緑陰随筆特集
旅 姿 三 人 男( 出 会 い ) |
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或る夜、電話のベルが鳴った。時計を見ると9時である。(今頃誰だろう)と受話器を取ると「人吉からたい」と電話が言う。(何だ平へいちゃんからか、きっとあのことだろう)と思っていると、「今度は人吉の番じゃろ。そっでたい、何処に行こうかと考えとったら、今度400年ぶりに熊本城の天主閣のでき上がったとたい。それば一般の人達に見せるげなで、それば見に行こうかと考えたとばってん西橋君などぎゃんな。」「ああ、そっでよかばい。この間、TVば見よったらちょこっと天主閣の中ば映したもんな。色鮮やかな簾(すだれ)、襖、衝立などが映ったもん。そりゃ綺麗じゃったで一ぺん見に行ってみようと思っとったで、丁度よかったばい」と私は返事した。「もう一丁あっとたい。」と平(へい)ちゃんは続けた。「4年ばかり前水上(みずかみ)村の神社で偶然会(お)うた宇都(うど)君たい、彼と人吉のスーパーで会ったとたい。あんたん話も出て、今年は人吉の当番で、熊本城の天主閣ば見に行くつもりたい、(一泊二日で)と言うたら是非おいも連れて行ってくれんなて言うとたい。西橋君の意見ば聞いてから返事するでと言うとったばい。どげんな。」「そりゃ、今度は宇都君も連れて行ってよかたい。そばってん毎回はいやばい。」「おんもそぎゃんたい。そんなら今回は9月の連休に三人で熊本城ば観に行くという事で計画ば進むっで。」と平ちゃんは言って電話を置いた。
あの事が無ければ、私は宇都君と知り合う事は無かったかも知れない。それは人吉高校(人高)三年生の初秋の頃であった。人高では大学なみに単位制にしてあり、学生は自分が受ける学科の教室へ移動して行くのだった。午後の一時間目。私は解析Uを選んでいたのでその教室へ行った。始業までまだ充分時間はあったが、少し予習でもしておこうと早めに行ったのだった。もう二十人位来ていた。
私は後の人口から入って行き、後の方の席に坐った。陽当りのよい窓側にいる人が多かった。教科書を出して少し読んでおこうと本を開いた時、突然前の方で大声がした。(何事だろう?)と黒板の方を見ると、魚住君が机の上に横座りにいて、もう一人、魚住君と1.5m位離れて魚住君の方を見て机と机の間に立っている。それが誰か私には判らなかった。小学校等でもそうだが、顔と名前を早く覚えるのは、勉強の出来る人、運動のうまい人、そして悪ガキである。私は魚住君を悪ガキとして覚えていた。
その時魚住君と私の目が合った。すると、魚住君は立ち上がって私の顔をみつめて「わいや、ちっと勉強の出来ると思うてのぼせとっとじゃなかや。」と言った。こんなのに関わり合ったら大変な事だと考えて「そうじゃなかばってん大声のしたので何だろうと見ていただけたい。」と言って彼の顔から目をはずした。しばらくして「こん宇都の馬鹿野郎」と魚住君は言って「バシッ」という音がした。魚住君は前の出入り口から廊下へ出ていった。
宇都君はと見たら、机に半分よりかかっていたが、やがて温かい窓側の席についた。こんな宇都君という人もこの解析Uを受けていたのか。一学期も過ぎたのに今まで知らなかったなと思った。これが宇都君の存在を知った始まりだった。然しクラスも違うし、解析Uを一緒に勉強しただけなので、卒業したら会う事もないだろうと考えていた。
宮原君は京都の大学を出て、しばらく京都の会社に務めていたが、他の兄弟も皆人吉市を離れて住んでいるので、彼が人吉の家を守るべく人吉へ帰って来て、人吉市役所に入所したそうだ。宇都君は熊大教育学部を出て教員になったそうだ。私は卒後二内科へ入局し一般内科を勉強させてもらって、昭和56年1月、武岡で開業した。これで宮原君も私も落ちついたので、時々山登りや温泉めぐりでもしようか、という話になった。
私が高校を出て初めて赴任した水上村の岩野のすぐ隣りの湯前町に温泉が出たので、町が温泉場に宿泊所を作って、町民の憩いの場所にしたそうだ。宮原君が「一回目はそこにしようか。俺も未だ行ってないので。」と電話をくれたので私はOKした。岩野も何年かぶりに訪ねる事になる。
温泉場はまだ工事中で、これから公園や遊園地を作る予定のようだった。水上村の湯山部落は、以前から温泉宿があったので、湯前に温泉が出ても不思議ではなかった。ひょっとすれば岩野にも出るかもしれない。
翌日は、ゆっくりと朝食を取って、私が勤めた事のある岩野小学校の傍(そば)を通って人吉へ向かった。車で10分程行くと宮原君が「ここのお寺は有名なお寺だそうだから拝んで行こう。」と言うので車を道横に置いて砂利敷の広い庭に入った。その時、お寺の建物の傍(そば)からこちらへやって来る二人の男が目についた。もう少し近づくと、宮原君が「ありゃ宇都君達ばい。」と言った。お互い歩み寄って声が聞こえる処までになると、左側の男が、おれが宇都で、こん人は友達たいと言った。宇都君は私達二人のことを覚えているようだったが、私はこれが宇都君?とすぐには分からなかった。肥っていたからだろう。
その時、また魚住君の事が話に出て、「西橋君も叩かれたもんな」と宇都君が言った。私は叩かれてはいないのだが「ああ、そんな事があったな。」とお茶を濁した。彼らは他に行く処があると言って先に出た。私はあの教室での出来事以後、もう彼等に会う事はあるまいと思っていたが、こんな所で宇都君に会うとは考えてもいなかった。縁とは不思議なものだと思った。
そして今、また、三人で旅行する事になった。その時、魚住君と何があったかを聞こうと考えた。台風さえ来なければ、晴れた空の中に天主閣から阿蘇の連山も見えるだろう。(早く来い来い9月よ)という気持ちだった。
(つづく)

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