずめクルマの免許みたいなものだった。宮之城の県立農蚕学校(宮之城農高の前身)の運動会名物に、このニワトイコシタエ競争があった。短時間に、無駄なく、見た目もきれいに処理する技能を競うのである。競技がトイを追い回すところから始めるのか、解体したあとの肉はだれが食うのか、農蚕学校は疎開先の紫尾から遠すぎて、ついに見学できずじまいになってしまった。
 さて、入來のわが家近くに、果物から衣類・布団まで売っている“いなか百貨店”がある。昨年の暮れ、店先に看板が出た。『正月の贈り物にいかがですか。ニワトリ1羽解体して2,800円、丸ごとだと2,600円、送料別』とある。
 東京や関西で暮らす入來出身の子供や親類・友人に、故郷の正月の味を素材のまま送ってやろうと思っている人は多いはず。ニワにトイを飼っている家は最近このあたりでも少なくなった。トイコシタエ技能の持ち主はさらに少ないだろうから、自宅の正月用に注文する家庭も多いはず、と見込んでの歳末商売である。
 ちなみにこの“百貨店”ではケセンダゴも売っている。ケセン(肉桂)の葉でくるんだ餅菓子である。懐かしいので買おうと入ったら、今食うのかと聞く。いや、あす鹿児島に持って帰ると言うと「新しいのをこれから作るから、それなら帰りに買ったほうがいい」と忠告された。だから買うのは翌日にした。
 客が欲しいと言うのだから素直にその場で売ってしまえばよさそうなものを、と思いながらも、なんだかとても得をしたような気分である。ほんものの“田舎の味”というのは、さりげなく、こんなところに、ケセンの葉っぱにくるまれて生きつづけているのだ。
 人間、空腹だと寝つけないものだが、私のケセンについての記憶もそれに似ていて、ひもじさに裏打ちされているせいか、いつまでもこびりついて寝つけない。忘れられない。
 疎開先の従兄弟たちのあとについて、深山にたびたびケセンの根を掘りにでかけた。根や皮をはいでしゃぶるのである。戦後しばらくは鹿児島でも縁日などでケセンの根を束ねたものを売っていた。10数年前、臥竜梅見物に出かけた東郷の神社の参道で同じものを並べていたのを見たことがある。
 入來の家の裏に数年前、かなり大きなケセンの幼木を植え込んだ。もともと深山の木だから日当たりがよすぎて小枝が枯れたり樹皮がはがれたりしていたが、最近ようやく土地になじんできて、春はかわいい新緑の葉がいっぱい芽吹く。根っこを掘り出してみたい衝動がなくもないが、我慢している。ケセンの根は、東郷の縁日で見たのが結局見納めだったのだ、ということにしてある。
 それにしても、気になるのは、あの入來の店の“ニワトイの宅配便”である。解体しての2,800円はともかく、「丸ごと2,600円」のほうの売れ行きが気になる。いきなりどんと丸ごとトイを送りつけて腰でもぬかされたらお互い大変だ。そうさせないために今からでも遅くない。魚のさばき方同様、3枚におろす(?)程度のコシタエの基本は身に付けておきたい。このところ人気の「かごしま検定」講座で取り上げるのもいい。そして実習の成果をコンクールで競うのだ。鹿児島らしく豪快ではないか。農蚕学校の運動会の再現である。




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