=== 新春随筆 ===
七 回 目 の 年 男 |

(T13.12.1生)
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中央区・中洲支部
(眼科川畑医院)
川畑平一郎
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1)84歳になるに当り
七高(旧制高校)に入学したのは昭和16年4月であったが、その年の12月8日大東亜戦争が始まった。卒業は半年繰り上がって昭和18年10月それぞれの大学に進学したが、大都会の生活、殊に、食糧事情は著しく悪くなった。我々理科乙類(第1外国語がドイツ語で、医学部に行くものが大半であった)は卒業時33名であったが、大学に入ってから休学したものが24名と、或る級友が数えていた。結核の為で、亡くなった者も数名あった。私も医学部の2年生になる時、肋膜炎に罹り帰郷し1年間休学した。その後も医師になるまでは時々体調を崩していたが、昭和32年から4年間の米国留学中は至って元気であった。然し、健康に対する不安は何時も付きまとっていて、米国でパーマネントの地位と職を提供されたが、家族を異国の路頭に迷わせることは出来ないので帰国した。帰国してからの44年間の開業生活は大変ハードなものであったが、今年、7回目の年男になり、健康で12月には84歳を迎えられるのは有難く、又、想定外のことである。
閑になって心のゆとりが出来たせいか、すばらしい音楽を聴くと感動を覚えるので、素人ながら「名演奏に涙する」等、音楽エッセイを何篇か県医師会報に投稿したので読んで下さった方もあり嬉しく思っている。
その他、「白内障手術自分史」、「私のResearch回顧録」、「視床下部と瞳孔及びAGING」等、専門的な文も書いている。
2)AGING研究の始まり
私はニューヨーク市のコロンビア大学眼科を1960年(昭和35年)末で退職し帰国する予定であったが、それに先立つある日、国立衛生研究所(NIH)の部長を含む2人の責任者が、私の所属していたLaboratory of PupilのDr. Otto Lowensteinを訪ねてきて、「AGINGの研究」に関するFundのオファーがあった。研究費は年10万ドル、期間は10年というものであった。当時Aging或いはAnti-Aging Medicineという概念も研究も、私の知る限りでは、日本には未だ無かったし、余りにも魅力的な研究なので、私は急遽帰国を断念する旨Lowenstein先生に告げた。先生は大変喜ばれたことを記憶しているが、その後、医学部学長とLowensteinとの間にトラブルがあったのと、私も家庭の都合で帰国のやむなきに至ったので、残念ながら折角のProject受諾は実現しなかった。現在Aging及びAnti-Aging Medicineの研究・臨床は大変盛んで、ポピュラーになったが、Aging研究の源はその頃にあったわけで、このような先端的研究を国家的Projectとして取り組んでいた米国医学に感服する。
3)Agingと瞳孔
瞳孔対光反射の中枢は中脳の動眼神経核の一部、Edinger-Westphal(EW)核であるが、EW核は大脳皮質→視床下部から、或いは、視床下部からのInhibition(抑制)を受けている。このInhibition作用は、嗜眠、老齢、甲状腺疾患、本態性高血圧症、原発性緑内障等で視床下部の障害により減弱することがある。EW核へのInhibitionが減ずる(即ちEW核の興奮が強くなる)と瞳孔に縮小(縮瞳)が起こり、縮瞳の速度が速くなり、正常は下向きのサインカーブのような瞳孔反応曲線が矩形的なカーブになる。このLowensteinの研究に注目し、視床下部とAgingの関係を瞳孔反応検査(すごく優秀な瞳孔反応検査器を同研究所が開発し稼働していた)で追求してもらいたいとNIHは考えていたのである。
4)視床下部とAGING
成長ホルモン(growth hormone: GH)は下垂体前葉から分泌され、その分泌を促進するのは視床下部ホルモンの1つ、GH放出ホルモン(growth hormone releasing hormone: GH-RH)であるが、視床下部のGH-RH分泌低下が老化に深く関わっているという。
視床下部が自律神経の高位中枢であることは定説となっている。その自律神経の作用は、昔、遠心路だけと考えられていたが、近年の研究で求心路の存在が分かっており、内臓からの求心性の情報が生体の活動を調節している。その他、代謝の調節など視床下部の働きは大きいが、特に、それらの機能を視床下部が制御しているのが生命維持のため重大である。自律神経のアンバランス、Homeostasis(恒常性)の低下や崩壊が老化の原因になっているので、その機能の保全と回復がAnti-Aging Medicineの主要課題と考えられる。
5)年男の願い
私の生まれた子年は干支の中でも60種の始まり甲子(きのえね)であり、目出度いと思っている。還暦の年が本卦還りで甲子であったが、次の本卦還りまでは勿論生存出来ない。因みに今年は戊子(つちのえね)である。視床下部の研究が進んでAgingの問題が解明され、天恵の寿命の間は心身共に健康であるよう願っている。
この原稿をWordで書き上げ印刷を始めようとした時、デスクトップパソコンがダウンした。VAIOカスタマーサービス等に問い合わせてリカバリーを試みるが絶望的である。急遽ノートパソコンに改めて打ち直し、プリンターのドライバーをインストールし(デスクトップから無線LANで共有していたので)、プリントが出来るようになり、やっと原稿締め切りに間に合った。頭の訓練にはなったけど、チョットあわてた。101歳の精神科医・秋元波留夫先生が5台のパソコンを操っておられるというが、パソコンは壊れるのが当たり前と思って毎々バックアップしておかねばと痛感した。

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