緑陰随筆特集

第 26 回 宮 崎 医 科 大 学 す ず か け 祭
医 学 展 ラ イ オ ン 企 画 に 心 う た れ て
鹿児島県医師会理事 
              水間 良裕


 先輩の米田泰一先生にすすめられて、宮崎医大医学展を立派に成功させた学生達が中心になって出版された「風に立つライオン」(不知火書房)という名著を読んだ。本の中で紹介されている「風に立つライオン」「八ヶ岳に立つ野ウサギ」。どちらも、さだまさしの知る人ぞ知る名曲だが、前者のモデルは、ケニアで奮闘した元県立日南病院長の柴田紘一郎先生。しかし、柴田先生は「風に立つライオン」として騒がれる事を少しも誇りに思っていない。
 「自分も風に立つライオンのようになりたい」と学生のインタビューに緊張しながら、謙虚に繰り返して答える。
 学生たちも、ライオンとしてのかっこよさではなく、その謙虚さに惹かれていく。
 読みすすめていくと、現役の医師たちが、なぜ医療人をめざしたか、これからの医療はどうあるべきかを医学生のインタビューに誠実に答え、更に読みすすめると、「八ヶ岳に立つ野ウサギ」という曲に出会う。「風に立つライオン」への返曲となっている。モデルは、八ヶ岳山麓の僻地で医療に取り組む小松道俊先生と著書「がんばらない」や、チェルノブイリ原発事故支援などで有名な、諏訪中央病院の鎌田 實先生である。ライオンにはほど遠いけれど、心が健康であるように、誇りを忘れないように、今日からは「八ヶ岳に立つ野ウサギ」と自分で名乗ることにしたんだという詞。
 第1刷が2002年、増補版が2007年なので、企画した学生の何人かは、もう臨床の現場で、人間として敬愛する医師たちからの言葉を胸に、ひたむきに臨床に取り組んでいる。
 小生も、気が付けば五十路。右も左も判らず、体力だけで走り回っていた研修医の頃を昨日のように思い出す。
 今はあの頃と違い、右肩上がりの面影はなく、サッチャー、レーガン、中曽根、橋本、小泉、福田政権とつづく新自由主義の政治手法のもとで、大企業の規制緩和、市場原理の導入、社会保障費の大幅削減、雇用の流動化の嵐の中だ。
 社会保障に市場原理主義は適切なシステムではない。ある国で失敗しかけた制度を、国民皆保険の我が国に入れても、医療者のモチベーションの低下、格差の増大、国民の不満、治安の悪化を招くだけだ。世界に冠たる国民皆保険と自由主義経済と、日本独自のこれまた世界に冠たる「あいまいさ」、言い換えれば「中庸の美徳」の中で、新しい落としどころを議論を公開しつつ探し当てる皆の努力が要る。
 小生も医師会執行部に入って数年。勤務医の頃は、正直全く興味がなく、臨床、研究に打ち込んでいたつもりでいたが、視野狭窄であった。今の日本において、財務省の理屈や市場原理主義者達を論破し、少なくとも医療人が社会の良心でありたいと願うならば、医政なくして、良い医療はいくら理想を言っても成し得ないという米盛県医師会会長の現実的な信念を実感として感じる。
 今は大学に戻った竹中平蔵氏の主張は、先端医療を大金を出しても受けたい人がいるのに、なぜ混合診療を認めないのかということ。また、医師たちが競争する事を避けているから護送船団方式の日本の医療レベルは低いという議論。
 とんでもない誤解をしている経済学者だ。我々は常に質の競争をし、切磋琢磨する。更に、エビデンスのある最先端医療と混合診療の解禁を同じ土俵で論じることには難がある。
 今の問題は、必要最低限の医療、介護、福祉さえ受けられない人々がいる「名ばかり先進国」に成り下がっている現実だ。国の将来を左右する議論をする時が今だ。
 医療はサービス業であると国はいう。確かにその一面もあるが、誇りある社会のライフライン、セーフティーネットである。
 平成11年10月7日、西千石町の雑居ビルで起きた亜砒酸混入事件で、診察に当たられた有馬 桂先生が、毒物中毒の疑いを迅速に判断し、中央保健所、医師会病院と適切に連携された時、県警本部長も感謝状を贈ったが、有馬院長による「ポット」や「やかん」を保管させるなどの素早い指示がなければ、被害はもっと広がっていた。
 まさに、先生はあの時、医師としてコミュニティーの危機を救われた。時々、代議員会などでお会いする。ニコニコしておられるが、薩摩武士然とした風格と、ある種のすごみを感じる。
 鹿児島には、アフリカのキリマンジャロも八ヶ岳も無いが、霧島連峰をはじめ桜島がある。
 美しい錦江湾もある。誰にこびる必要もないし、いばる必然もない。医師として、毎日を誠実に生きていくのみである。
 いざとなれば、泣こよっかひっとべ精神の薩摩魂をもった人々がごろいごろい居る。篤姫という烈女のお陰様でこの生っ魂は全国レベルになりつつある。
 ちなみに、この書物のもつ深さ、小生の文章力ではとても表せない。読まれた先生も多いと拝察するが、未読の先生は、是非一度お読み頂きたい一冊である。




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