緑陰随筆特集

食 育 に つ い て 考 え る
鹿児島市歯科医師会会長   森原 久樹


 食育とは、国民一人一人が生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保等が図れるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様々な知識と食を選択する判断力を身につけるための学習等の取組みを指すというのが目的ですが、要するに美味しく食べて、健康を維持出来ればいいのではと考える私です。
 食事は日常欠かせないものでありますが、その食事も病気のため食べたくても食べられない人、通勤通学で時間がない時のただお腹にかき込めばよいというのと、ドレスアップしてゆっくり、優雅に楽しむ食事といろいろありますが、私はかき込めばよいという時代のせいか未だに食事を楽しめないでいる一人です。だって「早飯早〇〇出世の秘訣」と教わり食事もそこそこに次の行動に移らなければ、人並み以上の人間にはなれないのだと言われ続けて育ちました。食べてすぐ横になると牛になるとも言われ、今にして思えば身体のためには一番よくない事ばかり教え込まれたのに今まで病院通いなどしたことがないというのは「逆もまた真なり」のたとえでしょうか。
 いま老若男女関心のあることにダイエットの問題がありますが、これも食事とは切っても切れない関係にあり、食べなければ痩せられるということは解っていても難しい。また普通の人の食事は一日三回だがお相撲さんのように二回なのに丸々と太ってしまう人、一日四回から五回食べるのにスリムな体型を保っている人とさまざまですが、医学的な見地からはいわゆる食いだめより三回で足りない人は四回、五回に分けて摂取する方がよいとのこと。やはり健康のためにはおいしく食べることが大切な要因であるがそれもバランスのとれた食事でなければなりません。
 そこで物を体内に取りこむところは口しかない、その口をいつも清潔に保っていなければ食事もその食材の味が損なわれてしまいます。物を手でつかんで食べる時、泥の付いた手で平気で食べられますか、汚れた茶わんでご飯を食べますか。口の中も一緒です。食事の前ウガイは必ずされたらどうでしょう、食後も元のようにきれいにしておく習慣をつけたら口の中に何億といる常在菌を大量に飲みこむ事もなく健康を保てるはずです。
 現代は食文化という事で食を楽しみながら健康を保つ事が注目されていますが、私達の小さい頃は今のように食べ物が豊富ではなく、生きるために食べるという気持ちが強かった。ご飯つぶを残すと目が見えなくなるとおどかされ、その名残で今はレンジで温めたご飯が茶わんにこびり付いて取れにくいのをお茶で離して食べていると子供達に笑われる。それでもガンとして止めず子供達にも強要していたが果たして理解しているだろうかと時々思い出します。
 食べたいものを腹いっぱい食べれば満足するというのは、昔の食べ物が少ない時代の事で今は飽食の時代、学校給食なども食べ残しが多すぎると聞きました。作ってくれる人々は栄養のバランスや量、見た目の美しさまで考えてのことなのに、どうにかしなければいつまでも飽食の時代は続かないのに。
 ある国では家庭で食事に呼ばれたら最後の一口は残さなければいけない、それは満腹でこれ以上食べられないというマナーだそうで、私もこれからはマナーを学びながら食事を楽しむ生活をしたいと思っておりますが、未だに一番好きな物を最後まで残して結局はお腹一杯になりそれさえも美味しく食べられない、またゆとりもなく何でも食べてしまう私をみての事でしょうが、チョコレートさえも近頃届きません。
 今の私には食事と酒は離せないものとなっていますが、勿論夕食に限っての事で、しかし食事がメインなのか酒がメインなのか分からないような状態の私に食育を語れるのでしょうか、また食文化は訪れるのでしょうか。




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